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2005年07月31日
7月30日 浅草花火
11時に上野で編集Tさんと待ちあわせる。碁会所見たいなところでゲーム作者のポートレートを撮りたいということになり、囲碁サロンをロケハン。地図を見ながら4軒ほど覗いて歩く。初めて足を踏み入れたが独特の雰囲気。昭和であった。新しいビルで営業しているところもあって意外だった。こうゆう各地のサロンが囲碁人口を支え、上はプロまで。実に裾野の拾い世界なのだなと感じた。ある店のオーナーが「囲碁はね、礼に始って礼に終わる」と何度も言っていたのが印象に残った。昼は巣鴨の「ときわ食堂」でフライ定食。となりの頭ボサボサおじさんはビールと日本酒を飲みながら、ヘッドフォンで80年代アイドルらしき曲をがんがんに聞いていた。
夜は浅草の花火。以前パンフレットの撮影をさせてもらった浅草橋の某専門学校の屋上で撮影させてもらう。屋根ごしに2カ所で上がるのがよく見えた。
投稿者 Ken Kitano : 07:53
7月29日 プール
午前中雑務をこなす。電話で友人の写真家の落合由利子さんと電話で話す。落合さんは最近本を出版した。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/406213019X/qid=1122762146/sr=1-4/ref=sr_1_8_4/249-7567347-2564337
「絹ばあちゃんと90年の旅--幻の旧満州に生きて」という本で、育児雑誌に連載していたものをまとめたものだ。90歳を越して伊豆に畑仕事をしながら一人で暮らす絹ばあちゃんのところに落合さんが通いながら、旧満州のこと、亡くした子供のこと、引き揚げのこと、伊豆の開墾のことなどを聞いてきた。というと単に戦争中の体験談の聞き書きみたいだが、濃密で絶えず変化する2人の人間関係の中から、時に過酷な体験の話を受け止める落合さん自身の”揺れ”や、時に戸惑いながら、自分の日常を見渡す眼差しに、柔らかい感動を覚える。人の生や出来事を「自分のこととして」受け止めることの大切さと難しさについて考えさせられる。大切なことをその人なりの方法を見つけながら受け継ぐことについて。・・というのは以前読ませてもらった連載の一部を思い出しての感想だが、注文した本が届いて読んでからまた感想を改めたい。書店で見つけたらぜひ手に取って頂きたい本です。写真もいいんです。
午後娘と近所のプールに行く。いろいろやっているうちに顔をつけてばた足で4メートルくらい進めるようになった。前に来たときはビート板と腰に浮きをつけたけど、今日は両方なしで泳げた。この人は前回出来たことに辿り着くまで大変に時間がかかる。顔を水に浸けるまで10分。頭まで潜る練習を10分。手をふちに付けてばた足をするのに20分・・。と、今までこなしてきたステップを迷いながら、怖がりながら順々にこなす。だから調子が出てくるまでとっても時間がかかる。今日は2時間券を買ったのでたっぷり練習できた。次は息継ぎということになるが、息継ぎって難しいよな。プールは夏休みなので小学生が多く、縦横無尽に周りのことを一切気にかけず泳ぎまくるガキ達と、大仏のように表情を変えずにひたすら水中ウォーキングする大きくて丸いおじさんおばさんで溢れていた。
投稿者 Ken Kitano : 07:16
2005年07月29日
7月28日 足立の花火
青山と神保町に納品。ラーメンが食べたくなって神保町のラーメン屋に入ったが、ハズレ。うまくないのにどうして混んでいるのは分からない。
午後大手町のサンケイ新聞社で『our face』の取材を受ける。来週かさ来週のサンケイ新聞文化欄に掲載とのこと。半蔵門線で北千住に移動。降りると駅前は浴衣を着た花火大会に行く人々で溢れていた。久しぶりの花火撮影。花火はロケハンが大切だ。地図を見ながら、花火が上がる方向のおおよその見当をつけつつ、歩き回る。東京の花火の場合は建物に覆われているから何しろぬけるところがない。日々ロケハンして街を歩いておかないとだめなのだが、今日はぶっつけ本番。尾滝橋周辺から町屋にかけて2時間ほど歩くが、ついにいいポイントが見つからず、小滝橋の周辺で移動しながら撮影。打ち上げの直前に地震があったが、南千住で撮影していると言っていた佐藤信太郎は大丈夫だっただろうか?
「溶游する都市」を撮っていたころは時間を作って街をうろうろしていたが、やっぱり日頃から歩かなくちゃだめだと痛感する。とはいえ花火そのものは気持ちがいい。ただ都心の花火は大きなものが上げられない分、細かい技のきかせた花火が多い。個人的にも写真写り的にも丸くていわゆる打ち上げ花火っぽいのが好きなのだが、最近は「模様」だったり、動物の形などの花火が多くなっている。
終わった後、町屋駅まで歩き、とってもいい感じの居酒屋でビールを一本飲んで都電で帰る。
投稿者 Ken Kitano : 09:10
2005年07月28日
7月27日 ラジオ特集
台風一過で気持ちのいい朝だった。朝、散歩途中、家の周りの木々を撮影する。撮影しているうちに一緒に出た娘がいなくなってしまい、蒼くなって捜すが、先に家に帰っていた。ほったらかしにしていたら飽きてしまったようだ。娘に悪いことをしたと反省。
昼間原宿で読者モデルの子の撮影。先日NGになった撮影の仕切り直し。若い編集のYさんが「お忙しいんですよね。こんなお仕事を北野さんにお願いしてよかったんでしょうか?」などと言うので、「とんでもない!細かい仕事でもフットワークよく動きますから、どしどし仕事下さい」と申し上げておく。本が出て仕事が増えるというタイプの写真集ではまったくない。そうゆう誤解はしないで頂きたいものである。敷居は相変わらずとっても低いままです。時間がなくて路上での撮影になってしまった。成り行きの自然光でブツ撮りもしたが、切り抜きなのに絞りが来ない。印刷屋さんに頑張ってもらおう。スナップのあとラフォーレでライブ撮影。
午後シアターガイド編集部でラジオ特集の打ちあわせ。I編集長とライター袴田さんとラジオの魅力と演劇的な切り口を話しあう。話の成り行きで袴田さんと私で座談会をやることになってしまった。いいのか?取材も楽しみである。
夕方船橋の花火大会に撮影に行こうかと思っていたのだが、時間が遅くなってしまったのと車の置き場がないのとで今日の撮影はやめることにする。じゃあ飲もうということになり、袴田さんが家の近所まで来て下さって、うちの家族と共に居酒屋「べにばな」でもつ焼き&ホッピー。
投稿者 Ken Kitano : 08:20
2005年07月26日
7月26日 台風
台風が来ている。朝、娘は「嵐ってなんか緊張するなあ」と言ってた。今朝は仕事で朝10時に銀座集合だった。道は大渋滞。かなり早めに家を出たのに混んでいて着いたのはぎりぎりだった。撮影の後早めに帰宅してシチューを作る。(そういえば昨日はカレーだった。なぜか”煮込みたい”今日この頃なのだ。圧力鍋をもらったことが大きいかも。)
大阪のTさんから展覧会を観てきて下さったと感想のメールが入っていた。もうひとつ、雲の上の大先輩のMさんから本受け取ったかわりにご自身のご著書と感想のメッセージが届く。(読んで軽く泣きそうになるくらいありがたい言葉だった。)ここのところ本は出たものの、何とも手ごたえがなくてちゅうぶらりんな感じだった。知人も「新聞で見た」と連絡してきてくれるのだが、感想などを送ってくれる人は少ない。難解というか取っつきにくい本なのかと、結構後ろ向きになったりしていたが、続けて感想を頂き少し気が軽くなったというのが正直なところ。 写真を撮る人は絶えず「分かって欲しい、知って欲しい」という気持ちと「分かってたまるか、というか簡単に分かったなんて言ってくれるな」という思いがせめぎ合っているものだからしょうがない。厄介な人種である。
幾つかの紹介記事や、反応を受けるて最近思うのだが、写真や本を見る人、読む人に「段階(階段)がある」のようなものがあるのを感じる。どうゆう階段かというと、階段の一段目には「不思議だ」とか「どうやって撮ったのか」とか「似ている、似ていない」的なこと、あるいはよくある「平均、合成」的な話。そうゆう話が一段落して次に「どう気持ち悪いのか」とか「どう怖いか」あるいは「なぜ美しいのか」などの話があって、三段目以降は見る人それぞれに、例えば仏教に親しんでいる人なら般若心経に関連して語るとか、本を読んでいる人だったらユングやサルトル(集団的深層心理など)に結びつけてとか、芝居を観ている人はイッセー尾形さんの舞台に関連づけて語るとか。人によっては「死みたいなものを感じるのはなぜか」とか、”個性”、グローバリズムの話など・・。ある編集者は「この59のセレクションがとっても面白い」という話から深い話になって行った。ところが、その人から例えば書籍担当の人のところに本が行くと、書籍の方はまた「階段の一段目」になる。そうゆう場合の書評はやっぱり「どうゆう写真か?」的な内容で文字数が尽きてしまうようだ。とはいえ関心をもって取り上げてもらえるだけでもありがたいのだが、せっかくだからその先(階段の3段目、4段目あたり)を書いて欲しいのに、もったいないなあと思ってしまう。時間をかけて様々な人からいろいろな言説が積み重なってゆくのを待つしかないかもしれない。またそうゆう長いスパンで、手の取って何か言ってもらえるような写真集でなければ力がないということか。中には階段を一段、二段階段を飛ばして駆け上がっていく人もいる。これは写真の経験値とは無縁のようだ。(一方で階段の一段目で「分かったよ」と引き返してしまうひともいる。) もっとも自分も6年間、少しずつ自分と写真との対話の階段を進んできたわけで、なんでも見て一発で「分かる、分からない」、「いい、悪い」というのではないだろう。 写真を前に思いがけずいきなり本質的な話になる人がいる。写真やアートの経験値とは関係ないようだ。あと自分のこととして『our face』を見る人とそうでない人もいるようだ。『our face』に限らず世の中のことに対しての「自分のこととして感」の個人差というのはかなりあると最近感じる。想像力と客観性の問題か。
高野山のあるお寺さんが「こうゆうものの見方はとても仏教的だ」といって先日まとまった冊数を注文して下さった。昔から般若心経と関連づけて見られるということが、僕の写真は時々ある。自分も小さなひとつの粒子というところから世界を見る。「一と全」をひとつに見てゆくような考え方には親しみを覚える。
・・などとシチューを煮込んでいる間に書いたところで、これから銭湯に行くことにする。
投稿者 Ken Kitano : 21:20
7月25日 どたキャン
某誌の撮影で読者モデルの女の子を撮影するために朝7時過ぎに家を出て車で埼玉の某駅へ。9時半に着いて周辺をロケハンしようとしていたら、編集Yさんから電話。「彼女が朝起きたら目が腫れてて撮影できまないそうです。すみませんが今日の撮影はなしで・・。」とのこと。こうゆうことってたまにある。トホホ。向こうもプロのギャラをもらっているわけではなく、学校やバイトの合間にモデルをやってくれているわけなので、こうゆうこともありえる。仕方ない。新宿の現像屋仕上がりを取りに行くべく車で中山道を走る。池袋の手前で何気なく車のメーターを見ると水温計の針がかなり上の方に。慌てて路肩にくるまをとめる。オーバーヒート寸前だった。水温が下がるのを待ってエアコンを切って走る。夏場の渋滞は危険だ。
早めに帰って、カレーを作りつつ、デジカメのデータをまとめる。マックのOSが古くてニコンのソフトの使える機能に制約があるのとCPUが小さいので遅い。カメラもパソコンもバージョンアップしないと仕事にならないな。早いうちに手を打たなくては。
投稿者 Ken Kitano : 07:08
2005年07月24日
7月22日 an・an
雑誌an・anの書籍紹介に『our face』が載っていた。女性誌の女王に紹介して頂いて嬉しい。たまたま最近会った何人かの知人の女性(30代)が写真集の冒頭の「個性とは幻想である」というコピーにとても反応してくれた。「人と違う存在でありたいこととモンダイ」「私って何?モンダイ」等、自意識の裏表モンダイに、こうゆう切り口の言葉で女性にも触れる脈があるのかなとその時思った。
本来、他人との比較で見えることと、内面の充実で感じる実感とは別。主に教育の場から生まれた者と思うけれど今の奇妙な「個性礼賛主義」は本当にバカらしいと思う。ということをことばできちんと言って通じるようになって来たのは最近のことだ。『our face』をそうゆう「個性の問題」から質問を受けたのは先日の写真の会の会報のインタビューだけだった。
ちなみに今「NEWS」サイトの更新が都合によりストップしているので、これまでに『our face』が書評、書籍紹介記事などで取り上げられた媒体は次の通り。
・anan (7/27号)
・朝日新聞(7/17書評欄・都築響一さん)
・東京新聞、中日新聞(7/10書評欄)
・信濃毎日新聞(書評欄7/10)
・日本経済新聞(書評欄6/26)
・週間SPA!(7/12)
・アサヒ芸能(7/21)
・中洲通信(8月号4頁ロングインタビュー〉
・BRUTUS(7/15)
・北日本新聞、デーリー東北他、各地方紙(書評:時事通信からの配信と思われる。)
・ケラ!(8月号)
・共同通信のインタビュー記事が順次地方紙に配信されるとのこと。
・神社新報(神職の方が読む新聞:7月号書評)
・6/28 FM西東京ラジオ「西東京カフェテリア」出演。(恥ずかしいので本人も家族も聴いていない)
・共同通信のインタビュー記事が各地方紙に3〜6ヶ月の期間に配信されるとのこと。
・写真の会会報NO.57(7/16発行:10頁のロングインタビューいろいろ話しています。会報は一部300円にて購入できるようです。写真の会までお問い合わせを。→soc-photo@iijnet.or.jp)
自分で言うのもなんだけど、「ブルータス」と「アサヒ芸能」に同時期に書評が出る本も珍しいのではないか。『our face』らしくって嬉しい。この仕事は、様々な人から受け取ったものを様々な人に渡す仕事だから。壁が出来て硬直しているメディアの状況に対して痛快な気がする。最近はファッションでもドキュメンタリーでも細かいジャンルに幾つにも分けられ、1つのイメージが幅広くジャンルを越えて行き来するということがない。思えば森山大道さんや荒木経惟さんは以前は「写真時代」や「噂の真相」などのコラムから、一方で世界の超一流の美術館で展覧会をやる。そうゆう写真のあり方って凄いと思う。表現する媒体の上下を付けたがる人がたまにいるけれど、幅広い人に伝わるポテンシャルがあったほうがカッコいいと思うし、一枚のイメージがそうゆう様々なジャンルの行き来をして、様々な議論が起きたり、言葉が生まれたら、そうゆうことって豊かなことだと思う。期待するけどな。
投稿者 Ken Kitano : 17:47
7月21日 かぶとむし
娘の学校がえり(学童に行ってくれている)に夕方一緒に近所の玉川上水沿いを歩くと一匹や2匹カブトムシがいる。今年はカブトムシが当たり年みたい。クワガタは少ないがカブトムシはやたらにみる。地面を見ていても50メートルにひとつくらい、からすにお腹だけ食べられたカブトムシの頭がよく落ちている。不思議とオスばかり。オスののほうが美味しいのだろうか?蝉はいつもより少ないみたい。年によってそうゆう波はあるみたいだ。娘は最近男の子と一緒に虫取り行く約束をしたりしているようだ。
親の方は(自分だけど)はヒマである。夕方エロ雑誌編集者の笹目さんと電話で話していたら、新聞とかメディアに名前が出たりすると、普段仕事を出して入編集者が細かい仕事とか安い仕事を頼みずらい空気ができることってありますよね、という話になる。笹目さんの知人で最近AV監督としても活躍されるようになってきたライターさんがいらして、その人には以前みたいに細かい風俗の取材などを頼みずらい空気が出来たという話もあった。案外当人にとってはそんなこと一切ないということもある。私はといえば「撮って日銭稼いでなんぼの生活」です。細かい仕事でも安い仕事でもフットワークよく動きますから、どしどしご連絡下さい!!とここで申し上げておく。
仕事に限らず本がでたということもあるけれど、最近何か一段落ついてしまった感じがしなくもない。長期的にもやりたいこと、やるべきことは山のようにあるので、へこんでないでどしどし動かなければ。
投稿者 Ken Kitano : 17:28
2005年07月20日
7月19日 日記復活
写真集が出版されてからすぐにトラブルで日記が更新できずいた。
思えば日記以外にもウエブで更新すべきところがあちこちある。いいかげん自分でやらないとと思い、久しぶりにDreamweaverのテキストを読みはじめた今日この頃である。先は遠い。
本が出てから、豊中の友長さんのお陰で大阪で写真展が始った。徐々に本の反響も頂くようになった。新にいろいろな方にお会いしたし、いろいろ感じたこともあるので書くべきことがたくさんあるような気がするが、思い出せないので、明日以降徐々に書いて行くことにする。
7月17日の朝日新聞書評で都築響一さんが取り上げて書いて下さっていた。さすが見巧者だなと思った。(大変おこがましい言い方ですみません。)本を見ていない読み手に、イメージの階段を一歩も二歩も登らせるような書評に思えたからです。『our face』は言葉で説明すると難しい写真。今まで出た書評の中には「どうゆう写真か」を説明するだけで字数が尽きるようなことが結構あったから特にそう思えるのかも。正直、嬉しかった。
この仕事は一枚の写真を見てもらうのにも何段階も必要みたい、と最近思う。基本的には写真だし、どう見てもらっても構わないのだが。ましてや全体の構造をイメージしてもらうには読み手に何段階も階段を下りてもらうようなことなのかもしれない。基本的には写真だし、どう見てもらっても構わない。でも時間をかけていろいろな言説が積み重なるとしたらそうゆうのを期待したい。意外だったのは仏教的な視点で見てくれる人が結構いたこと。そうゆうひとは階段を何段か飛ばして一気に進む。ひとつのこととして「個と世界」を見るようなところがあるみたい。先日取材を受けた共同通信の方のも般若心経の話から始った。高野山のあるお寺さんがまとめて本を注文して下さった。そういえば今までも普段写真やアートと接点のない方が真っ先に興味を持ってくれた。
朝日の記事を読んだ何人かの知人から連絡をもらった。書店さんの注文も少し入ったみたい。ヨカッタ。
投稿者 Ken Kitano : 10:49