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2005年02月06日
2月4日 d/sign
今週は鈴木一誌さんと戸田ツトムさんが責任編集をされている『d/sign』という雑誌の編集の方にお会いする機会があった。「d/sign」はデザインを軸に文学から建築、哲学、歴史‥、幅広い分野に及ぶ論考を納めた内容の深い雑誌。(学生時代の頃などは「d/sign」の他にも「インターコミケーション」とか「コラボ」(だっけ?)、もっと前は工作舎の「遊」とか、文芸誌以外にも様々なジャンルに渡って論考を納めた雑誌があったけど、今はそうゆう雑誌は少なくなった。一般誌はPR会社や制作会社の宣伝部からの情報で企画をたて、取材をアテンドしてもらって作る誌面が増えた。映画でもイベントでも舞台でも。取材はしやすくなるが、宣伝の延長だから批評性はなくなる。)で、頂いた「d/sign」昨年秋号を帰ってから読む。目を引く表紙の写真は、金属なのかコンクリートなのか、緩やかな放物線をいくつも束ねて立体を組み上げたような無機的な建築物の写真。それが九州新幹線の「新水俣駅」だと知ってまず驚いた。あの、水俣である。なんだか、”痛い”印象。
記事の中に『ポスト「日本戦後史」にむけて-1972年的心性のデザイン』という対談があった。連合赤軍、オウムを軸に戦後日本の精神史をめぐる対談だった。読んでいていろいろ関係ないことを思い出してしまった。学生のころ、ちょうど「溶游する都市」を撮り始めた89年〜90年頃、僕はなんだかこのまま90年代に入っちゃっていいの?って気分だった。自分がたまたま物心付いて周囲を見つめたのが80年代だったからかもしれないけど、うまく言えないけど、あのどろっといろんなものをなし崩し的に保留し続けた80年代をきちんと”総括”みたいなことをしないで90年代にはいってゆく感じがマズイんじゃないのって思っていた。だってそのころ雑誌は70年代とか60年代の特集をさかんにいろんな分野でやっていた。そんなことしている場合じゃないよって毎日焦りながら東京の風景を撮り歩きながら思ってたことを2000年代の今思い出す。読み終わった後、対談にもでてきた加藤典洋の「敗戦後論」を随分前から読みかけだったのを思い出して、本棚から捜しだして読み始める。そんなことだから、また原稿が進まない。
投稿者 Ken Kitano : 2005年02月06日 00:09