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2006年11月22日
11月19日 お店の人かよ! vol.2
昼まで雨の中、鎌倉で仕事の撮影。寒かった。帰りに神奈川県近代美術館美術館で柄澤斉版画展を見る。夏に栃木県美で、秋に神奈川でと、一人の作家の仕事を二つの美術館で別々のキュレーションで振り返るという企画展。夏に栃木で見たものよりも見応えがあった。(もっとも展示面積等も違うので作品数も違うと思う。)深く、静謐な柄澤さんの世界にこっちの目が慣れて、より、その果てしない広がりに引き込まれてしまってそう思ったのかもしれないが。先週都立現代美術館で観た大竹伸朗展にも圧倒された(世界で一番たくさん絵を描く人じゃyないかと思った。若い頃の北海道の写真やスクラップブックもよかったし、網膜シリーズは圧巻だった。元気でた!)が、柄澤さんの世界はまったく対極な方向でお薦めの展覧会だと思う。よかった。本の装丁も数多く手がける柄澤さんらしく、図録も美しい。2500円でお得。大竹展の図録はまだ未完成で予約のみ受付中だったが、こちらは重さ6キロ6300円とのこと。作品数2000点に資料やテキストがつくからすごいボリュームだ。画集にくらべたら遥かにお得なので予約した。こっちも出来上がりが楽しみだ。
都心に戻って新宿随園別館で久々に清里YP同窓会。同じみの櫻井尚子、トミザワ夫妻、小川直子、佐藤信太郎、久野君の他、清里のスタッフの方と若い八藤さんも参加。開店と同時の4時に飲み始める。店が途中にぎわって来たなあ、と思ったらまだ7時。そして、気がついたら静かで、我々だけの店内になっていて閉店の11時。まったく7時間も飲むなよ!。開店から閉店までいるなんて。先日の高田馬場に引き続き、またまた「我々はお店の人か!」と言いたい。歳とったから写真の話より健康の話ばっかりだった。いい仲間です。
大竹伸朗展
http://www.mot-art-museum.jp/kikaku/
柄澤斉展
http://www.tokyoartbeat.com/event/2006/5EFC
投稿者 Ken Kitano : 08:33
2006年11月14日
11月13日 国立「まっちゃん」
午前中SPA!エッジの写真を焼く。午後妻子の夕食(カレー)を作って、国立へ。三角屋根の写真を一応おさえておこうと思ったら、てっぺんのほんの少しだけを残して解体作業の囲いに囲まれていた。さびしい。国立じゃないみたいだ。「中洲通信」連載「気がつけば僕はいつもコの字」の取材でもつやき「まっちゃん」へ。仕込み中に話を聞く。昭和30年代にまだ屋台で営業していた頃の写真が残っており、見せて頂いた。撮影者はなんと、木村伊兵衛だった。やかんを持って歩く先代のおかみさんの後ろ姿と未舗装の駅前の逆光を切り取られた”時間”がまぶしかった。開店の頃に撮影をすることにして一旦外に。それまで国立のもう一軒のコの字の名店「うなちゃん」で編集和田さんとビール。うなぎの串を一口食べるなり、「う、うまいですねえ」と和田さん。まっちゃん開店の5時半を少し過ぎた頃に行ったら、もう満員だった。あわてて撮影するも、もう5分早く戻りたかったが、店を立つタイミングというものもあるので、仕方ない。それもコの字。
途中から窓社の西山さんも合流して飲む。国立話、写真家話、帰りしな、なんだかちょっと切なくなった。
投稿者 Ken Kitano : 09:27
2006年11月11日
11月10日 クドくてごめんなさい。
引き続き暗室。プロセッサーの薬品を新しくしたら、色が安定した。昨日どうやってもカラーバランスがよくならなかったのは薬品がへたっていたようだ。さほど疲労していないと思っていたが、ともかく原因が分かって安心した。午後3時に「もう今日は学童行きたくないよ」という娘を迎えに行き、実家でじいちゃん、ばあちゃんらと宿題をやるというひなびた午後を過ごしてもらう。
今週は妻がびっちり仕事が入っているので僕が夕食を担当している。今晩はカキフライとキャベツのスープ。おいしく出来たので「さあ、みんな食べて!」というのに、妻と娘はささいなことで口論となり、さびしい夕食に。そこへ友人の写真家であるS氏から電話。気の毒なことにそんな状況だったので、既に一人でヨっぱらっていた僕はSにほぼ一方的に語り始める。咳風邪がいつまでも止まらないと話したら、「ちゃんと病院に行ったほうがいいよ」というS氏に対して、「それより写真もってヨーロッパに売り込みに行ったほうがいいよ」という意味不明な会話。最後は「わかったから、続きは今度あった時にね、」といさめられながら、電話を切ったら、家族は既に寝ていた。しーん。引き続きひとりでワインを飲みつつ、「アートトップ」いう雑誌を読んでいたら、舟越桂と千住博のインタビューが面白かった。その後田中小実昌を読んで寝る。
投稿者 Ken Kitano : 08:43
2006年11月09日
11月9日 暗室
終日暗室。色がでねえ!
投稿者 Ken Kitano : 19:12
11月8日 入り口にある
終日暗室。実家の2階に暗室がある。作業の合間に居間にいったら父と母がいた。父は先日近代美術館へ「写真の現在展」を見に一人で行ったらしい。
(父)「謙の写真は前から見てたから分かるけど、他の人の作品は説明がなかったから、よく分からなかったよ」
(私)「会場の入り口に英文と和文の解説書があったでしょ。それを手に取って見ながら見るといいんだよ」
(父)「そんなのあったかなあ、なかったぞ」
ちなみに父は相当なせっかちである。隣で聞いていた母登場。母はまだ見に行っていない。
(母)「チラシの建物の写真は何なの?特別な建物なの?」
(私)「伊奈英次さんの(工事中の囲いに囲まれたビルの)作品ね、あれはもうひとつ対になる写真があって、それは街中の監視カメラを撮った写真なの。つまり街中で我々に普通に見えているのに、その実態を見ることができない工事中のビルの囲われた建設物と、無人なのに常に我々は見られ、監視している監視カメラという、我々が無意識になっているけどそこに現在の臨界状況が見えてくるような作品なんだよ。見方によるけどね。そうゆうことが会場に置かれた解説にも書いてあるからね。」
(母)「あら、そうなの。やっぱり解説書を手に取ってみないとね」と父に聞こえるように言う母と憮然とする父、という構図。
そうゆう母もかなりいい加減である。学生時代に兄が独立して部屋が空いた。そこで壁に何かかけたいので「あなたの写真を一枚ちょうだい」ということになった。そこで文化祭のためにパネルにした軍艦島を遠景で撮った写真があったのでそれを母に渡した。後日兄の部屋に行ってみると、写真が180度逆さまにかかっていた。水平線もあって天地が分かりやすい写真なのにこのていたらくである。
というわけで、美術館の写真展会場には自由に取れる無料の小さな解説書があるのでご注意ください。
投稿者 Ken Kitano : 09:29
11月6日 暗室
終日暗室。撮ったままほたらかしていたネガを見ながら、だらだら焼く。やっぱリズムよく回転していないとダメだと痛感する。歩いて、撮って、現像して、ベタ見て、焼いて、写真見て考えて、また歩いて、撮って・・、の回転を絶えず続けるなかで見えてくることが写真の真ん中になってゆく、気がする。寝かしておくと撮った時に考えてたり感じたことを忘れている。新陳代謝はいいほうがいいよ。というか、どの写真も下手。焼いているうちに泣きたくなる。下手だ。下手だ。・・(以下、繰り返し)。写真がうまくなりたい。写真がうまくなりたい。写真がうまくなりたい・・(以下、繰り返し)。写真がうまくなる薬があったら少々のリスクでも手にいれたいものだ。(オレはスポーツ選手だったら絶対に禁止薬物に手を出しているな。)
投稿者 Ken Kitano : 09:16
11月5日 日記ブーム
39歳になりました。昨夜は家族で近所のイタリアンレストラン「ジャッロ」でささやかなお誕生会。マスターがアイスクリームをサービスしてくれました。今日は満月なので夕方渋谷に月の写真を撮りに出動する。月は予想よりも12.3度くらい北から出た。来月が冬至なので2月くらいにはちょうどいい角度になるでしょう。いつになったら作品としての方向性が現れるのか・・。相手が天体だからひたすら受け身だ。10年かかってもいくらも撮れないかもしれないけど、ま、いいや。
最近日記がマイブームである。このブログではない。(当初our faceの撮影日記だったこのブログは、すっかり出来事と思ったことを忘れないようにメモするためのものになってます。)読む日記が面白い。武田百合子の「富士日記」(下)に引き続き、神谷美恵子の「神谷美恵子日記」(角川文庫)を読んでいる。ついでに日記じゃないけど田中小実昌のエッセイコレクションも読んでいる。富士日記は富士山に家を建てた武田家(泰淳、百合子、花子)一家の日記。富士周辺の人々との付き合いや日々の細かな出来事、毎日の食事、雄大な富士の四季、時折東京から訪ねてくる人々のことが綴られている。僕は女性の書いたもの(主に小説)というのは嫌いではないけど、なぜか読むのにエネルギーを使ってしまうのですが、この本はとても気持ちよくて、ささくれた僕の心をほぐしてくれます。本当に気持ちいいです。地元の建設業者のだれだれさんのところで事故があって若い人が死んだらしい、というようなことと、今日は豚肉何グラムをいくらで買って、トンカツにした。山中湖で泳いだ。ということが淡々とつづられてゆく。ああ、生きてる、時間が流れてる。時が移ってゆく、気持ちが落ち着く。空気のうつろいと死がいつもある。これから中巻と下巻もある。楽しみだ。
神谷美恵子もいいのだ。もの凄い才能を医学と文学についやした人だけど、30歳前後の日記が文庫本になっている。時は戦争真っ最中なのにまるで、静寂のなかにいるように学問と自分の人生と人々のために生きることと向き合っている。僕も読んだ本の感想などくだらないことをブログで書くけれど、当たり前だが体重のかけかたがまるで違う。その日読んだ本の感想が簡潔に書かれたりするけど、その頃毎晩東京の街は空襲の最中に(そうゆうことには一切触れずに)本を読んだり、人に会っている。事実1945年に自宅が空襲で消失する。まだ初めの方しか読んでないけど、たぶん生活しながら表現をすること、生きることについての全てが綴られているような気がする。
日記のいいところはずうっと続くことだ。時代が移ってもその人が生きている。長く読みたい本と出会った。
投稿者 Ken Kitano : 08:29
2006年11月07日
11月3日 小野規氏講演
軽く二日酔いで、昼頃までふ〜らふ〜らしていた。午後カメラを持って家を出て月島界隈をぶらぶらする。今日は14時が満潮なので運河など水辺を歩くが、天気がよすぎる。1枚撮って、地下鉄で二重橋へ。皇居を見つつ、歩いて近代美術館へ行く。早く着いたので常設展を見てたら、北川民次の版画があってうれしくなった。となりの部屋にはロバートフランクとウィリアムクラインの写真。やっぱイイ。得した気分。6時半から小野さんの講演を聴く。客席を見たら今回の6人の作家のうち姫路にお住まいの浅田さん以外全員来ていた。小野さんの講演は自作についてではなく、「パリと写真 共有された歴史」について。写真のふるさとパリという都市の発展と変遷、それに写真がどう撮られ、見られ、あるいは写真に何を人々が求めて行ったかの現在までの軌跡、を分かりやすく90分話して下さった。大学の先生だけあって話が非常に分かりやすかった。
面白かった点がいくつかあった。まずパリがオスマンの大改造によって現在の中心部が出来上がった過程で(近代化の過程)で、他の都市と同様に徹底して”闇の追放”というようなことが行われた。僕が面白いと思ったのは、同じ頃メキシコでは闇の復活というようなことが行われていたからだ。土着的なものの再評価がこの頃起こっている。そのことを重ねて聞いていた。パリではその過程でアルビル(名前知らなかった写真家)などの写真家は整然とした近代的で衛生的なパリの写真を求められ、数多く撮られたが、一方でアジェなど一部の写真家は消えてゆく記憶に対向するように、周縁部の人々や闇を撮った。このふたつの方向の表現の作用、反作用が後々も様々な写真家に求められ(そう、求められた!)、撮られて来た。端的なのはドアノーで、40.50年代の古き良きノスタルジーの代表のようなパリの写真家ドアノーが80年代に役所の要請で再び撮ったパリの郊外の無機質な風景(カラーで、人の写っていない、低家賃住宅などの冷めた風景写真)は驚きだった。こうした流れの中で、パリでは日本のVIVOの写真家やアメリカのクラインやフランクのようなパーソナルドキュメントの眼差しの写真家は現れなかったという。(でも異邦人としてエルスケンなど優れた写真家がたくさんパリをパーソナルな眼差しで撮ったじゃないか、と一方で思った。)ちなみにメキシコでは芸術家が閉じられていた重たい蓋を空けるように、近代化の過程で、断ち切られていたインディオの文化や土着的なものを肯定的に、猛烈な勢いで再評価し、近代につなげて行った。そこに影響を受けたのが、フランスのアンドレブルドンらシュールレアリズムの人たちで、また一方エドワードウエストンら北米のアーティストだったというのが面白い。もうひとつ、逆にメキシコやラテンアメリカでは都市の景観としてランドスケープ写真が発達しなかったと思うが、そこはフランスと対照的だ。(という話をしても誰もうん、そうだね、って話にならない。)
終わった後、明日フランスに帰られる小野さんを囲んで軽く二次会。竹内さんに「今日の北野さんなんかふらふらしてますね」と言われる。はっきり二日酔いがばれていました。
小野さんのヨーロッパの話は興味深かった。僕もいずれ、海外で制作し、発表したいが、海外の写真の空気は日本以上にアカデミックというか、階級的というか、写真として、アートシーンとして作家にも洗練されたものを求められると思う。僕は週刊誌や路上での写真展、土着、地べた系の写真活動の中で拾われてギャラリーや美術館で写真を発表させて頂いていきた。住み分けとして、かなり異端というか変な立ち位置なんだなと感じた。ヨーロッパもアメリカもタフな姿勢を求められると思うが、誰かがクレーンで持ち上げて運んでくれるわけではないから、頑張らないと。まずは英会話からか・・。
our faceの海外編も視野にきちんと入れて、長期計画を立てなければと、痛感する。これまで思いっきりエネルギーを費やして来たことの矛先を少しずつ変えてゆかなければならない。大変だ〜。
投稿者 Ken Kitano : 08:46
2006年11月03日
11月2日 国分寺→国立
朝から暗室。仕事の写真のカラープリントと最近撮った東京の写真のベタとり。色がなかなか出ません。昼前に中断して娘の学校公開を見に行く。図工の時間でハロウィンの仮装ドレスを作っていた。娘は黙々と制作していた。駅前の本屋によって「わしズム」、「Pen」アート特集、「東京人」中央線特集を買う。「わしズム」は現代の不安がテーマの特集。その中で”時代の空気を写し出す「不安な写真」”と題して中野正貴さん、中里和人さん、内野雅文君、小林伸一郎さん、平賀勝さん、北野の写真を紹介して、伴田良輔氏が書いて下さっている。思ってたよりテキストは短めだった。初めて内野君の作品と一緒の誌面に載るのが「わしズム」というのは意外だ。午後再び暗室。4時半に帰宅して娘と奥さんのためのカレーを作る。
夕方「中洲通信」のWさんと国分寺駅で会う。次回のコの字連載のロケハンである。北口のもつ焼き屋さんでビール。連日呑みが続いており、昼頃まで胃腸的に今日は酒はきついなーという感じだったが、近所でおいしいもつを食べながら飲むビールはとってもうまくて、途中から焼酎も飲む。2軒目に行こうと思っていた南口の店が休みだったので、電車で国立に移動する。国立駅は改装工事が進んでいて三角屋根も囲いの中だった。あれだけ有名で愛されていた駅舎なんだから残せばいいのに。空が広いのが国立駅前の特徴だったけど、なんだか高いビルが増えた。新しくできる駅舎がしょうもないデザインだったら、ブっとばすぞ!って感じである。ガード近くのもつ焼き屋へ。ナンコツと熱燗。だんだん気持ちよくなる。途中からご近所の編集者のYさんも合流して飲む。WさんとYさんは初対面だけど、Yさんが中洲通信の読者であるのと、お二人ともこのブログを読んでいて名前と素性があらかじめ一致していたので、すんなり打ち解けて飲む。なんだかこのブログもうかつなことが書けない。編集者のお二方からこのブログは毎日長い過ぎる、とご指摘を頂いたので、このくらい止めておく。すでに長いな。
投稿者 Ken Kitano : 08:37