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2004年07月24日
7月24日 東川町フォトフェスタ準備
東川町フォトフェスタで上映するビデオ作品の制作が佳境。そもそも北海道写真月間と学生のイベントや展示などを束ねている方から「何か一緒にやりませんか?」というこのウエブサイトへのアクセスからだった。その後町役場のご担当高平さんも交えて話しているうちに「どうせやるならと」6月にour faceの撮影を東川でやり、それをビデオ作品にまとめて上映することになったもの。5分半ほどのビデオ作品に東川の子供たちの肖像を「our face」のコンセプトにまとめた。当初の話からかけはなれてかなり凝った作品に仕上がった。映像制作の林君が連日徹夜による力作なのだ。林君はこのウエブのデザインも手がけるウエブデザインの他、映像では国内外の数々のミュージシャンとクラブVJとしてコラボレートしている。しかし本業は空間デザイン。建築家である。毎度のことながらウエブにも映像にもド素人の私が林君に全面的に助けられている。ここ一週間、林君、私、音楽担当の札幌の綾部氏と毎日24時間中メールと電話で頻繁にやりとりをしてようやくでき上がったってきた。8月1日東川フォトフェスタ「写真の町カメラアングル」にて上映。東川に来る方は是非いらして下さい。でもいったい何人が観に来るのだろうか?何しろゲストのほとんど同じ時間やっている「東川賞受賞作家フォーラム」に行っているに違いない。どうゆうスケジューリングなのだ?観たい方は現地で気軽に声をかけて下さい。dvdをお分けします。数に限りはありますが。
投稿者 Ken Kitano : 07:55
7月24日 東川町フォトフェスタ準備
東川町フォトフェスタで上映するビデオ作品の制作が佳境。そもそも北海道写真月間と学生のイベントや展示などを束ねている方から「何か一緒にやりませんか?」というこのウエブサイトへのアクセスからだった。その後町役場のご担当高平さんも交えて話しているうちに「どうせやるならと」6月にour faceの撮影を東川でやり、それをビデオ作品にまとめて上映することになったもの。5分半ほどのビデオ作品に東川の子供たちの肖像を「our face」のコンセプトにまとめた。当初の話からかけはなれてかなり凝った作品に仕上がった。映像制作の林君が連日徹夜による力作なのだ。林君はこのウエブのデザインも手がけるウエブデザインの他、映像では国内外の数々のミュージシャンとクラブVJとしてコラボレートしている。しかし本業は空間デザイン。建築家である。毎度のことながらウエブにも映像にもド素人の私が林君に全面的に助けられている。ここ一週間、林君、私、音楽担当の札幌の綾部氏と毎日24時間中メールと電話で頻繁にやりとりをしてようやくでき上がったってきた。8月1日東川フォトフェスタ「写真の町カメラアングル」にて上映。東川に来る方は是非いらして下さい。でもいったい何人が観に来るのだろうか?何しろゲストのほとんど同じ時間やっている「東川賞受賞作家フォーラム」に行っているに違いない。どうゆうスケジューリングなのだ?観たい方は現地で気軽に声をかけて下さい。dvdをお分けします。数に限りはありますが。
投稿者 Ken Kitano : 01:34
2004年07月10日
7月10日 授賞式
夕方から授賞式とレセプション。 賞を頂くというのは経験が無いのでなんとなく他人事のような所在なさを感じてしまう。たくさん人が集まって(70人くらいか)ビールやワインを飲み始める。鈴木さん、伊勢さん、深川さんら写真の会の方々にも初めてお会いして選んでいただいたお礼を申し上げる。伊勢さんに「こうゆうことをやるひとがいるかもしれないとは思ったけど本当にいるとは思わなかった」と言われ、思わず「アホですね」言うと大笑いに。実は今まで自分もある程度アホだと思っていたけれど、最近どうやら本当にアホらしいということが分かってきた。(バカを自覚しないのが本当のバカだと、最近ハマっているフランス哲学の内田樹さんが書いていた)何しろ普通100人ポートレートを撮れば普通はひとつのシリーズが完成するのに、our faceだと1枚の作品にしかならないのだから。
変な言い方だけど会場で「our face」が写真の仕事として普通に語られているのを耳にして「やっとここまで来れた」という感慨。「オモシロイもの」「変な写真」として語られることが多かったから。(広く興味を持ってもらえるのはありがたいのだが、例えば平均顔を撮り続けているカメラマンなどと書かれるのは正直、辟易してしまう) 写真の会会報で会の皆さんが書いて下さったこの仕事に関する最初の批評はずうっと大事にしようと思う。受賞展というのは不思議なもので基本的に悪いことは言うひとはいないので(帰り道では何を言われているか分からないけど)、これからいろんな厳しい評価にさらされると思うが、写真として語られるならどんな言葉も受けたいと思うし、今後もこの作品と一緒に歩いて行きたいと思う。ちなみに写真の会会報はプレイスMでも販売する予定だそうなので興味のある方は購入してお読み下さい。選考過程をまるっきりそのまま活字にした部分もあります。
会場には森山大道さん石内都さん、須田一政さんら伝説的の写真家の姿も。奥にいらした方は後で聞いたらなんと中平宅馬さんだった。西井一夫さんをしのんでいらしたのか鈴木一誌さんや楢橋さんに会いにいらしたのか。とにかく一番信じられないのは自分がそこにいることだ。森山大道さんには以前エプソンで「our face」を選んで頂いたことがあり、ご挨拶すると10年前の清里ヤングポートフォリオの「溶游する都市」の写真も覚えていて下さり「あれもいいよね」のひとことに感激して、思わず勇気を出してポストカードを差し上げる。
お開きの後は清里K`MOPAYングポートフォリオ展同期の櫻井尚子ちゃん、岡村志満子ちゃん、our faceプロジェクトもう一人の立て役者林君、林君の友達の彫刻家かほりちゃんらで毎度おなじみの随円別館へ。途中から落合由利子さんも合流して終電まで飲む。
個展に足を運んで下さった皆さんありがとうございました。今後とも「our faceプロジェクト」をよろしくお願い致します。
投稿者 Ken Kitano : 06:43
7月10日 授賞式
夕方から授賞式とレセプション。 賞を頂くというのは経験が無いのでなんとなく他人事のような所在なさを感じてしまう。たくさん人が集まって(70人くらいか)ビールやワインを飲み始める。鈴木さん、伊勢さん、深川さんら写真の会の方々にも初めてお会いして選んでいただいたお礼を申し上げる。伊勢さんに「こうゆうことをやるひとがいるかもしれないとは思ったけど本当にいるとは思わなかった」と言われ、思わず「アホですね」言うと大笑いに。実は今まで自分もある程度アホだと思っていたけれど、最近どうやら本当にアホらしいということが分かってきた。(バカを自覚しないのが本当のバカだと、最近ハマっているフランス哲学の内田樹さんが書いていた)何しろ普通100人ポートレートを撮れば普通はひとつのシリーズが完成するのに、our faceだと1枚の作品にしかならないのだから。
変な言い方だけど会場で「our face」が写真の仕事として普通に語られているのを耳にして「やっとここまで来れた」という感慨。「オモシロイもの」「変な写真」として語られることが多かったから。(広く興味を持ってもらえるのはありがたいのだが、例えば平均顔を撮り続けているカメラマンなどと書かれるのは正直、辟易してしまう) 写真の会会報で会の皆さんが書いて下さったこの仕事に関する最初の批評はずうっと大事にしようと思う。受賞展というのは不思議なもので基本的に悪いことは言うひとはいないので(帰り道では何を言われているか分からないけど)、これからいろんな厳しい評価にさらされると思うが、写真として語られるならどんな言葉も受けたいと思うし、今後もこの作品と一緒に歩いて行きたいと思う。ちなみに写真の会会報はプレイスMでも販売する予定だそうなので興味のある方は購入してお読み下さい。選考過程をまるっきりそのまま活字にした部分もあります。
会場には森山大道さん石内都さん、須田一政さんら伝説的の写真家の姿も。奥にいらした方は後で聞いたらなんと中平宅馬さんだった。西井一夫さんをしのんでいらしたのか鈴木一誌さんや楢橋さんに会いにいらしたのか。とにかく一番信じられないのは自分がそこにいることだ。森山大道さんには以前エプソンで「our face」を選んで頂いたことがあり、ご挨拶すると10年前の清里ヤングポートフォリオの「溶游する都市」の写真も覚えていて下さり「あれもいいよね」のひとことに感激して、思わず勇気を出してポストカードを差し上げる。
お開きの後は清里K`MOPAYングポートフォリオ展同期の櫻井尚子ちゃん、岡村志満子ちゃん、our faceプロジェクトもう一人の立て役者林君、林君の友達の彫刻家かほりちゃんらで毎度おなじみの随円別館へ。途中から落合由利子さんも合流して終電まで飲む。
個展に足を運んで下さった皆さんありがとうございました。今後とも「our faceプロジェクト」をよろしくお願い致します。
投稿者 Ken Kitano : 01:37
2004年07月03日
7月3日 新宿プレイスM「写真の会賞」展
なんと10年ぶりのギャラリー展である。我ながら「仕事してない」と思う。が、怠けていた訳ではないのだ。撮れない時期もあったけど、ずっと撮ってきて、いい作品が出来てきて、こっちがやりたいと思ったらギャラリーの鍵をもったひとが、「つまらない」と言ったり、極く稀に向こうから「やりませんか」と言われたときにこっちがのらなかったりで、いつの間にか10年・・。ま、それはともかく、午後7時設営開始。ひさしぶりにまっさらな白い壁を前にして嬉しくなった。ご一緒する楢橋さんにご挨拶する。楢橋さんは今回の関係者で唯一、前回のICACウエストンギャラリーでの個展「溶游する都市」を観に来て下さっている。私は入り口から右の壁を使うことに。今回のプリントは幅50センチのロール印画紙に横に等間隔に12の肖像を焼き付けた長〜いプリント。(さすがに一枚のロールというわけではなく、3つの壁面ごとに3.5mと2.2m、2mのプリントを作った)プリントはドイテク時代から担当していただいているプリンター石島さん(現カラーサイエンスラボ所属)にお願いした。カラー印画紙にハーフトーンばかりのモノクロ画像を巨大なロールで焼くという離れ業をしていただいた。これはour faceの基本コンセプトである、ひとつの集団の言葉や光や時間を、縦に垂直に重ねてゆく作業ででき上がった肖像を一切の序列や大小をつけずに、ひたすら横にまるで回廊のように水平に連ねてゆくというコンセプトを形にしたもの。(ひとやものごとを垂直に見つめる作業とそれを水平に連ねる作業を同時にやる、ということが今のメディアには必要だと思う。難しけど。)本当はこのウエブサイトの見せ方も縦にスクロールするのではなく、横に展開するような形にいずれ変えていきたいと思っている。
写真の会の浅野さん、永田さん、プレイスMの方々にも手伝って頂いてしわにならないように壁に丁寧に貼ってゆく。なんとなく「our face」な空間になった。
いずれは一枚が等身大の大きなプリントがどこまでもいつまでも連なる肖像の回廊のような展覧会をやってみたいと思っている。観ている人も始めのうちは舞妓さんの肖像は新地のホステスさんに比べてどうだとか、違いで見ていた人も、次第にそうゆう見方を放棄して、ものごとを「違い」で見るのも「同じもの探し」で見るのもどうでもよくなり、気がつくとひたすらモコモコとした肖像に自己を見つめるような、そんな根気のある見せ方をいずれ。
投稿者 Ken Kitano : 07:09
7月3日 新宿プレイスM「写真の会賞」展
なんと10年ぶりのギャラリー展である。我ながら「仕事してない」と思う。が、怠けていた訳ではないのだ。撮れない時期もあったけど、ずっと撮ってきて、いい作品が出来てきて、こっちがやりたいと思ったらギャラリーの鍵をもったひとが、「つまらない」と言ったり、極く稀に向こうから「やりませんか」と言われたときにこっちがのらなかったりで、いつの間にか10年・・。ま、それはともかく、午後7時設営開始。ひさしぶりにまっさらな白い壁を前にして嬉しくなった。ご一緒する楢橋さんにご挨拶する。楢橋さんは今回の関係者で唯一、前回のICACウエストンギャラリーでの個展「溶游する都市」を観に来て下さっている。私は入り口から右の壁を使うことに。今回のプリントは幅50センチのロール印画紙に横に等間隔に12の肖像を焼き付けた長〜いプリント。(さすがに一枚のロールというわけではなく、3つの壁面ごとに3.5mと2.2m、2mのプリントを作った)プリントはドイテク時代から担当していただいているプリンター石島さん(現カラーサイエンスラボ所属)にお願いした。カラー印画紙にハーフトーンばかりのモノクロ画像を巨大なロールで焼くという離れ業をしていただいた。これはour faceの基本コンセプトである、ひとつの集団の言葉や光や時間を、縦に垂直に重ねてゆく作業ででき上がった肖像を一切の序列や大小をつけずに、ひたすら横にまるで回廊のように水平に連ねてゆくというコンセプトを形にしたもの。(ひとやものごとを垂直に見つめる作業とそれを水平に連ねる作業を同時にやる、ということが今のメディアには必要だと思う。難しけど。)本当はこのウエブサイトの見せ方も縦にスクロールするのではなく、横に展開するような形にいずれ変えていきたいと思っている。
写真の会の浅野さん、永田さん、プレイスMの方々にも手伝って頂いてしわにならないように壁に丁寧に貼ってゆく。なんとなく「our face」な空間になった。
いずれは一枚が等身大の大きなプリントがどこまでもいつまでも連なる肖像の回廊のような展覧会をやってみたいと思っている。観ている人も始めのうちは舞妓さんの肖像は新地のホステスさんに比べてどうだとか、違いで見ていた人も、次第にそうゆう見方を放棄して、ものごとを「違い」で見るのも「同じもの探し」で見るのもどうでもよくなり、気がつくとひたすらモコモコとした肖像に自己を見つめるような、そんな根気のある見せ方をいずれ。
投稿者 Ken Kitano : 01:38