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2005年03月04日

2月27日 奥三河の西浦田楽

静岡県水窪町の祭、西浦田楽に行ってきた。奥三河は花祭り、霜月祭を中心に冬の間数多くの祭が行われる民俗芸能の宝庫。水窪には一昨年の夏にourfaceの取材で水窪町南部の門桁集落の方々の肖像を撮りに行き、この地方の祭りのことを知った。ちなみに折口信夫はこの地域の祭をくまなく訪ね冬の祭りと芸能を研究したという。祭本来の、霊力(タマ)が衰退する冬の時期に夜を徹してこうした儀礼を行うことによって、新鮮な状態に戻ったタマを増やそうとする、魂の浄化と再生の祭だ。人間が古代から脈々と続けてきた儀礼の構造である「タマ」を揺らすことで「ふゆ=ふやす、ふる」祭である。というようなことを中沢新一さんのカイエソバージュ(講談社選書メチエ)読んで知った。ついでに『折口信夫のタマ論のアイデアの源泉となった、(北アメリカ大陸の)北西海岸インディアンの「ふゆ」の祭り』ともカイエソバージュ2巻に書いてあった。西浦の田楽は神社でやるのでもなく、(一応観音堂で行う)神職がいるでもなく(職業神職が成立のは中世からで、それまでは民間人が禊をして神事に当たった。いまでもお党屋制度などのかたちでこうした役割が残る地方は多い。詳しくは今度出る私の写真集を参照されたし。)完全に世襲の能衆(のうしゅう)によって月の出から日のでまで33番の田楽が舞われる。いろいろな祭りを見てきたけれど、こうしたお祭りは初めて。厳粛な中に道化あり、掛け合いで笑わす場面があり、動物の面をつけた踊りあり、鬼が出てくる舞いがあり、と非常に「民衆の手で伝わってきた」という感じのするお祭りだった。見物客のなかに「左官教室」編集長の小林澄夫さんと建築家のさったさんらお仲間を発見してびっくり。お互いに「なんでここにいるの?」という感じだった。奥三河の山奥でめったにお会いしない方と再会するとは。
 祭りの始まりは谷を隔てた対岸の山から明るい月が出ると同時。月に対して、火〈太陽を連想させる)をロープウェイのような仕掛けで空中を大きな松明に点火するシーンは不思議な光景だった。能衆が被る烏帽子にも左右に太陽と月が描かれていた。
 聞いてはいたが、寒かった。明け方は寒さと眠気で気がつくとファインダーを覗いたまま寝ていたり。見るほうにとっても過酷な祭りだった。来年以降はいろいろと対策を練って見に来よう。
 宿で仮眠をとり、秋葉神社によって(びっくりするほど三河全体が見渡せる眺望、立派なお社に信仰の厚さが伺えた。秋葉原の秋葉さま、山の火の神サマでもある)アテにしていた温泉が臨時休業になっていて風呂にも入れず、5時間かけてへろへろになって運転して帰った。祭り取材は体力がいる。

投稿者 Ken Kitano : 2005年03月04日 09:08