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2005年03月29日
3月28日 熊野古道
4日間熊野古道を歩いてきた。全身くまなく適材適所で筋肉痛である。仕事でなければ絶対に歩かないと思う。昔から登山をする人の気持ちは分からないと思ってきたけど、やっぱり分からない。歩いてみれば面白かったけどね。信仰のちから、巡礼の歴史ってすごいなと思ったよ。それと「果無し山脈」と言われる(本宮から北側は)紀伊山脈のスケールの大きさ、深さを身体で感じたし、その先にある吉野や高野山への道筋を思うと凄いなって思った。四国とも山野辺の道等とも違う感じ。歩いている人の感じも違う。なんとなく「修験プレイ」な感じだ。海沿いも紀州独特の景観だった。久しぶりの熊野だったけどまたゆっくり歩きたいと思った。なぜかビールがどこに行ってもアサヒばっかりしかないのには困った。それと源泉かけ流しの温泉はいい。疲れた。
投稿者 Ken Kitano : 00:31
2005年03月20日
3月20日 第一校
昨日、写真集「our face」の第一校がでた。徐々に本の姿が具体的に見えてきた。楽しい。実に楽しい。こんなワクワクする作業をこれまでたくさんの写真家がやってきたのか。最後まで手を抜かずにきっちりした本に仕上げよう。5月の連休明け出版の運びになりそうだ。いずれ詳細が決まったら「NEWS」サイトでも告知しますので、みなさまどうぞよろしくお願いします。
写真集の打ち合わせの後高田馬場でエロ本&風俗誌編集者の笹目さんと久しぶりに飲んだ。一年ぶりくらいかな。大きくなっていた。お腹が。93キロだって。笹目さんは会うたびに「大きさ」が違う。一番小さい時でたしか65キロだった。不思議な体質な方だ。こっちはさっぱりそうゆう業界とは縁がないのだが風俗取材やエロ業界の話しは面白かった。写真の話でも盛り上がる。ふたりで日本酒をたくさん飲んで終電で帰る。笹目さんとはかつてマガジンハウスの某雑誌で演劇の頁を一緒に作ったりしていた。雑誌の仕事の経験もまだ少なかったので今から思うとつくづく未熟だったなと赤面の日々だけど、いろいろ思い出して、結構懐かしかった。
投稿者 Ken Kitano : 10:51
2005年03月18日
3月15日 北京
朝8時35分北京発の飛行機で帰国。成田から家に電話して一通りの業務連絡。その後、うちの奥さんが声を潜めて言うには、「帰る前に伝えておくけど、日曜日にブンちゃん(飼っている文鳥のこと)が突然死んじゃったの。それで2人で昨日は泣きっぱなしだったのだけど、A(娘のこと)は無理してカラ元気だから、その辺よろしくね」とのこと。帰国早々、ブルーな報告である。あれだけ可愛がっていたので娘はショックだったに違いない。
北京はと言うと、やっぱり寒かった。前半の二日間は最高気温零下2度。乾燥しているので日本のようなじっとりくる寒さとは違うのだけど長く外にいるとこたえる。これでタレントのkさんを外で撮る(それも春の媒体なのでコートを脱いでもらって)というのは無謀だよ。「うわっどうしよう〜!」と言う感じで初日ロケハン。寒くて胡同(=フートンと読む。路地のこと)には殆ど人影がない。庶民的な往来や日常の庶民の風景と絡めて撮る予定なのに・・・。幸いにして後半の二日は気温が上がり、日中は薄着でもなんとか歩けるくらいに。よかった。胡同にも人通りが出来て多少ひとを絡めて撮れた。
今回初めての中国だったので、事前にイメージが掴めず、そもそもどのくらいの緊張感で歩いてよいか(ラテンアメリカの大都市並なのか、インドのスラム並なのか・・とか)も分からなかった。行ってみると、北京の人はぶっきらぼうなところはあるけれど、基本的にのんびりしていて、雑踏でスナップしていてもほっといてくれるし、話しかければ構ってくれるし、大変に歩きやすかった。なんといっても今回のコ−ディネーターさんが衝撃的に素晴らしい方で、そのコーディネートぶりから、されているのに気が付かないくらいに細やかな心配り(取材先に対しても)で、とっても助かった。そのコーディネーター原口さんのプログはこちら。http://peking.exblog.jp/ 原口さんの日常から見えてくる北京が自然に伝わってくる日記。ご著書も出されている。原口さんのおかげで様々な表情の北京に触れられることが出来た。感謝。
庶民の住む古い路地は次第に減り、活気のある古い商店が軒を連ねるような胡同はごくわずかしかないこと。2008年の五輪に向かって加速度的に開発が進むビル街と開発中の工事現場群。やっぱり私服警官は多いし、監視社会であること等々、冬のコントラストの強い陽射し(本当に独特な光だった)のなかで見たそれらの風景は不思議な重力感を伴って、今も身体の深い所に沈殿している。乾燥しているので陰影がくっきりした光が、実に実に魅力的だった。しかし今回は春の号で企画の性格上、そうした冬のニュアンスを極力殺して撮らなければならず、正直泣いた。用意した機材面でも反省点が多い。
料理にも風景にも、文化のある国というのは説得力があるなと思った。何気なく置かれている小物が数百年昔のホンモノだったり、ということがよくある。路地の割れた瓦が700年くらい前からのものだったり。料理も日本に入ってきているの中華料理の多くが南のもので北のものは「粉文化」で随分違うものだと知った。洗練されたレストランがいくつもあり、それらは店内のセンスもよくて美味しかった。今回は羊鍋を食べることを密かに楽しみにしていたのだが(以前新宿で食べたのが美味しくなかったのでリベンジを)今回はかなわず次回再訪を誓う。
それにしても経済成長率10%近くに達する今の中国の変貌というのは、凄いものがある。風景の中だけでも経済の格差があれだけあって、スラムがないというのも不思議な印象だった。たまたま目にしなかっただけかもしれないが、物乞いのひとはたったひとりしか見なかった。お土産に毛沢東ウォッチを買った。
投稿者 Ken Kitano : 10:08
2005年03月09日
3月8日 お笑いライブ「絹8」
午前中、八重洲ブックセンターで中国出張の資料となる本を捜す。中国は今まで行ったことも興味を持ったこともなかったのでさっぱり様子が分からない。中国は注目されているとあって書籍が多い。日頃資料捜しに苦労しているラテンアメリカ関連とはえらい違いである。中国の写真家の撮った北京の写真集とNHKスペシャルの単行本「アジア古都物語〜胡同に生きる〜」、中国料理の新書とガイドブックを買う。午後に打ちあわせ。編集、広告部の人と話せて何となく企画の感じが分かってくる。一度帰って下北沢へ。下北沢リバティーへ木村万理さんプロデュースのお笑いライブ「絹vol.8」を見に行くためだが、着いて時間があったので下北のカジュアルウエアの店に入って中国取材用の防寒具を買う。冬物処分の時期なので厚手のダウンを安く買えてよかった。ストリートファッションのひとはTシャツにダウンジャケットを着たりするので、厚手の服が普通に売っていて助かる。普段国内で冬の祭り取材などに着ている冷寒地仕様の服は米軍払い下げのアーミーコート。暖いし丈夫なのだが、さすがに海外には着ていけない。寒さ対策、ストロボの変圧器など、こうゆう出張は準備に自腹でお金がかかってしまう。
ライブ絹は芸人さんが15分間の長いステージをやる。コントよりも長い時間なのでかなり演劇的。勢いや瞬発力で爆笑をとって終わるのとは正反対の笑いの世界。やるほうはたぶん難しい時間だとお思う。もとからの内容がきっちりしていて持久力もないといけないだろうし。今日は豪華な出演陣。ENBUゼミ0503、高山宏、バカリズム、ヨージ、だるま食堂、高山宏の皆さん。だるま食堂と高山宏さんは「いいよ」といろいろな人から聞いていて初めて見たけど面白かった。見られてよかった。高山宏さんの、打ち上げ花火に憧れるファミリーセット手持ち花火の生き様のコントは途中ぐっと来てしまった。ソロライブも行きたくなった。木村さんにM社のMさんらをご紹介する。ライブの後の飲みの席でたまたま隣に座って話していた方がマンガを描いている方で、美学校出身の久住昌之さんのクラス出身と聞き、びっくりする。神保町の素晴らしい居酒屋「兵六」にも行っていたそうだ。
木村万理さんのホームページ「まりしろ」
http://marishiro.cool.ne.jp/
ところでニッポン放送とライブドアはどうなるんだろう。
投稿者 Ken Kitano : 09:58
2005年03月07日
3月7日 米
昨日実家からおいしい米をもらった。そしたらいきなり食べる量が増えた。それに少ないおかずでたくさん食べる。それまで食べていたのはやっぱり実家から以前もらったものだが時間が経っているうえに保存が悪かったらしく、炊くときに日本酒を入れたり、はちみつを少量いれたり工夫するのだが、美味しくなかった。お米がうまいとおかずが納豆とのりだけでも満足感を感じてしまう。
昼間、中国取材の打ちあわせと納品で都心へ。中国取材は初めてなので様子が分からないので中国に何度か行っている友人の小川直子に電話して聞く。寒いらしい。帰りの電車の中でナウシカ読了。最後が面白かった。
帰宅して、娘が保育園で小学校の見学会に行った話を晩ご飯の時に聞く。もうすぐ小学生だ。信じられないよ。恐ろしい亊でございます。小学校どうだった?と聞くと「ランチルームが素敵だった」とのこと。そうゆう部屋があるらしい。そしてそこしか印象に残っていないらしい。聞きながらまたたくさん食べてしまう。
投稿者 Ken Kitano : 23:40
3月6日 風の谷のナウシカ
写真集の後書きを書かないといけないのだけど、たくさんのことが浮かんできて、6年間考えてきたことや感じてきたことをどこからどうまとめてよいか・・一向に進まない。こうゆう時は気持ちや思考の流れを止めないことが一番なので、何かインプットするに限る。そこで去年買っておいた「風の谷のナウシカ」1〜7巻(徳間書店セット価格2780円は安い!)を読み始める。 (単に書くことから逃げてるかも)以前TBSラジオ「デイキャッチ」で歴代の宮崎アニメの人気投票をやったときに、宮台真司さんがナウシカは映画になっている部分は全体の中のわずか(第二巻の前半くらいまで)で、物語全体は壮大な戦記ものとして単行本を読むのを薦めていらしたので、生活クラブの共同購入に載っていたので注文しておいたのだ。
でも僕は三国志にしても戦国時代の武勇ものにしても、長い戦記物というのが苦手。大河ドラマだってほぼ一年を通して観たのは去年の「新撰組」が初めて。(あれはよかった!)唯一、塩野七海さんのビザンチンやメディチ家などの本に一時期はまったことがあるくらい。だいたい長い物語は途中で前の方の話を忘れてしまうし、登場人物の名前が多くて覚えられないので持続できないのだ。でもナウシカは読み始めたら面白かった。まだ読んでいる途中だけど、例えばクシャナやクロトウなどの登場人物が映画よりもずっと複雑な人間性を持って描かれていて面白かった。映画を観て、なんとなく「一神教的世界観の皇帝側」と「多神教的世界観の風の谷の部族」の対抗の図式のように捉えていたのだが、実際の物語はもっと複雑だった。あまたある多神教的な世界観の部族(実にたくさんの部族が登場する)が対立と融合を繰り返すうちに、いつしか、ナウシカ自身が、救世主的だったり伝道者的てきだったり、それらの人々の中心的な存在になりつつあり、つまりナウシカ自身が一神教的な存在(もちろん超越的な存在じゃないんだけど)になりつつあるような部分があったりする(そうゆう部分はたまたま今読んでいる今福龍太さんの「クレオール主義」にラテンアメリカの混血の文化のかなに強く存在する母性のあり方と、中南米にあまたある聖母信仰〈有名なのはメキシコのグアダルーペなど〉の関係にも通じるようで面白い、ナウシカの清純な描かれ方も含めて)。人間同士、あるいは思いもよらないほど大きな自然の存在と人がせめぎ合う中で、見え隠れするはるか向こう側(というか底というか)の光と闇に息を詰めながら読んでしまう。(「千と千尋」の顔なしに通じるような、 「闇」そのものと、その出会い方も途中で登場する。そうした闇との出会い方は、村上春樹の「ねじ巻き取りのクロニクル」などに出てくる心の闇との対峙の場面も何となく連想させられるようで、そうした私たちの心の闇のあり方というのは時にこうした形で捉えられるものなのだろうか?)
それと読んでいて思ったのは、他の宮崎映画もそうなのだが、宮崎作品のもつ「静けさ」のひとつは通信機器がないことだと思った。飛行艇などメカニカル(どこかレトロなところのある〉な部分は発達してテクノロジーの結晶体みたいなものがたくさん登場するのに、通信手段がナウシカなら通信管だったり旗だったり、照明弾だったり、それか「念」だったり。「耳をすませば」などでも電話や電報だけで、無線や携帯は登場しない。あるのは距離と移動と相手を思う気持ち。通信がないことが全体を通底する静かで、深くて、親密な関係が例え敵対する相手にも成立して、ダイナミックだけど静寂を湛えた物語を形作っているのかな、などと考えた。あと少し読み切るのがもったいなくなってきた。その前に早く書いてしまえと自分に突っ込む。
・「風の谷ナウシカ」徳間書店
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/419210010X/qid=1110162474/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-7567347-2564337
・「クレオール主義」ちくま学芸文庫
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480087575/qid=1110162570/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/249-7567347-2564337
投稿者 Ken Kitano : 11:30
3月5日 ちゃんぽん
午前中三軒茶屋で雑誌の撮影。終了後、三軒茶屋の名画座の先の角の長崎ちゃんぽん屋でちゃんぽんを食う。ちゃんぽんという食べ物は一応メジャーで全国区と言っていいとお思う。にもかかわらず、長崎県周辺以外では「メジャー感」が乏しい。専門店も東京には少ない。そんなちゃんぽんを大学時代軍艦島に渡るのに度々長崎を訪れて以降、好きになり、時々食べるようになった。しかし専門店も少ないし、ラーメン屋のメニューのはじにちゃんぽんとあっても何か注文する気にならない。やはり専門店か「長崎の感じ」を出している店でないとノレないのだ。こうした思いは数年前までさぬきうどんにも感じていた。うちの奥さんはさぬきの人なので、実家に行くと義父さんに今ではすっかり有名になった山越うどんとか各地の名店に連れていってもらった。その度に讃岐うどんのコストパフォーマンスのよさ(一杯90円くらいから食べられる)、食べ方とトッピングのバリエーション(温、冷、だし、釜揚げ、ぶっ掛け、天ぷら、卵、等・・)、必ずあるおでんとバラ寿司の組み合わせにより、酒を飲む、おやつ、食事、ファーストフードのいずれでも成立する、讃岐うどんの「普遍性」を知るたびに、これは東京でも・・、と思っていたら、数年後にブレイクした。しかしちゃんぽんは魅力的な食べ物であるにも関わらずそうした世界観が沸かない。長崎の人はもっと違う親しみ方をしているのかもしれないが。思うのだが、ちゃんぽんというくらいで既にいろいろなものが入って「充実した存在」なので、他との組み合わせがあまり成立しないというのがマイナスに作用しているのかもしれない。「ビールと餃子とラーメン」とか「蕎麦と天ぷら、日本酒」とかカレーだってサラダを付けたり豚カツをのせたりする。ちゃんぽんはそれ自体で閉じているというか風穴が開かないもどかしさがあるのかもしれない。周りのメニューが誘いあって付き合いをよくしてやらないといけないよ。いいやつなんだから。
ま、いずれにしても寒い日のちゃんぽんはうまい。三軒茶屋の他には有楽町の交通会館の下のちゃんぽん屋もうまい。
今思い出したけど博多のもつ鍋屋さんで鍋の仕上げに「うどんとちゃんぽんどっちにします?」と聞かれてちゃんぽんを入れてもらったらうまかった。そうゆうやり方もあるようだ。
投稿者 Ken Kitano : 09:34
2005年03月04日
3月3日 最近の積読
・「浅草博徒一代」(佐賀純一著/新潮文庫)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101075212/qid=1109899990/sr=1-1/ref=sr_1_0_1/249-7567347-2564337
医師の著者が往診のかたわら、いまわの際の浅草のヤクザの親分の所に通って聞き書きした評伝。生の言葉って凄い。関東大震災の時の深川、浅草の賭場、刑務所、満州、 吉原、戦後の闇商売・・等々。当事者本人が語る濃密な昭和のアウトローの自分史にして昭和史。映画で見るのとはまったく違う。読みながら、賭場の光景が、下町の湯屋の雰囲気が、満州の処刑場の張りつめた空気が、刑務所で週に一度出るカレーライスの湯気が、ありありと見えるようだ。この本は珍しく正月に兄に勧められて知ったんだけど、知られざる名著と言っていいんじゃないだろうか。それとも既に有名な本なのかな。著者の他の本も読みたくなった。
・「焦痕」(藤沢周著/集英社)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/408774745X/qid=1109899961/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-7567347-2564337
今の加速度的に二極化する現代に、リスクを抱えて生きる様々な人々の、焦げるような怒りと焦り。火傷しそうだよ。そうした主人公の縦の時間軸が、たまたまその空間に居合わせた見ず知らずの他人の現実へとするりとスライドして横へ移動して再び別な縦の物語へ。11の別な主人公の短編が「擦れ違い」という接点で繋がり、続いてゆく「焦燥」の連鎖に、眩暈を覚えながら読み進めてしまう。自己と他者の境界の不確かさを自分のこととしていつの間にか感じてしまうのでした。
私の写真が表紙に使われています。書店で見かけたら是非手に取って下さい。
・「希望格差社会」(山田昌弘著/筑摩書房)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480863605/qid%3D1109900036/249-7567347-2564337
まったく、完膚なきまでに、うわ〜、という感じ。(どんな感じだ!)リアルです。びっちり現実的に揺るぎなくリアルです。(日本語になっていない!)”ニート”の玄田有史さんの本も昨年僕には衝撃的に新鮮で説得力があったけど、この本も・・。「希望格差」というタイトルからして、もうぐうの音も出ないくらいぴったりでリアル。『職業、家庭、教育、そのすべてが不安定化しているリスク社会日本。「勝ち組」と「負け組」の格差が、いやおうなく拡大するなかで、「努力は報われない」と感じた人々から「希望」が消滅していく。将来に希望がもてる人と、将来に絶望している人の分裂、これが「希望格差社会」である。』とカバーの折り返しに書かれている。読み終わって身体の力をどこにおいて歩いたらいいか分からないような、ちゅうぶらりんんな感じに襲われました。でも見えにくい先を見やすくしてくれるこうゆう本というのはありがたいもの。本当に過酷な未来だけど。
今日は娘の誕生日だったけど、この本を読んで朝からニコニコの娘の前でテンション低かったかなあと反省。晩ご飯の「お誕生会」はご近所のORITOさん夫妻も呼んで初挑戦のパエリアとタコの唐揚げ。飲まないつもりだったけど、ワインをたくさん飲んでしまった。
投稿者 Ken Kitano : 10:50
2月28日 ラジオで堀江社長と伊集院さん対談を聞く
録音していた昨日のTBSラジオ「伊集院光の日曜日の秘密基地」を聞く。今週は「日本の未来を予測するスペシャル」という特集で、災害、テポドンが発射されたら・・等々の発生する可能性も含めた様々な角度からの具体的なシュミレーションは非常に分かりやすくて、リアルで面白かった。一番密度が濃かったのは「もしニッポン放送をライブドアが買ったら」という枠の堀江社長との対談。AMラジオ好きとして非常に興味深かった。今話題の株のこととは別に、今後のメデイァのあり方として、たくさんの人に関わってくる問題をとても分かりやすく(めずらしく!聞き手がいいとこんなに伝わるものか!)話していた。これは頭の古いテレビに出てくるコメンテーターのひとも聞くといいのにと思った。冒頭で堀江社長が「なんで放送局とか既存の大きなメデイアはうちみたいな会社を買わないんだろう」というようなことを言っていた。その方がお互いにプラスになるし、また仮に「ライブドアが買わなくても他の同じような会社がいずれメディアを買うでしょう」とも言っていた。言われてみるとそんな気がする。テレビ、ラジオとITとの融合はテレビ側の人は「既にやっているよ」というけど、ユーザー側からするとまだまだできることがたくさんある。枝葉のように細かく細分化された人と人、人と情報、楽しみや価値観を結びつける構造が、いずれもっと求められる時代になるということか。それがいいかどうか分からないけど、いずれそうならざる得ないだろう。その先にあるのは作り手も、その作り手を管理する側も、上から下まで今よりうんと広い幅で絶えず評価され続け、競争にさらされる時代だろう。リスク化と二極化が加速度的に増す今の時代を思うと、いいかどうかは別として不可避なこととして理解は出来る未来だと思う。メデイアだけ昔のままではいられないということでいえばだが。
AMラジオは作り手と聞き手が最も親密で個人的な思いや感情が伝わるメデイア。しかもタダ。ハードも手軽に持てる。ラジオ中毒リスナーとして今後のニッポン放送の動向を注視したい。ラジオはテレビよりは敷居が低いが、これだけ社会が、メディアの受け手が二極化してくると、例えば庶民寄りを掲げている番組のパーソナリティーや作り手が、例えば キー局の正社員だと数百倍から数千倍の倍率を勝ち抜いてきた人たち。いわば「勝ち組」だけで作られている番組のコメントに説得力をまるで感じない人もでて来ている思う。社会の層というかグラデーションのあり方が以前と変わってきているのだ。雑誌や出版ではどうゆう表現がありえるのか・・?(自分の問題)
堀江社長を支持、不支持を服装や言葉の問題で世代間対立という人がいるけど、若年世代のステージを狭めている既得権に対しての支持不支持という側面もあるような気がする。伊集院さんが「堀江さんみたいな権力のある人が言うとシャレにならないんです」と「メデイアを殺す」などの一連の物言いに突っ込みを入れていたのは可笑しかった。言葉の問題が大きいから、社長は是非落語でもお聞きになられるといいのにと思った。
投稿者 Ken Kitano : 09:50
2月27日 奥三河の西浦田楽
静岡県水窪町の祭、西浦田楽に行ってきた。奥三河は花祭り、霜月祭を中心に冬の間数多くの祭が行われる民俗芸能の宝庫。水窪には一昨年の夏にourfaceの取材で水窪町南部の門桁集落の方々の肖像を撮りに行き、この地方の祭りのことを知った。ちなみに折口信夫はこの地域の祭をくまなく訪ね冬の祭りと芸能を研究したという。祭本来の、霊力(タマ)が衰退する冬の時期に夜を徹してこうした儀礼を行うことによって、新鮮な状態に戻ったタマを増やそうとする、魂の浄化と再生の祭だ。人間が古代から脈々と続けてきた儀礼の構造である「タマ」を揺らすことで「ふゆ=ふやす、ふる」祭である。というようなことを中沢新一さんのカイエソバージュ(講談社選書メチエ)読んで知った。ついでに『折口信夫のタマ論のアイデアの源泉となった、(北アメリカ大陸の)北西海岸インディアンの「ふゆ」の祭り』ともカイエソバージュ2巻に書いてあった。西浦の田楽は神社でやるのでもなく、(一応観音堂で行う)神職がいるでもなく(職業神職が成立のは中世からで、それまでは民間人が禊をして神事に当たった。いまでもお党屋制度などのかたちでこうした役割が残る地方は多い。詳しくは今度出る私の写真集を参照されたし。)完全に世襲の能衆(のうしゅう)によって月の出から日のでまで33番の田楽が舞われる。いろいろな祭りを見てきたけれど、こうしたお祭りは初めて。厳粛な中に道化あり、掛け合いで笑わす場面があり、動物の面をつけた踊りあり、鬼が出てくる舞いがあり、と非常に「民衆の手で伝わってきた」という感じのするお祭りだった。見物客のなかに「左官教室」編集長の小林澄夫さんと建築家のさったさんらお仲間を発見してびっくり。お互いに「なんでここにいるの?」という感じだった。奥三河の山奥でめったにお会いしない方と再会するとは。
祭りの始まりは谷を隔てた対岸の山から明るい月が出ると同時。月に対して、火〈太陽を連想させる)をロープウェイのような仕掛けで空中を大きな松明に点火するシーンは不思議な光景だった。能衆が被る烏帽子にも左右に太陽と月が描かれていた。
聞いてはいたが、寒かった。明け方は寒さと眠気で気がつくとファインダーを覗いたまま寝ていたり。見るほうにとっても過酷な祭りだった。来年以降はいろいろと対策を練って見に来よう。
宿で仮眠をとり、秋葉神社によって(びっくりするほど三河全体が見渡せる眺望、立派なお社に信仰の厚さが伺えた。秋葉原の秋葉さま、山の火の神サマでもある)アテにしていた温泉が臨時休業になっていて風呂にも入れず、5時間かけてへろへろになって運転して帰った。祭り取材は体力がいる。
投稿者 Ken Kitano : 09:08