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2006年02月26日
2 月25日 our face撮影イベント/青山ブックセンター
今週と来週、 渋谷の青山ブックセンターで写真展をやっていて、今日は撮影イベントの初日だった。店内で希望の方の撮影をして、後日「青山ブックセンターに本を買いに来た人○人の肖像」を制作してプレゼントする企画。15時から始まったが、その時点でそもそも店内に人影はまばら。誰かくるかな〜、誰も来なかったらさびしいな〜などと思っていたら、ぽつりぽつりと撮影に参加する人が来るようになった。(ヨカッタ。)時々店内でイベント告知の放送が流れるのが少し恥ずかしかった。夕方になるにつれて店内も混んで来た。ポータルサイトのエキサイトの小ネタで先日取り上げられたのを見て来た人や、書評などで見かけて本は買ってないけど前々から気になっていた、という人が多かった。写真やデザイン、建築をやっている若い方が多かった。店内が広いので写真の前でお話もできてよかった。撮影は26日(日)と3月4日(土)にもやっているのでぜひお越し下さい。時間は15時から18時まで。無料です。写真集を買っていない人でもokです。
詳しくは→
エキサイト小ネタでも→
投稿者 Ken Kitano : 08:00
2006年02月21日
2月20日 設営・雨・まっちゃん
朝8時に青山ブックセンター。編集の浅野さんが手伝いに来てくださり、一緒に写真展の設営。案外壁面が広く、スペースがスカスカ余る。壁と壁の間も空いている。一旦家に帰ってポスターを作る。夕方一件納品してからポスターを貼りに雨の中再びブックセンターへ。ポスター貼ったら少し落ち着いた。今回の展示は以前プレイスMの展示のために作ったプリントなので、高さとサイズとかはややあってない感じだけど、まあ仕方ないだろう。
本を少しでも手に取って買っていただけるといいのですが。
写真集売り場はいろんな写真集があって、片っ端から見てショック受けたり買いたくなったりするので、精神衛生上よろしくない(本当はよろしんだけど)。海外の写真集はここに並んでいる今時点、すで”古典”なわけで、いま海の向うの連中が撮っている写真、あるいはこれから撮ろうとしている頭の中のイメージは、それよりずっと先を行っている訳で、それを考えると、もういてもたってもいられなくなる。「何やってるんだおれ」感が押し寄せて来て、マイる。
電車で国立へ。最近始めたミクシィで再会(?)し、お互いホッピーが好きだと知った弁護士のmさんと3年ぶりくらいで会う。mさんはご近所でしかも、our face弁護士の肖像取材でもお世話になった方。「まちゃん」で煮込みをつつきつつ、最近のIT詐欺の話や銭湯と藤森照信さんの話など。楽しいです。
帰ってTBS「アクセス」を聞いていたら武田徹さんとえのきどいちろうさんが「葬式で携帯で写真を撮る人が増えている」ことについてリスナーとトークしていた。前に武田さんとお会いしたときに、メディアから肖像が消えていることについて立ち話をしたのを思い出した。個人の肖像は個人のものであって個人のものでない部分もそこにある、ということがいま語りにくくなっている。個人というのは本当は曖昧でかつ相対的なものでもあるのだ、と思う。でもこうゆうことを言うのは難しい。さらに、写真を撮ること撮ったことのためらいや葛藤、つまりは「写真との対話」について語られることが少なさすぎる、気がする。世の中一般に。
投稿者 Ken Kitano : 00:31
2006年02月19日
2月13日 個展準備
20日から渋谷の青山ブックセンター本店でやる写真展の準備。設営の道具類も一応準備。今回は書店さんでの、写真集と一緒に実際の写真作品の一部も見てもらうというもので、いわゆるギャラリーでやる、きちんとした写真展は夏頃に予定しています。今回は撮影イベントもする予定。希望の方に実際に写真に重なって参加してもらう予定だが、果たしてどのくらい人が来るのだろうか?。お近くにお越しの方は無料なのでぜひお立ち寄りください。24.25.3日の夕方です。
土曜だけど娘には午前中だけ学童にいってもらった。(文句ブーブーだったけど。)お昼に近所にある大学のカフェテリア(結構落ち着いていてよい)に散歩がてら昼飯を食べに行ったら、閉まっていてがっかり。仕方なく近くのラーメン屋でラーメンを食べていたら、ご近所のOさん一家といっしょになる。Oさんちは春から保育園にいけることになったそうだ。よかった。それにしても保育園へ入れるかどうかがこの時期にならないと発表にならないというのは、まったくどうゆうことだ。仕事を探すにもやめるにしても、まったく現実に即していないよ。
午後撮影にでかけようと思ったけど、天気が中途半端なのでやめる。
今みたらアクセス数が増えだした。どこか大きいサイトからリンクが張られたみたいだ。
投稿者 Ken Kitano : 11:07
2006年02月17日
2月16日 加藤典洋講演/ニコンサロン
今週入っているたった一本の仕事(ヤバ!)の撮影でお昼に赤坂へ。某映画監督の撮影を待つ間、となりでインタビューは、日本の戦後論に話がおよび、聞き耳を立てる。ついでに人間の欲望は一度体験したものに向かうということを話しておられ面白かった。見たこともない映像、なんかより、一度得た体験や快感やイメージ(あるいはその延長)を見せるのが映像の仕事という話は同感だった。
夜、銀座ニコンサロンで加藤典洋さんの講演を聞き行く。ニコンが定期的に開いている「銀座ニコンサロン公開講座」の10回目。毎回講師がよくてしかも無料。以前聞いた中沢新一の講演も面白かった。次回は6月に作家の宮内勝典だって。ニコンさん今後もぜひ続けてください。詳しくはニコンのホームページで。
で、加藤典洋さんは本を読んで流れるように話すイメージを勝手にもっていたけど、案外とつとつと話す方だった。「一巡して目てくる戦後」というテーマだから範囲が広く、かなり駆け足の内容だった。冒頭憲法と靖国ことも触れたけど、面白いのはやはり日本人の二重構造の話だった。「靖国とアキバ」、「映画とバラエティーの北野武」、「保守と革新」の互いに補完しあっている構造。「敗戦後論」とかでおなじみの加藤典洋論。
一番興味深かったのはその延長に見えてくる「かわいい文化が世界でなぜ広く受けいられているか」という話だった。民主化”され”つつある国々(グローバリズムですね)に日本の「かわいい文化」が世界中に広く受け入れられいる状況につて、またカワイイ文化が日本で生まれた背景と戦後についての話は、政治的なこと(大人的、父権的なこと?)をアメリカに預けてもなお国としてあり続ける日本という国の母性の強さを思わずにはいられなかった。大人的なもの(政治)を取り上げられた日本の、沈黙と反抗としての「かわいい」(=もの言わぬ、肯定も否定もしない、はにかみの表情へと通じる。神楽の「べしみ」面の表情であり、あれってour faceの表情じゃにの?)文化が世界に普遍性を持ち始めているとしたら、グローバリズムを押し進めようとしている人たちは、そうした「かわいい文化」を脅威に感じて排斥するようなことはおこらないのだろうか?とふと思った。
ディズニーなんかがサブカル的な分野まで手を出していろんな版権買っているのはそうゆうことの裏返しなのだろうか?
投稿者 Ken Kitano : 10:24
2006年02月15日
2月14日 原稿
「コの字」居酒屋の原稿が思いのほか進まない。書きたいことはあるのだけど、分かりやすい言葉でうまく着地しない。ワンテーマで3000字という字数も不慣れなせいかペース配分が難しい。日頃多いのはワンテーマだと1600字くらいだからだろう。午後に一応書き上げて和田さんに送る。ちなみに僕は自分で書いたものを一旦プリントして紙で鉛筆片手で読まないと頭に入ってこない性分だが、プリンターが修理中なのでそれができない。モニター見ながら、なんかひとの文章読んでいるみたい。それにしてもホッピーのことを飲まずに書くだけというのは、ちょいとしたゴーモンだ。飲みに行きたいホッサにかられる。
そのあと、ホームページのリニューアルの計画を考える。海外からのアクセスもあるみたいだが、英文を用意していなかったのはもったいなかった。以前英訳したテキスト類をひっぱりだしたりする。ついでにブックセンターでの写真展のテキストボード類も作る。夕方コピーをとりにコンビニに行ったら、陰のない日溜まりのような春の暖かさだったので不意をつかれた。
娘はバレンタインのチョコをともだちの家に回って届けに行って来たらしい。なんか大変な行事になっているな。何年生まで続くのだろう。夕方和田さんから原稿の一応のokをもらう。
矢作俊彦著「悲劇週間」を読み始めた。めちゃめちゃ面白い。外交官の父に呼ばれメキシコに渡った堀口大学の青春を描いた長編なのだが、同時代の登場人物との関係がリアルで面白いし、人の輪郭がくっきりしている。新潟、東京、ハワイ、メキシコと当時の場所の描写が忠実に撮った映像を見ているみたいにみずみずしい。まだメキシコについたばかりだけど、読んでいてまたまたメキシコに行きたくなった。
投稿者 Ken Kitano : 08:29
2006年02月13日
2月10日 門前仲町「だるま」
修理から戻ったプリンターのに調子が悪い。横線のムラが消えない。青山ブックセンターの写真展のポスターを今日中に持って行きたい。なんとか見られるくらいに出力する。エプソンに電話で再調整を依頼したら無料で取りに来てくれるとのこと。
夕方ポスターを窓社に持って行く。月がきれいだ。明日の夕方は撮影に出たい。その足で門前仲町の「だるま」へいく。「中州通信」の和田さんに「コの字」の原稿を頼まれたので打ち合わせを兼ねた飲み。久々のだるまは大盛況。熱燗をやかんで高い位置からコップに注いで、表面張力で飲み口が丸くなるところでピタっと止めるおばちゃんのワザも健在。ただ、改めてメニューをみると案外高いことに気がつく。煮込み600円は高いよな。普通300円台。安いところだと200円台の定番メニューだけど。うまいんだけどね。原稿料2万円の打ち合わせの飲みで5000円も使ってしまった。だめじゃん!
投稿者 Ken Kitano : 10:01
2006年02月09日
2月9日 「博士の部屋」〜MO修復工場
暮れから、車が動かなくなって買い替えたり、pcのハードディスクが壊れたり(そのおかげでいろんなデータが消えました。仕事の連絡が取れず、結果逃した仕事もあったり)、機械がらみでバットなことが続いている僕です。ここへ来て、常に僕を支えてくれていた愛用のエプソンのプリンターPM4000PXまで故障して昨日入院してしまいました。機械からみのトラブルはなぜか続くもの。だめ押しに、大事な原稿がいくつも入っていたMOが突然開かなくなってしまった。当初ドライブの故障だと思い、新しいドライブを買ったが開かず。あちこちの知り合いのところでドライブに入れてみたが、結果は同じだった。ネットで調べたら、MOというのはよく壊れるらしい。実際にMOの開発をしていた人が自分のサイトで、MOは信頼性が低いですと書いていた。(おいおい。)仕方なく修復の業者に出すことにした。ネットで都内の業者を探し、電話して出かけた。どんな会社かなと思ったら新宿のワンルームマンションの一室で、入るとバックトゥーザフューチャーの博士の部屋みたいなところだった。部屋中パソコンや基盤やモニターなどがごちゃごちゃに、ところ狭しと置かれ、よくみるとのこぎりや金槌まである。そんな部屋の奥に博士(勝手にそう呼ぶけど)がひとり座っていた。怖い人かなと思ったら、博士は親切に作業内容を説明してくれて、「2時間くらいです」と言った。案外早いので安心した。値段は18900円。明朗会計だった。夕方取りに行くとちゃんと治っていた。本当によかった。
ところで、今回博士の力で一度消えてしまった大事な文字や画像が18900円でよみがえった。高いかなァーと、一瞬考えたけど、永遠にあの原稿や資料が消えてしまうことを考えたら決して高くない値段だと思い直した。(実際もっと高い業者もある。)そんなことを帰りに考えていたら、ふと青森の現役いたこのMさんのことを思い出した。Mさんには以前「our face」の「とりふねぶとう舞踏舎公演『バッケ』に出演した人たち」を取材したときにお会いした。若くて酒豪の現役いたこのMさんとは、稽古の後、公演のお手伝いをしていた今井さんと3人で朝まで飲んだ。とっても楽しかったのだが、驚いたことにその時、その場で「口寄せ」をしてくれた。僕のためにではなく、その店のご主人に亡くなった友人の口寄せだった。友人と「再会」したご主人はうれしそうに30分くらい語り合っていた。終わった後で、しぐさや口調まで彼と同じだったとご主人は言っていた。細かい内容は書かないけど、ご主人は感激して僕らにとっておきの焼酎をおごってくれた。その時初めて見た口寄せは、ちょっと感動した。前置きなくすっと自然に入って行った。あれは、目の前で見たら、それが本当かうそかなんてゆうことはどうでもいいですね。もちろんそこにはセラピーも働いているのだろうけど、人が失われた時間軸を、いたこの助けを借りながら再び共有することのすごさを感じました。それは深い深い水の底に潜って底に手をついて再び戻ってくるようなと表現できるかもしれない。
記憶と記録と再び出会うということ。片やディスクに記録された文字や画像を再び取り出すこと。片や亡くなった友人と語りあうこと。博士といたこのMさんとはまるで正反対の仕事だけど、時間という一本の線をひくと見事に相似するように思える。思えばなんとも値段が付けられない仕事ではないか。ちなみに口寄せに限らずいたこさんにお願いするといくらかかると思います?聞いてびっくりしました。今回僕が博士に払った金額のわずか一割より少し多いくらいの値段ですって。コンビニや大型スーパーでも絶対に扱わないこうした商品やサービスが、ひっそりと世の中にはあるのは、なんだか素敵だと思います。かつて写真師もそうゆう職業のひとつだったのでしょう。Mさんが言っていた。「いたこじゃ食べれないわよ」と。食べれないということだけは、現代の写真家である僕も同じです。単に腕が悪いからだけど。
投稿者 Ken Kitano : 21:10
2006年02月08日
2月7日 同じ話題じゃだめだよ
朝デジカメのローパスフィルターを掃除する。デジカメはフィルムと違って巻き上げがないので時々掃除しないとスクリーンにゴミがたまる。その度にサービスセンターに行くのも面倒だしお金もかかるので、ニコンのクリーニングキットを買った。7000円もしたのでどんな機材が入っているのかと思ったら、ブロワーとクリーニングペーパーと先の平たくなった棒、説明のcdが入っているだけだった。1500円でもいいんじゃないか?はっきり言ってぼったくりだよ。解説に従ってまずD70 の掃除をしたら簡単にゴミがなくなった。高いけど便利ではある。続いてD2Xの掃除をしようとしたらミラーアップしない。なんでも別売のAC電源コードをつながないとミラーアップしないらしい。清掃中に電源が切れるとシャッターが破損するからしいいが、ACコードは12000円もするらしい。ふざけんなといいたい。デジタル機器はこうゆう細かい出費が無限にあって困る。
青山ブックセンターでの写真展の準備をする。書店内での展示なので、以前プレイスMで展示したロールプリントを出そうと思っていた。しかし先日現場を下見してきたら、思いのほか壁面が大きくてロール紙だけでは壁面があまることが判明。それではと前作「溶游する都市」のプリントも一部展示することにする。(常時人がいるギャラリーと違う書店なのでセキュリティーとか心配ではあるが、仕方ない。)別々のところにあるプリントと額と以前切ったマットを引っ張りだしてきて組み合わせる。自前で用意した額は昔ウエストンギャラリーで個展をやった時に購入したもの。あの時はマットも自前。壁面は直前に工事で減らすし、DM印刷もミスるし、思えば「名前だけ」でひどいギャラリーだった。
作業中ラジオをつけていた。昼に「ビバリーひるズ」にゲストで出ていた鈴木蘭々が午後の「吉田照美のやる気マンマン」にも出ていた。芝居のプロモーションとはいえこうゆう掛け持ちは露骨でよくないと思う。だってリスナーがかぶっているんだから。その上用意してきた話題が最初から最後までほとんど同じ。せめて話題変えろよ。ただしパーソナリティーの力量が出て面白い。あたまで していた「梅干しと漫画」の話から、ドラえもんやサザエさんの最終回の話題に持って行った吉田照美はさすがだと思った。「ビバリー」の東たかひろも「ラジべガス」以降面白くなったけど、どうでもいい話から横道にそれて話を転がす面白さの吉田照美は天下一品だ。
夕食を作っていたら携帯にOさんから電話。来週入っていた棒ミュージシャンの撮影がキャンセルになる。明るく電話を切ってはみたが、内心がっかり。アシスタントをお願いしていた U君に断りの電話をいれる。撮る前に聞いておこうとそのバンドのアルバムをアマゾンで注文してしまったというのに。余計な出費。とほほ。
禁酒日の予定だったけど、ビールと日本酒飲む。
投稿者 Ken Kitano : 08:13
2006年02月06日
2月6日 いままた「新撰組!」
Uさんから借りた「新撰組スペシャル!!」と「土方歳三最後の一日」のビデオを観て泣く。三谷幸喜、あんた最高だよ!
投稿者 Ken Kitano : 09:00
2006年02月05日
2月4日 今福龍太→ル・クレジオ→うなちゃん
国立の一橋大でフランス人(正確に言うとモーリシャス島に移住した家系の両親を持つニース生まれの)作家ル・クレジオ氏を迎えてのワークッショップ「ヨーロッパからもうひとつの場所へ〜外部の〈ヨーロパ人〉ル・クレジオ氏を迎えて〜」を聞きに行った。東京外語大の招聘で今福龍太氏(札幌大にいらっしゃるのだと思っていました)をナビゲーターに行われたプログラムのひとつ。今福龍太ファンとしてはナマ今福先生の言葉を近くで聞ける嬉しいイベントだった。しかも近所の一橋大なのもありがたかった。(先週も三鷹の外大でシンポジウムが行われていたけど、あいにく仕事で行けなかった。)内容は昨日まで今福氏、ルクレジオ氏らが滞在していた奄美諸島の話を糸口に、途中から詩人の吉増剛造氏を交えて、言葉について、暴力と優しさの両義性について、グローバリズムについて等々に話が進んだ。印象に残った言葉がいくつもあった。ひとつあげるとルクレジオ氏が子供の頃に見た忘れられない風景だというニースの夏の収穫の景色の話。そこではどこまでも青い空の下で、戦火とナチを逃れて来ていたユダヤ人らと一緒に農作物の刈り取りの風景があった。やがて彼らは列車に乗せられ最終収容所へと送られることになるのだが、思えばあれがグローバル化を被っていない最後の風景だった、というルクレジオ氏が冒頭で語った話は印象的だった。また現在の日本を含む先進諸国の社会を「過剰な優しさと安楽は強調されていて、実はその中に暴力がある」、「エアコン付きのパラダイス」という言葉もあった。お三方とも大きな声で何かを主張する、というパネラーではない。自分が見た目の前の風景と、そこに刻まれた歴史に反応して、そこからのびやかに自在に広がる今福氏の言葉の世界に触れられて、大変気持ちがよかったです。それとルクレジオ氏がフランス語で語る言葉に通訳を聞く前に半数くらいのひとがすぐ反応していて、語学コンプレックスの僕は知的な集まりだなあと感心してしまいました。
グローバリズムに関しては例えば、常にローカルな現場を訪ね歩くことやコミットする中でしか、何も語れないし表現できないものだなあと、話を聞きながら改めて思った。中央にいて理屈で考えた写真や言葉の弱さ。(僕もささやかながら歩く中で出会ったことや知ったことをこれからも大事にしてゆこうと思った次第。)僕は様々な土地を歩く過程で「ourface」というシリーズを作ってきたけれど、これにしたって作品にするのに無理矢理方法論を当てはめているところがある。そこには当然一つの方法論に押し込められないことや、矛盾、それによって誤解を招くことが山のようにあって、増え続けるそれらを背負い込みながら作品化してきている。あのようなシンプルな写真に着地させるために僕自身のなかに絶えず矛盾がせめぎ合い、時々「こりゃだめかもな」などと思いながらもやっと歩いてきた。思えばあの写真は僕個人が個と社会をみつめる「矛盾の結晶」みたいなものだ。だからこれからも本にして終わりでなくて、どこまでも誤解と矛盾と向き合い続けないといけないのだなと、思う。 楽になれないや。
久しぶりの国立は三角屋根の駅舎の後ろにマンションが立ちふさがって、空が狭くなっていました。駅舎も保存は難しい現状らしい。帰りにガード脇の「うなちゃん」を覗いたら席があったので入った。住んでいた頃も含めて「うなちゃん」に入るのは初めて。あの頃はまだそんなコの字に目覚めていなかった。「うなちゃん」は使い込んだコの字カウンターに裸電球。ビールを注文したら「アサヒ、キリン、サッポロとありますが?」と嬉しいことを言う。実は他にも黒ビールまであったと知る。メニューはうなぎのおまかせだけ。別注文できるのはおしんこだけらしい。うなぎは串焼きの肝、蒲焼き、レバー、塩焼き、白焼きなどを焼き上がると皿においてくれる。途中から熱燗にする。塩焼きがおいしかった。また来よう。夏なんかいいだろうな。
投稿者 Ken Kitano : 10:08
2006年02月04日
2月3日 森ミュージアム→加賀屋でホッピー
雑誌の撮影のために午前中の新幹線で仙台に着いたらめずらしく雪で吹雪いていた。新しくできたらしい駅の中の「牛タンストリート」で牛タン定食を食べる。「どこの牛のタンなんですかね?」と同行のNさんと話しつつ、うまいうまいと食べる。牛タン専門店が5、6軒並ぶストリートの先には、立ち食いカウンターの寿司屋がならんでおり、日帰り出張の多い仙台にぴったりの店舗構成でうれしくなる。次回は寿司と日本酒にしよう。毎回思うけど新幹線ができて仙台は本当に近くなった。夕方上野に着いて(Nさん、新幹線は東京まで買いましょうよ)、新宿の大型ロッカーに機材を預けて大江戸線で六本木へ。森ミュージアムの「東京-ベルリン、ベルリン-東京展」の内覧会&レセプション。すごいボリュームでもってすごい人だったので、じっくり見られなかったのだが、第一次大戦からナチの時代、そして戦後の各分野の表現の変遷が興味深かった。ダダやシュールレアリズム、メキシコの画家たちのことともリンクして見てしまう。会場で某ギャラリーのTさん、アートライターの住吉さんとばったり会う。住吉さんに自由が丘のバー「エンドルフィン」がまだやっていることを確認できてよかった。レセプション会場でスパークリングワインを2杯飲んで外に出る。内覧会は帰りに図録を頂けるのでありがたい。そのまま帰らずに、セレブな空気を中和するように地下鉄で中野坂上の加賀屋へ。ライター袴田さんと合流して、久しぶりのモツ&煮込み&ホッピー。うまい!うまい!うま〜い!。袴田さんと大衆演劇の企画をどこかで連載できないですかねえ、などと盛り上がる。地方の農村歌舞伎とか浄瑠璃もいつか・・などと、やりたい企画の話をしながら酒を飲むのは本当に楽しい。途中から熱燗にかえて終電まで飲んでしまった。寒い日の熱燗はよいです。中野坂上の加賀屋は「火落としますんで焼き物はラストオーダーです」とか「煮込みの豆腐が切れました」などとやぼなことは一切いわないエラい加賀屋さんなのだ。それどころかビールのジョッキやコップは冷凍庫で冷やしたのを出してくれる。毎度ながら大満足。難点は僕の家から遠いこと。近所に加賀屋があったらと、帰りにこれまた毎度ながら思うのでした。
投稿者 Ken Kitano : 11:12
2月2日 金子先生
車で昼に芝浦のpgiに行く。アメリカの主に大御所写真家のセレクト展をやっていた。ウィンバロック、サリーマン・・、懐かしく、気持ちいい。昔虎ノ門にあった頃のpgiでよく見ました。ギャラリーのYさん、Tさんともお話する。
渋谷文化村へ移動。文化村ギャラリーの金子国義展に行く。以前の作品かと思っていったら、ばりばりの新作がずらりと並ぶ金子 先生の空間に圧倒される。会場に先生もいらっしゃってご挨拶させて頂く。持参した以前雑誌relaxで撮らせて頂いた先生デザインの着物の写真をお渡しするも、あまりの平板な色気のない写真で恥ずかしくなる。(すてきな着物とすてきなモデルさんなのに。)会場の一番奥の、あれは何号になるのか?畳2.3枚はありそうな大きな連作は圧巻で言葉もでない。何か言葉にしようとするのだけど、普段からエロスのかけらもない内側が空洞のようなトンマな我が身からは何一つ言葉が出ず、ちょうどお客様が帰られてこちらに歩いていらした先生に何か言わないとと思いつつ、結局「こちらは最近の作品なんですね」と間抜けなことを言ってしまい、つくづく自分は阿呆だと思う。
急いで文化村を出た後飯田橋と大塚に納品&打ち合わせ。夕方から雲が厚くなった。天気がよかったら撮影しようとカメラを積んできたのだが、諦めて帰る。このあいだ佐藤信太郎も言ってたけど、この時期はもう雲が厚くなっていけませんね。帰りに三鷹の酒屋で「みやのはな」を買って家で飲んだら、宮古島の心優しい泡盛の美味しさがふんわり 広がって、少しだけ「こんな日もあるよ」という落ち着いた気分になって寝ました。
投稿者 Ken Kitano : 10:33