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2006年10月31日

10月30日 「写真の現在 3」オープニング 国立近代美術館

 朝、娘がなかなか学校に行かない。しつこくぐずる。休日を親の用事で連れ回したので、彼女なりのフマンのアッピールなのだろう。ごめんよ。丁重になだめすかして学校に行っていただく。9時に美容室に行って髪を切ってもらう。記者会見とオープニングなのでいちおうきれいにしないと。11時に家を出ようとしたら、ラジオでJR中央線が止まっていることを知り、西武線で高田馬場へ出て、地下鉄に乗り換えて竹橋に行った。車内で坪内祐三の「考える人」を読んでいたら、引き込まれて気がついたら大手町まで乗り過ごしてしまった。2時から記者会見。記者会見てどんなのだろうと思ったら、数人の写真誌と新聞記者の方を前に6人の作家それぞれが簡単にスピーチする形だった。引き続きオープニング。早い時間なのでアルコールは出なかった。(途中伊奈さんとアルコール飲みたいですね、と話す。)美術館のオープニングとあっていろいろな方が来ていた。飯沢耕太郎さんと最初の個展以来14年ぶりくらいでお会いする。前の写真展のことを覚えていてくださって、うれしかった。以前清里で会った屋代敏博君とも再会。屋代君は横浜トリエンナーレなどで今や大活躍アーティストになったが、話したら前と全然変わらなかった。彼とは会ったその日に銭湯に行ってビールを飲んだのだっけ。

 5時にレセプション終了。その後九段の居酒屋へ移動し打ち上げ。伊奈さん、鈴木崇さん、小野規さんは学校で教えていらっしゃって、飲みながらの話題に登場する写真家の名前が幅広く、アカデミックだった。鈴木さん、小野さんは海外留学組で、ヨーロッパの事情をお聞きする。フランスでもいわゆるプリントが売れる写真とそうでないのがあるらしい。普通に部屋にかざるような写真が売れて、時代に何か切り込むような、いわゆる表現をしているような写真はヨーロッパでも一般には売れないらしい。フランス人はひねくれてそうなので、いわゆるキレイキレイな写真じゃない写真をむしろ好んで買うようなイメージを抱いていたが、全然そうじゃないらしい。ついでにヨーロッパでも写真で食うのはものすご〜く大変らしい。どこもおんなじだね。
  すばらしい作家のみなさんとグループ展できて光栄です。いい企画展です。ぜひ見に行って下さい。

国立近代美術館で10月31日から12月24日まで。
企画展「写真の現在 3」展  〜臨界をめぐる6つの試論〜
参加作家/伊奈英次、小野規、浅田暢夫、鈴木崇、向後兼一、北野謙(順不同)

午前10 時から午後5 時まで  金曜日は午後8 時まで(入館は閉館30 分前まで)   休館日:月曜日
会場:東京国立近代美術館ギャラリー4(2 階)
アクセス:東京メトロ東西線竹橋駅1b出口徒歩3 分〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園3−1
無料観覧日11 月3 日(金・祝)、5 日(日)、12 月3 日(日)お問合せ03-5777-8600 (ハローダイヤル)
http://www.momat.go.jp

 

投稿者 Ken Kitano : 10:10

2006年10月30日

10月29日 近代美術館設営

 昨日朝から竹橋の近代美術館「写真の現在 3」展の設営作業をした。午後には海外からの小野さんもいらっしゃり、6人の作家全員が揃いご挨拶する。事前に図面を見てシュミレーションしていたとはいえ、実際のに美術館の大きな空間に作品を置いてみると印象が全然違うものだ。壁が何しろ広いので思いのほかあっさりしてしまった。今回は白い木目調の額にしてソフトにしたというのもあるようだ。展示してみてグループ展という難しさもあるのだなと思った。他の方の展示の見え方が微妙に影響する。ある意味競争だ。伊奈さんが「グループ展は毎回多少の期待と後悔があり、経験を積むとそのへんは狡猾になる」という意味のことをおっしゃっていた。いろんな意味で勉強になった。
 自分の写真をかけおわって見たら、マットの色が写真によって黄色っぽいのと白いのがあるのが判明。おかしいなと思ってTさんに電話して聞いたら、マットの色ではなくガラスの色だろうとのこと。同じ型番の額と低反射ガラスなのだが、以前からあったものと今回新たに作ったもので、ガラスの色が違っていたことが判明。これはまったく想定外のこと。こうゆうのは気になり出したら最後、どんどん気になる。家に帰ってからもやっぱり気になって、今日もう一度会場に行った。結局壁面ごとにガラスを入れ替えて統一することにした。一枚ごとにばらつくのは防げた。左右の壁面で微妙に色が違うので気がつく人がいるかどうか・・。 Tさんには急遽休日出勤していただいてしまった。
 今日は妻が終日仕事で娘とばあちゃんをともなって車で美術館へ行った。僕が美術館に行っている間、娘とばあちゃんは北の丸公演の科学技術館へ行っていてもらった。10月11月は父母ともに仕事や学校関連のミーティングや行事が毎週ギュウギュウにあり、子供は休みごとに連れ回されて待てフマン気味。どっかで埋め合わせをしないといけない。
 帰りに車でラジオを付けたら座席から立ち上がれないくらいびっくりした。TBSラジオ伊集院光「日曜日の秘密基地」のアシスタントを文化放送「やるきマンマン」の小俣雅子さんがしていた。知っていたら録音したのに。オープニングはどんなだったのだろう。誰か録音していないかな。

投稿者 Ken Kitano : 01:31

2006年10月24日

10月21日 憧れの人、積年の夢

 近代美術館から「写真の現在展」内覧会の招待状などが送られて来たので、午前中宛名書きをして送る。僕の場合は個展で作品見て頂いたばかり。個展でお会いしたばかりの方に送るのはさすがにクドイので、写真関係の知人や関係者で個展にいらっしゃれなかった方を選んで送っていたのだが、思いのほか多い数になってしまった。
 午後、娘と近所の白梅学園という大学の学園祭へ行く。以前からここの文化祭へ行ってみたかった。というのはここには幼児教育の研究室があってNHKの子供番組「できるかな」のゴン太君が保存されていると聞いていたからだ。「できるかな」ののっぽさんは子供の頃の僕の憧れの大人だった。ゴン太君も大好きだった。パントマイムで言葉がないのにいろんなことを感じる番組だった。単純に明るく楽しい、ではないものがあった。そのゴン太君は今年はガラスケース越しの展示をされているとのことだった。(例年だと中庭にでてお客さんとふれあったりもするそうだ。)ガラスケースと聞いて迷った。大好きなゴン太君がぼろぼろになってガラスの箱に入っているとしたら、いっそ見ないほうがいいのじゃないかと。迷った末、思い切って見ることにした。ああ、ゴン太君はきれいだった。そしてかわいかった。黄色い帽子と丸いはな。全体にもこもこした感じが実に愛らしい。来てよかった。喜びの感慨にふけっていると娘が背中をたたいて「お父さんよかったね」と言ってくれた。展示されていた教室を出て廊下を歩いていてると前方から背の高い緑の帽子をかぶった人が歩いてくる。あ、のっぽさんだ。ちょうど講堂で公演を終えたばかりののっぽさんが係の学生とこちらにむかって歩いてくる。近くを通る時に「こんにちは」というとのっぽさんはこちらを向いて「こんにちは」と言ってくれた。ああ、憧れののっぽさんと挨拶ができた。今日はいい日だ。
 うれしかったので、帰ってご近所の吉元さん家族と家で焚き火をして酒を飲む。焚き火をしながらの酒はうまい。ヨッパらってクドくなってしまいました。飲み過ぎました。

 

投稿者 Ken Kitano : 08:33

2006年10月21日

10月19日その2

 世田谷美術館に「ルソーの見た夢、ルソーに見た夢」を見に行く。気持ちよかった。大好きな岡鹿之助も見られてよかった。館内はおばちゃんおじちゃんで大混雑だった。ルソーに影響を受けた作家として写真家の作品もあった。植田正治、渡辺淳、岩佐保雄など。後半にひときわ派手で目を惹く画があったので、どんな若い人かと思ったら、靉嘔だった。1999年の作品。靉嘔は細江先生と同じ瑛九のデモクラートの作家だ。あの世代の作家は元気な人が多いね。
車で新宿に向かう。 途中、三軒茶屋によって映画館の近くのチャンポンやで皿うどんを食う。皿うどん及びカタ焼きそばが好きである。いつか本を書きたいと思っているくらいだ。決してメインを張れないところがいい。いいところちゃんぽんの影で2番手のポジションだ。大概はメニューの端にひっそりある。皿うどんは運ばれて来たらまず中央部のあんかけを左右にかき分けて揚げ麺を発掘、大気に露出させることから始まる。パリパリの揚げ麺は、上にのった熱々あんかけ勢力に負けて、食べているうちにどんどんパリパリからシナシナに変化してゆく。そのため少しでもパリパリ麺と熱々あんかけを一緒に食べられるよう、時間かせぎが必要なのだ。いずれにしろ、やがてはパリパリもシナシナになってしまう。つまり完全な状態は最初の一瞬しかないのだ。いや、カウンターに運ばれた時点で、既に負(シナシナ)に向かって、落下し始めているのである。切ないくらいスリリングである。皿うどんはこの”シナシナ重力加速度”とでも言うべきものとの戦いである。猫舌の人ははなから参戦を許されていない。思えば実に偏屈な麺類だ。だが、そこがいい。太麺もいいが出来れば細めんで最後までおいしく食べられればそれがベストだと思う。パリパリサクサクがみるみるシナシナになってゆく。焦りつつもあんかけの具との絡ませ方を瞬時に判断しながら集中して食べなければならない。最後にあんかけだけ残って単体でエビを箸でつまむなんてことはしたくない。練りカラシの投入チャンスも大切だ。しかしカタ焼きそばの一番の難しさはおいしい店の情報が少ないことだ。それを看板にしている店もないし、雑誌に特集を組まれることもない。店に入って決してお薦めになっていないカタ焼きそばを注文すること自体がスリリングである。
 三軒茶屋の皿うどんは、またしてもおいしかった。

投稿者 Ken Kitano : 09:00

2006年10月19日

10月19日  中島博美写真展「雪を待つ。」

昨日、仕事の帰りに新宿 TOPS8階のcafeユイット/galleryで友人の写真家の中島博美「雪を待つ。」展(10/18〜31日まで)を観て来た。以下展覧会の案内より〜
東京と北海道のニセコを行ったりきたりの生活も6年目に突入し、昨年とうとうニセコに住まいを移すことにしました。
新しい生活が始まり、環境の変化のなか、写真と自分とのかかわりあいを見つめ直す作業として、
写真を始めるきっかけとなった旧東欧のチェコ、旧ユーゴスラビアを16年ぶりに再訪しました。
どうぞ皆様お越し下さいますよう、心からお待ちしております。   〜とのこと。
 僕は中島さんの写真をちゃんと見るのは初めて。特に過去の作品のファイルも会場に置いてあって、以前からの作品と通してみられたのがよかった。ほとんど初めて見たので時系列をふまえてものが言えないのだが(彼女の写真は見る方も時間をかけて、つきあいながら見てゆくのがいいタイプの写真だと思うのでこういうのだが)、中島さんの写真は、6×6版、カラー、日常、というキーワードでくくってしまうのは大変よくないしそうゆう見方は何も生み出さないと分かっているのだが一方であるところそうくくれてしまう写真とは随分違うなあ、と思えるのは、写真を撮り始める前に培われた時間がきっとあるからだと思った。(あたりまえだけど写真は撮ることの前後があって、撮ることよりも時に大事に思える。)だから作家同様に、見る方も一歩ずつ歩みを進めたり、立ち止まったりしながら、そこに現れてくるものを一緒に見ようとするのかもしれない。途中から見る人にも開かれてますね。そして一番感じたのはそこには過剰なものがない、ということ。過剰なものがないのにそこに残って在るものが美しいければ、本当にいい。さらっとみただけであんまり言えないのだけど、またゆっくり構えて、こちらも時を過ごし”次の中島さんの時間”と再会したいと思います。
 僕らくらいの年代(30代後半)の写真を撮る人は当たり前だけど、大したことのない日常にいろいろ折り合いをつけたり、時々無理しながら写真を撮っているわけだけど、まあ、お互いにがんばりましょうというところもありますね。普通にね。
 ところでこのギャラリー&カフェはゆっくり本が読めていいです。

投稿者 Ken Kitano : 10:08

10月18日  早く寝るよ

 寝るヒマがないという程ではないが、なんだかずうっと忙しい。しばらく土日を休んでいない。たまに休まないとだめだね。仕事の納期や優先順位も気になるけど、その合間に週末に落ち着いて考えをまとめようと思っていたら、土日に急に仕事が入って、いつの間にか何を考えようとしていたのか忘れてしまって、そうゆうのがどろどろしたまま鉛のように固まってしまうような気がする。そうゆうのがどんより不安になったりする。気がつくと何にたいしてどこをクリアしようとしていたのか、保留懸案が重たく堆積して・・。家では娘が風邪をひき、僕もだるい。みんな体調が少しずつ悪いので空気がよろしくない。思い返すと九州でカメラ故障の一件から引きずっている気がする。気持ちのいいスタッフ(編集Yさんと初めてだけど初めての気があまりしないライターHさん)と天気にもまあまあ恵まれて、楽しく撮影しようとしたら、突然メインのブロー二のシャッターが切れなくなった。メーカーに電話して、非常手段として1/60秒のメカシャッターを切る方法を聞き、予備のデジカメと並行して撮っていた。露出は不安だけど半分くらいは撮れているだろうと思っていたら、帰って現像したら全滅だった。コマとコマが重なっていたのだ。一枚分のコマの長さを巻かないうちにシャッターが切れていた。(うちの奥さんが普段いっぱい写真を重ねているから・・などと軽口をたたいたけど、シャレにならねえよ。)重なって写ったネガを見れば見る程、ちゃんとしていればいい写真に思えてくる。(捕らぬ狸だけど。)
 写真のツケは写真で挽回しないと晴れない。仕事の写真でも作品でもいい写真が撮れれば全てクリアになる。(だいたい写真家はそうだと思う。たぶん。)そう思うとつい力んで空回りしてしまう。気持ちが大事。切り替えて行こう。
 そんな気持ちのささくれた僕だけど、最近の唯一の心の安らぎは深夜寝る前に「考える人」坪内祐三著(新潮社)を読むことだ。読書家ではないのでこの本で取り上げられている16人の作家は読んだことのない人ばかりなのだが、最初からどこを読んでも好きな作家の好きなところについてだけ書いてあるので、読んでいるこちらはとっても気持ちがいい。平板な知もあればそうでない知性もある。徒党を組む方向に向かう知と孤独な個人を作り出す知。時に深くもぐって、そしていつまでも気にしていたいことが世界にはたくさんある。意味不明だけどなんとなく知への敬意が心地よい。読みつつ気になった本をアマゾンで注文してしまう。

投稿者 Ken Kitano : 09:16

2006年10月14日

10月9日        核

仕事場の片付けをしている時にラジオで聞いた。スーっと、真空の奈落へ落ちてゆくような感じ。目の前の風景は何一つ変わらないのだが。イランやパキスタンやフランスの時よりも鮮明に受け止めようとしてしまうのは、単に近いからか、そして日本が当事者(ミサイルの射程距離)だからか?
核というのは、どんなニュースであっても寝覚めが悪く、無気力を伴う。

投稿者 Ken Kitano : 11:23

2006年10月08日

10月6日 いろいろ変わったんだね

近代美術館「写真の現在」展の図録の文字校正が送られて来た。それで調べたらour face で取材したところも市町村合併などでずいぶん名称が変わっていた。茨城県真壁町→桜川市、沖縄県勝連町→うるま市、長崎県多良見町→諫早市など。
新名称はなんか緩い響きがする。他にもダイエーホークスがソフトバンクになったり、ロックバンドPIERROTは解散した。月日が流れるのは早いものですね。始めた頃生まれたばかりだった娘は小2だ。今「銀玉」といもりの飼育に夢中だ。

投稿者 Ken Kitano : 09:35

10月5日 宮崎県椎葉村

宮崎県の椎葉村に行って来た。椎葉村はなかなか感動的なところでした。大変に山深い土地でした。ここでは日本で唯一焼き畑農業(野焼きじゃないですよ)が今も行われています。5000年前からの農法が今も続いているのです。焼き畑した後、ソバ→アワやヒエ→檜などの苗を植えて→小豆→4年目以降は木が育ってやがて森になる・・という輪作。再び木を切って焼き畑するのは50.60年後。だから一代ではひとつの山を一巡しないんです。地力回復と山をまもるすごい長いサイクルのリレー。またそこのおばあちゃんは全ての草花の名前と食べ方と薬などの使い方を知っていて、おばあちゃんの聞き書きによる専門書が何冊も出ている程です。(本になっていてよかった。)
気がついたら身に付いていた、というのが文化、ということを以前内田樹が書いていましたけど、ほんとだなあ、って思いました。そうゆう知恵はそれ自体で思考して、そうゆう人だけが次の世代伝えられるのだなと。そしてそれはとても強い。芸能にしても何にしても一緒でしょうけど。だから物心ついてから意識的に身につけたものなんて知らず知らずに身に付いていたものにかなわないわけだけど、それはそれで何かに親しんでおくと世の中へのツッコミどころが増えるというものだ。

ところで、この山奥で突然カメラが壊れた。電源を入れるとフィルムをひたすら巻き上げ続けるのだ。サービスセンターに電話したら一こま分を感知してフィルムを送る信号がダメになっているのではないか、ということだった。10年くらい使って来て始めての故障がこんなところで出るとは。サブで持って来ていたデジはメモリーを4ギガしか持って来ていない。気になってなかなか撮影に集中できなかったけど、何とかしのげた。電気を使うカメラは3台は持ち歩いた方がいいのだなと思いました。

投稿者 Ken Kitano : 09:09