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2005年12月28日

12月28日  う〜ん、

昨日とちがって、今朝は娘は、パクパクたらこでご飯をたべて、着替えもわりと早かった。あんまり早かったので一緒に散歩してから学童へ。子供がごはんをたくさん食べるということほど、心温まるシアワセなことはない。
ご近所の「きむらっち現代美術研究所」のさっちゃんに展示の撮影を頼まれたので、午前中カメラをもってでかける。日曜日にも「市報」の表紙の撮影を頼まれた。地元の仕事が続いていて、なんとなく面白い。いろいろ話しながらデジカメでさっちゃんの展示の撮影をする。今回の彼女の作品は限りなく曖昧な存在である透明なもうひとりの「私=ゆうれい」と出会い、ともに過ごし、踊り、添い寝することで感じた「とても納得できるもの」を起点にしている。あるところ写真と似ている。写真の場合は、世界とコミットし、他者や現実と出会い、その過程で自分の中に他者を発見したり、自己の不確かさを他者との関わりの中で発見することで、確かさにたどり着いたりする。特に僕の場合はそうだ。曖昧な自分ときちんと向き合うプロセスに他者が大きく関わっている。(だから、写真の場合は、じぶんでっかちな自己愛写真も、ある程度他者や世界が介在して成り立っていることが多い。どんな他者や世界かはいろいろだが。)その辺、今回の彼女の作品のなかでの「他者」はどうなの?という疑問をぶつけてみると、「ゆうれい」は実は、作者以外の人の自己も投影してもらえられる存在になればということだった。なんとなくわかるような気もするが、見に来た他者としては、いまひとつそうゆうふうにノレない感じがしたし、その辺がまだクリアでないかんじがした。この「他者モンダイ」は彼女の次回作へ継続してゆくようだ。撮影のお礼にラーメンと餃子をおごってもらう。
午後は暗室。以前から「our face」をフルアナログでの完全手焼きプリントでポートフォリオを作ろうと以前から思っていて、その作業に入る。「our face」は初期の作品は完全にすべてて焼きで焼いていた。作業でのリスクを減らすのと仕上げの微調整をしやすくするために、現在は最終的にラムダ出力で仕上げている。(とはいえ、3141人を全員暗室の中で手作業で焼き付ける作業には変わりない。一発で仕上げずに、数十人単位のプリントを手作業で仕上げてゆき、それをレイヤーを重ねる方法でリスクを減らしている。)バライタで完全手焼きでどこまでクオリティーのあるプリントができるか、じっくりやったみようと思い、作業を始める。とはいえ、久しぶりにやってみると1枚のプリントを仕上げるための手順表だけでもかなりの作業工程だ。されにネガの条件やトリミングも千差万別で、焼き始めたら途中で16×20のサイズが物理的に焼けないことが判明。撮るほうも結構ぎりぎりで撮っていたのだなと改めて思った。プリント作業の効率化とミスをしない工程作りを再考する必要があるようだ。何しろ一枚焼くのに2.3日かかる上に、細かい失敗一つで全部オシャカになってしまう。どう集中力を持続させるのかがそもそもの課題。こりゃ時間かかるな。

投稿者 Ken Kitano : 20:52

12月27日  

 朝、娘の期限がものごっつう(九州の方言)悪い。「家出したい」、「おきたくない」とか「つまらない」を連発。タチの悪い酔っぱらいみたいだ。服を着るのに40分。靴をはくのに10分という感じで、始まりの時間を15分すぎて学童に出かけて行った。体調が悪いのだろう。冬休みになっても学童にいってもらってごめんよ。
  乾燥させていたプリントを取り込んでスポッティング。先にお金をもらっておきながら、長らく待ってもらっていたmさんに宅急便で発送する。出張中も気になっていた件が済んで、これで一安心。午後、熊野写真の再セレクト。打ち合わせの流れで「それだったら、この写真はどうですか」的なことがすんなり言えるよう、全体像を把握するためにももう一度見渡す。
 夕方みんな帰ってきたので車で新しくできたイトーヨーカ堂へ行く。たまに広いスーパーに行くのも悪くない。

投稿者 Ken Kitano : 01:07

2005年12月24日

12月23日 きむらっち現代美術研究所

出張の疲れが残っていて、体が重い。うちの奥さんも忙しかったようだ。家の中になんとなく疲労感がただよう気がする。大丈夫か我が家は。もうすぐクリスマスなのに。こうゆうのは伝染するみたいで、娘もテキパキ感がまるでない。風邪ぎみだ。
お昼に近所の現代美術作家さっちゃんの展覧会へ行く。彼女は「きむらっち現代美術研究所」という場所を作り、定期的に作品やパフォーマンスを発表している。http://homepage3.nifty.com/yoursong/GST.html//a>

「遠いものに近づきたいからどんどんからだがとけていく。でもここで生きると決めた自分は、なまなましく不透明だ。とけてるようでとけてない、透明であって透明じゃない私をどうも解釈できない。」と解説テキスト。「ゆうれい」というタイトルの今回の展示は、透明な「私」と不透明な「私」が向き合い、手を取り合って、ゆったりとしたリズムの曲を踊ります。実際にはビニール素材でできた透明な「私」とさっちゃんがダンスを踊る映像とインスタレーション。実物の「ゆうれい=透明な私」の向こうに微動だにしないもうひとりの「不透明な私」がいる。(たぶん展示時間の3時間は彼女は微動だにしないのだろう。透明な私と不透明な私には距離や重さの低重は感じられない。)それで、そんなふうにゆらゆら自分同士「ふたり」で踊ることで「すごく納得がいく」といいます。
 自分の透明だから見えにくいし形にならない不確かさをはっきりと現して、そうした自己と向き合うという態度を僕は美しいと思います。僕の場合は自分の肖像に様々な無数の他者(結果的に3000人以上になった)を重ねて溶かした自己と、改めて向き合うというところから始まった。(僕は一緒に踊ったりしなかったけど。)そして僕の場合も輪郭を薄なって、曖昧さそのもののような肖像の中に、そこに確かな自分を(安堵を)感じたことが大きな出発点になりました。(同時に自分のなかの無数の他者、自分でないともっているものが自分の中にあるのも感じられて、そのこともまた確かさへと繋がっているわけですが。)ご近所のささやかなスペースで、切実で気持ちのいいものを感じて家にもどりました。最後の透明な私(=ゆうれい)  に不透明な私がキスをするシーンはすてきでした。それとパフォーマンス中でもうひとりのさっちゃん(動かない方)お疲れさま。何となく後ろ姿に孤高な戦う人の姿とやすらかな安堵のようなものを、勝手に感じました。よかったですよ。今回の展示。
(門外漢がゆうのも失礼だけど、こうゆう方向で”ふたり”に完結させない方法ってないのかしら。僕はそうゆうことに興味がわいでしまいます。)
 昼に残っていたカレーにオイスターソースとケチャップとチリと胡椒で味を整えてワシワシ食べる。午後、町田の中古車屋さんで契約をして、長年苦楽をともにしたグロリアワゴンちゃんを引き渡す。グロリアちゃんお疲れさま。代車で借りた黄色いスターレットで銀座へ。博品館で買い物。今年も我が家へサンタさんが来る準備が整ったようだ。
 

投稿者 Ken Kitano : 10:55

12月22日 雪の熊野

朝起きたら新宮の町は晴れていた。全国的に雪だそうだから、国内で雪がふっていないわずかのエリアに、たまたまいることになる。9時半に車で本宮に向けて出発。途中すれ違う車が雪を積んでいる、と思っていたらやっぱり途中で降り始めた。用心しながら走って本宮着。本宮には何度も来ているが、雪の本宮大社は趣があるので少し撮る。宮司さんのインタビュー。午後は龍神村に行く予定だったけれど、断念。年明けにもう一度くることになりそうだ。帰りは早めに白浜に向かうことにする。雪はないが遠回りの海沿いで行くか、確実にチェーンが必要だが距離の短い山沿いルートで行くか迷う。海沿いだと夜の飛行機にぎりぎりだなので、山ルートをゆっくり行くことにする。中辺路町でチェーンを付ける。今回の取材では高野山と2度目のチェーン装着。手際よくなった。時折吹雪くなか、カーステレをで志ん朝の「文七元結」を聞きながらゆっくり走った。南紀白浜空港で編集Iさん、Hさんとお疲れさまビール。途中から熱燗になり、\さらに飛行機が遅れたので、お銚子がずらりとならんでしまった。このメンバーはよく飲みます。数年前から熊野で本を作ろうということになったものの、ようやく通った企画は完全古道ガイドブック。重層的な文化をもち、多様な顔をもつ土地なので、ぜひ他の切り口の本も作りたいと思う。
11月から東京にあまりいなかった。年末だというのに、年越しらしい準備も行動もまるでしていない。というより東京で固唾家なければならない仕事が山積。お正月くらいは暗室と撮影にあてたいものだ、としみじみ思う帰り道。

投稿者 Ken Kitano : 10:36

2005年12月21日

12月21日 新宮

またまた熊野に来ている。
今回は関空から最初に高野山にはいった。高野山は寒かった。静かだった。雪の高野山もいいものだと再確認。空気は冷たいけど人は温かい。あちことちでおもてなし文化を感じました。
翌日は紀伊大島で京大の梅本先生(植物学)のお話をうかがう。プレートも数千年万年前に南から動いてきてできた半島。植物も黒潮で流れ着いた種がある。人も文化も黒潮によって南方から流れてついたり影響をうけている。地質も植生も人の文化も似ていて面白い。こんばんは新宮伯。

投稿者 Ken Kitano : 22:39

2005年12月19日

12月18日 「日曜日の秘密基地」

 終日自宅で作業。昼間、鶴川まで中古車屋さんに車を物色しに行く。18万キロ乗っている今のグロリアワゴンがとうとうやばくなってきた。この秋は、機材やパソコン関係など機械類デジ類の故障が相次いだが、最後に車の故障が来た。修理しつつ乗ってきたが、そろそろなようだ。思えばよく走ってくれたよ。
 家に帰ってラジオ「日曜日の秘密基地」を聞きながら仕事。日曜日にラジオが聞けるのはとても嬉しいです。明日からまた熊野行きなので、手のかかったおいしいものを食べておこうということになり、ジャッロにイタリアンの夕食に出かけました。前菜をつまみつつスパークリングワイン。エビのリゾット、貝たくさんのパスタなどをおいしくいただく。
 明日は4時起き。最初は高野山方面なので防寒の準備をしっかりする。最高気温マイナス2度だって。和歌山県はラジオがほとんど入らないので、レンタカーの中で聞く落語&音楽の MD,CDの準備もします。枯木灘を見ながら志ん朝の「井戸の茶碗」。中辺路を走りながら「文七元結」。

投稿者 Ken Kitano : 00:14

2005年12月18日

12月17日 釣り

 妻が留守なので娘と過ごす。ここのところ土日は毎週出張と重なって留守だったので久しぶりに二人でお出かけすることにする。新聞やさんに割引券をもらった西武遊園地に行くか、市ヶ谷の釣り堀に行くか相談の結果釣りに行くことにする。電車から見える市ヶ谷の釣り堀は、昔から知っていたけど行ったのは初めて。金魚のミニフィッシングをすることにする。行き交う電車や車を見ながら釣り糸を垂れるのは実に気持ちがいいのだ。金魚はアタリの感じが軽くて分かりにくいのだが、えさを眼で見ながらすっと引くと結構簡単に釣れた。娘も一人でえさをつけて釣っている。40分くらいで11匹釣れた。これで800円は安いです。4匹まで持ち帰れるというので元気そうなのを選んで袋につめてもらう。
 帰りに昨日乗れなかった後楽園の観覧車に乗って帰る。観覧車から見下ろす東京ドームの屋根の上を、点検だろうか、人がふたり歩いているのが小さく見えた。
 

投稿者 Ken Kitano : 07:50

12月16日  夜のドライブ

 家で仕事。3時に学童クラブへ娘を迎えに行く。最近は物騒なので極力迎えに行くようにしている。妻が仕事で栃木に泊まりで行っているので、久しぶりに娘とふたり。学校からもって帰ってきた、「せいかつ」の時間に作った「おうちのひとのしごと」を見せてくれる。「おとうさんのしごと」は「しゃしんをとる」、「パソコンでしゃしんをみる」、「ふとんをあげる」、「さんぽ」と書かれていた。
 夕方車で以前勤めていた写真事務所の同僚で、スタジオ「glowz」 の山ちゃんこと山田君のところに車ででかける。
http://www.glowz.com//a>久しぶりに行ったglowzはますますデジタル機器が充実していた。山ちゃんはアシスタント時代からデジタルの勉強をこつこつしていた。もともと写真がうまい上に勉強熱心だから、こうゆう人は強力だ。最近の仕事をみせてもらったら、服やジャケシャなどかっこいい仕事をたくさんしていた。いろいろデジタルの情報を聞く。外付けのハードディスクに3時間ごとに自動的にバックアップをとるようにセットしてあり、常時多重バックアップしているそうだ。ハードディスクは完全に消耗品とのこと、(そうなのか!)。勉強になる。
 やまちゃんと奥さんと僕と娘の4人でカレーを食べてから、娘の大好きな夜の首都高をドライブ。後楽園の観覧車に乗ろうと思って行ったら9時で終わっていた。イルミネーションを見て帰る。

投稿者 Ken Kitano : 07:26

2005年12月16日

12月15日 伊勢屋→ハモニカキッチン

 寒い。北側の仕事部屋でヒーターを体に近づけて夕方まで作業。大量の熊野の写真の整理。熊野古道のルートごとにおおまかにセレクトしたものをまとめる。ポジのセレクトと切り出しだけでも数日かかりそうだ。来週の熊野取材までにデジタルのデータの整理もやっておかなければ。データは出張にもっていっているノートパソコンに撮影したその日のうちに落としている。それをcdに移してバックアップにするのだが、同じソフトを使って書き込んだデータなのに、 cdによって家のマックで開けたり、開けなかったりする。どうゆうことだい!?ここ数日煩雑な事務処理やデスクワークに追われて落ち着かない。撮影に行きた〜い。でもこの状況では当分望めそうにない。(イライラ。)腹いせに駅前に請求書とクリアファイルを買いに行ったついでにブックオフで浦沢直樹の「ブルートゥ」第1巻を衝動的に買う。面白い。
 夕方吉祥寺へ。先日出た清里フォトアートミュージアムの会報のインタビューを読んで奇特にも僕に会いたいと言ってきた慶応大学院で建築・都市デザインを専攻しておられる夫徳柱さんに、KMOPA広報の小川さんのご紹介でお会いする。伊勢屋本店でビール&煮込み、焼き鳥。夫さんは都市デザインのことや様々なことに取り組んでおられる方だった。在日三世の立場からフィルドワークや執筆もされているようだ。夫さんが鶴見川の橋の上の空間を利用して行おうとしているイベントのことなど興味深かった。架け橋、中間領域、どこにも属さない場所、道(線)の一部としての「橋」に人が集まって何かするということ。橋の話をきっかけにourfaceのコンセプト、対馬の話、沖縄、大正区の話、在日ブラジリアンなどに話題が及ぶ。夫さんは写真集の感想と疑問をたくさん用意してきてくれていて(そうゆう人に初めてあったけどメモまで書いてきていた)、「our faceプロジェクトはグローバリズムを解体しておいて、実は作者自身という新しい別の中心をこしらえているだけではいか?」など、至極真っ当な(何で今までメディアのインタビューでされなかったんだろうという?と思いますけど)問いかけなど、とても新鮮だった。楽しかったです。
 夫さんは度々、「(ご自身が何か)やろうとすることはいつも死と生の間にあって、北野さんの写真を見ていると死に対する恐れみたいなものを感じる」というようなことを言われた。タナトス的なことは鈴木一誌さんはじめいろいろな方から言われるのだが、具体的に自分の中では死についてはどうなんだろう?よくわからないが、ここ数年子供が生まれてから大きく変わってきているような気がする。 自身の死、海の向こうの誰かの死、身近な人の死、大勢の死、足下の累々たる死・・。死といっても様々。ただ向き合おうとするとどれも繋がっていて、考え始めると近づいてくるような気がしてしまうので、ある時期からきちんと向き合わないようにしているような気もする。(一方でエロスについては、 KMOPAの会報インタビューで雑談的に挙った森山大道さんから頂いた感想を小川さんがいい話だからと、了解を頂いて掲載したのだが、そのなかにエロスという言葉を使った部分があって、そのことは何人かの方からメールを頂いた。森山大道さんから頂いた言葉は軽く泣きそうになったくらい、本当に励みになります。)
 伊勢屋があんまり寒いのでハモニカキッチンの二階に移動して、焼酎のお湯割り。話していたら夫さんが高校の後輩ということが判明。高校の近所の「長楽」(中華料理屋)のポークライスの話などで盛り上げる。
林君もですけど建築を勉強している人は若くて優秀な人がいますね。

投稿者 Ken Kitano : 10:13

2005年12月14日

12月13日 写真整理

午前中は出張の経費の精算で終わる。昼に新潟出張で農家のおばあさんに頂いた大量の野沢菜をどっさりいれてチャーハンを作って食べる。夕方まで熊野写真のセレクトと整理。ノートパソコンに落としていたデジカメのデータをdvdにバックアップするが、2回に一回くらいエラーしてすんなりコピーできない。原因不明。久しぶりに家で夕食。昨日風邪で学校を早退した娘は「ダルい」といいつつ食欲旺盛なので一安心。

投稿者 Ken Kitano : 00:17

2005年12月13日

12月11日 またまた熊野

今週も熊野に行ってきました。今年何回目だろう。6.7日と三越劇場の舞台を撮影して、そのデータ整理が翌朝出発ぎりぎりまでかかっても終わらず、際どかった。二日続けて完徹してそのまま車で羽田へ。熊野についても初日はボワーっとしていた。秋深まった感のある熊野は旅行者も少なくなっていた。龍神村から上の方(高野山方面は)雪で通行止めだった。熊野は至る所に良質の温泉がある。小栗判官の伝説が生まれるのもうなずける。

投稿者 Ken Kitano : 09:05

2005年12月06日

12月5日 家で夕食

昨日から新潟に行っていた。泊まった宿が温泉だったのがよかった。
雪なので車ではなく新幹線にした。帰りの新幹線は二階建てのMAXたにがわ。狭くて機材を持って階段を通るのが難儀。日本の鉄道は改札からして狭すぎる。東京に着くと佐藤信太郎から電話。そうしよう。そうゆうことについて、高橋さんとこんどゆっくり飲みながら話しましょう。(突然脈絡ないですが)
8時頃に帰宅。覚えていないくらいぶりで家で夕食。ビールがおいしいです。
新潟も寒かったけど、我が家も寒かった。(室内が。)特に台所のある北側は家の中なのに外みたいに冷える。
風呂で「街場のアメリカ論」(内田樹著)を読み始める。

投稿者 Ken Kitano : 09:08

12月3日 一時間目「小松政夫」→二時間目「立川談志」

山歩き、長時間移動、睡眠不足の熊野の疲れが抜けぬない。撮影済みフィルムの袋をサンタさんのように肩から背負い現像屋へ。その足でもう一件、堀内で上がりをピックアップ。出張に行くと、24時間その仕事のことでいっぱいになるので他のことが考えられない。ここのところ、自分の写真を撮る余裕がまったくないので、駅で電車を待っている間、焦りと虚しさが入り交じったような、どよ〜んとした気持ちになる。それにも関わらず、昨日に引き続き出張の合間の今日も劇場へ。銀座博品館劇場で小松の親分こと小松政夫の舞台。ライターの袴田さん、シアターガイドの川添さんとご一緒。続いて3人で三鷹に移動。市民公会堂で立川談志独演会。ずいぶん前に買っておいた。前座なしの最初から家元登場。「蔵前駕篭」と「紺屋高尾」(字あってるか?)の2席を聴けて満足。三時間目は三鷹の加賀屋でホッピー。いろんなことがすっきりしないまま足を運んだが、立川談志は聴きにいってよかった。

投稿者 Ken Kitano : 08:51

12月2日  サザンシアター「天切り松」

熊野ロケの疲れがとれないまま、体を引きずるようにして新宿サザンシアターへ。オールスタッフのNさんにご招待いただいたミュージカル「天切り松〜人情闇がたり」を観に行く。浅田次郎原作、左とんぺい主演の舞台。年老いた夜盗の松(左とんぺい)が、江戸情緒残る大正の盗人たちの心意気やエピソードを留置場で語って聴かせる筋立て。響くような、シャレとダンディズムに富んだ、左とんぺいの江戸言葉(というのか?)が最後まで気持ちよかった。ミュージカルだけど、じっくりと声を聴かせてくれる芝居だった。パンフレットの冒頭に浅田次郎が書いていた。
〈まずまっさきに言葉が沈んだ。すこぶる地方色の濃い江戸方言は、下品な言葉とされて学校でも矯正され、--中略---当然のことだが、言葉とともに気象も喪われた。---中略----まさしく、心は心である。〉
既に言葉が「喪われた」世界で生きる我々はどうしたらいのか、という思いも浮かばないではない。が、時折、水の底を覗くように、深い言葉の世界に眼と耳をこらすしかないかもしれない。言葉は本当にすべてだ。言葉はアイデンティティー。常に濃密さが喪われて、希薄さのなかで生きるしかない私たちは、「希薄さのアイデンティティー」のようなものでもこしらえながら前に進まないと、まったくもって今を越えられないだろう。
写真を撮りたいよ。(自分の写真の方ね。)
今はまったく時間がとれない。焦る。

投稿者 Ken Kitano : 08:19

2005年12月02日

12月1日 熊野から帰りました。

一週間、熊野古道を歩きました。また海と山の間を激しく車で走り続けてきました。(ほんとによく走った。)
十津川村で見た満点の星空。そしてその星明かりに照らされて眼下に広がる雲海が、印象的だった。
古道の本というだけで、どんな本になるのかさっぱり分からないけど、いろいろ見て撮ってきた。
くたくたです。

帰宅したら、机に重なっていた郵便物の中にニコンからのdm。
知人の土屋郁子さんが三木淳賞を受賞した。土屋さんおめでとう!

投稿者 Ken Kitano : 09:17