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2006年12月26日

12月26日  記憶をなくすまで飲むのはよくないことだと思います

まったく、だめだめです。昨日は船橋の加賀屋の記憶がほとんどあまりありません。
先週も一人で秋津で飲んで、武蔵野線で一駅で帰れるはずが、気がついたら中央線の新宿だったという、恐ろしい出来事に引き続き、昨日も記憶が飛んでます。そして今朝は酒が残っています。本当にだめ人間な年の暮れです。

昨日は4時過ぎに新小岩へ。コの字のリサーチです。半分仕事なんです。(半分は趣味だろ、といわれればその通りです)。中洲通信の和田さんとまずは「魚三」へ。たぶん門前仲町や住吉と同じ「魚三」だろう。カウンターの担当のおばちゃんのキャラクターなのか、今ひとつ落ち着かなかった。ビール2本飲んで出る。次に気になった立ち飲み屋へ。入り口のガラス越しに混んでいる様子。銘柄酒のラベルをたくさん張った看板が出ているから新しい店にもみえるが、入っていたら、大きなコの字の感じのいい店だった。熱燗を頼んでから見渡したら、どの客も銘柄酒なんて頼んでいなかった。ほとんどの人が酎ハイか熱燗だった。何だか「早く酔う」というコンセプトを客全員が共有している感じがあった。どの人も飲みのテンポが速い。店に入るなり開口一番「早く食えるもの何?」聞いているおっさんもいた。続いてもう一軒小さなコの字の立ち飲みへ。女の人2人でやっていた。白い壁に花の絵が描いてあったりして何だかファンシーな、地方の化粧臭い喫茶店みたい。なんで混んでいるのかさっぱり分からない。酎ハイ一杯だけ飲んで出る。北口もざっと歩いてから船橋へ。大学の時に通学してた時以来16年ぶりで降りたら、高いビルばっかりになっていてびっくりした。京成線が高架になっていた。開かずの踏切が懐かしい。笹目さん、内野君も加わりかねてから評判を聞いていた「一平」へ。よい感じの店でした。客同士が何となく互いに気遣う感じがある。しかし少しずつしか飲んでいないとはいえ4軒目。内野君に写真の話をクドクした気もするが、後半から記憶が薄い。最後に加賀屋に行ったが、あんまり覚えていない。

そして今朝、忙しく仕事へ出る妻と学童に行く娘に心のなかで「ごめんなさい」と言いながら、ふらふらしている雨の朝です。

投稿者 Ken Kitano : 11:26

12月25日 川田喜久治展

 昨夜の家族でクリスマスの食卓でひとりで飲んだワインが残っているという、ダメな体調。それに腰と首と背中も痛い。新宿のクリエイトで現像だし。現ベタの仕上がりは年明けだそうだ。押し詰まったなあ。午後の打ち合わせ先に電話したら、「急用が入ったから明日にして」とのこと。もう新宿まで来てしまったのだが。時間が出来たのでエプサイトへ川田喜久治展「ATLAS 1998-2006 全都市」を見に行く。
http://www.epson.jp/epsite/
川田喜久治の写真世界は圧倒的でした。ある意味であれほど言葉を添えるのが難しい写真世界(ということは言葉を必要としているのかもしれないけど)に、かなり豊富に言葉が添えられていました。まさに世界の中で写真という経験をすることの凄まじさと自由を感じました。何のために、何に向かって写真を撮るのかということを、根底から考えさせられる写真でした。
 その後夕方からコの字リサーチのために新小岩と船橋へ。迎え酒モードで総武線。酒好きだが、やはり仕事や締め切りのために飲むのは気が重かったのだが、飲み始めたらやはり気持ちよくなってしまった。

投稿者 Ken Kitano : 10:33

2006年12月20日

12月20日   アートトップ

先日インタビューを受けた雑誌「アートトップ」が送られて来ていた。絵画を中心とした美術雑誌である。
http://www.gei-shin.co.jp/arttop/at0.html
特集は「笑いのかたち」。「かわいい」、「妖し」、「シニカル」といった広い切り口から「笑い」を通して芸術を俯瞰した内容だ。巻頭で、太った女や酔った女などを好んで描いた画家甲斐庄楠音の絵と our faceの肖像/日本に住む様々な人々3141人を重ねた肖像が並んでレイアウトされて、”薄闇の微笑み”というコピーが付けられている。確かに、似ている。
http://members.at.infoseek.co.jp/kainoshou/ecstasy/Htmls/x-02-009.html

 杉並の堀内カラーで仕上がりをピックアップして神保町へ納品に行く。現像所や納品のためのわずかな時間も駐車場を利用するようになり、駐車代がかかって仕方がない。極力一カ所の駐車で用事をすませるようになった。運転しながら昼飯はカレーを食いたいと思っていた。金がないので松屋でもよかったのだが、せっかく神保町に来たのでうまくて安い店に入りたい気もある。以前から行ってみたかったカレー屋ボンディーに行ってみた。うまかったら900円くらいまでならいいことにしようと思った。初めて行ったボンディーは古書店の2階の奥にあり、落ち着いた店だった。入り口にメニューなど出ていなかったが思い切って入る。ウエイターの人が感じがいい。こうゆうちゃんとした接客の店は、間違いない。これだけでいくらかお支払いしたいくらいである。メニューを見たらカレーは1450円から1500円だった。思っていたより高いけど、今更帰れないので1450円のポークカレーを注文する。うまい。うまい。カレーを一くち口に入れるとコクのあるうまみが何度も何度も変化しながら押しよせる。チーズをまぶしたご飯は、場所に酔ってチーズとルーの混ざり具合が変わって、これまた楽しめる。高いけど満足。おまけに店を出た古書店で漫画を4冊もかってしまって、予定よりだいぶ高い昼飯になってしまった。もう一件納品して暗室へ。
 夕方暗室を取材に写真雑誌の編集者の方が見える。制作プロセスなどを説明する。取材の後このごろの写真の動向についてついていろいろうかがう。

投稿者 Ken Kitano : 23:27

12月19日  忘年会

午後新宿で仕事の撮影。劇場の楽屋で芸人さんの撮影だった。狭くてタイトな現場だったが、案外スムーズに撮れた。本当はフィルムで撮りたいところだが、予算と時間の関係でデジ。こうゆう要請が増えた。袴田さんと近代美術館へ。写真の現在は見納めというか、行き納めか。思いのほか会場にたくさん見に来ている人がいた。一階の「揺らぐ近代」は一部展示替えしてあった。先日来た時にはなかった作品で、五姓田芳柳という人の「風俗図屏風」は富士を背景に街道をゆく様々な人を描いた、蜷川舞台の群衆劇の一場面のような大作があり、見た瞬間疾風が吹き抜けるような鮮やかさであった。岸田劉生はずうっと見ていたかったが、閉館時間がきて外へ。袴田さんと歩いて国立劇場へ。歩きながら文化放送の「やるマン」放送終了のことを話し合う。文化放送まずいんじゃないのか。国立で女義太夫の会を見る。忠臣蔵の京都の場面。最初、底の深い声が心地よく、気がつくとうとうとする。途中から起きて気持ちよく聞けた。浄瑠璃もそうだけど、この手の芸能は脳に心地いい何とか波?が出ているのだろう。歌舞伎や文楽の素養があったらなあ、と反省。
終演後雑誌シアターガイドの忘年会へ。清里でお会いしたカメラマンの高橋さんと再会。ご結婚されお子さんも生まれたとのこと。以前お会いした時よりもお元気そうな顔だった。何となくお母さんの顔。大野さんともつ焼きや談議。
終電近くで帰宅したら、爆笑問題カーボーイが始まったところだった。太田さんが立川談志落語についてオープニングから50分話し続けていて、面白いので風呂にもラジオを持ち込んで聞いた。談志の「ねずみ」をまた聞きたくなった。いま猛烈に落語聞きにいきたい。この年末は恐ろしく金がゼンゼンないぜ。どうしよう・・。
爆笑のお二人は新年初めのスパのエッジの写真を撮らせて頂いてます。いま発売中の年末号のエッジ「大奥」も撮ってます。ある意味すごい現場でした。

「写真の現在」展にも出品している「滋賀県近江高校野球部員の肖像」の近江高校に展覧会の図録をお送りしたら、丁寧なお礼のメールを頂いた。将来学校の図書館で今回の図録を見て、写真家になる生徒がいるかもしれない。薦めないが。同校のウエブサイトに紹介がでています。広報の先生が図録を読み込んでテキストをまとめておられます。
http://www.ohmi-h.ed.jp/ohmi-news-s.htm

投稿者 Ken Kitano : 09:39

2006年12月17日

12月16日  

 ご病気の新潟のEさんに電話できないでいる。先日亡くなった井上さんのことで、何をどう話してよいか考えられないうちに時間が過ぎている。ご本人と電話で話せても、あるいは留守電にメッセージを残すにしても、たぶん最後の会話になると思う。いっそ会いに行こうかと思うが・・。思い浮かぶのはEさんと一緒に行ったヒューストンフォトフェスとのことや柏崎の森山大道展のことである。ヒューストンではふたりしてビールばかり飲んでいた。
 午後公園で娘の自転車の練習。広いところでは自分でこげるようになった。僕の子供の頃より覚えるのが早い。こっちは親子で自転車だが、帰りに近所の畑で農家の子(小学生)が、お父さんに小型のシャベルカーの運転を教わっていて、びっくりした。
 めったにチェックしないのだが、夜何気なくこのサイトのアクセス数をチュエックしたら、700件を越えていて驚いた。気になっていろいろ見たら、茂木健一郎先生のブログにリンクがあった。初めて見た方はぜひ、24日まで開催中の国立近代美術館「写真の現在」展でオリジナルプリントをごらんになって下さい。
近代美術館「写真の現在3 」展→
http://www.momat.go.jp
茂木健一郎さんクオリア日記→
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/

投稿者 Ken Kitano : 08:49

12月15日  サービスセンター

 雑誌の撮影で茂木健一郎先生にお会いした。勝手な予想に反して大変に疾走感のある方だった。名刺を見てour faceってどんな写真ですか?と聞かれたので咄嗟に近代美術館「写真の現在」展のチラシをお渡しする。撮影の前にインタビューを聞いていたら、あんまりお話が面白いのでとなりでメモを取ってしまった。主にスポーツについての内容だった。ほとんど運動をしない僕だけど、たまに近所を走ることがある。思えば、本を書いていたり、企画書のアイデアが出て来ない時ほど走っている気がする。頭を使うとき、忙しい時ほど、むしろ体を動かしているのに気がつく。忙しいから走れないのではなく、忙しいから走るのだ。最近仕事や生活のリズムがうまく作れないのは運動していないせいか?帰ったら久しぶりに走ろうと思う。
 午後扶桑社へ。納品と来週の出張の打ち合わせ。帰りに写真美術館で細江英公さんの写真展を見ようとしたが、恵比寿周辺の駐車場が空いておらず、今日はパス。交通量が多い。師走だ。246に出て三軒茶屋で落合百合子さんの写真展を見る。落合さんの著書「働くこと育てること」の写真展。一度見たものだが、改めていい写真だと思った。普通の人の、家庭や職場に入り込んで、子供と親の日常の時間を撮った写真で、全国を循環した写真展だ。ある年齢の子供と親は特別な関係だと思うが、その濃密でデリケートな世界を、外からの判断や思い込みを持ち込まずに、優しく撮っている。落合さんのこの仕事は世間的にはささやかかもしれないが、後々まで残る金字塔だと思う。
 キャロットタワー近くのドコモショップで携帯の電池を替えてもらおうと思ったら、故障が見つかって、大替機の準備やら、手続きで2時間 もかかってしまった。スタッフの対応は悪くなかったけれど、サービスセンターのたぐいは、何とも疲れる。苦手てである。
 教育基本法がとうとう通っちまった。改憲に向かって一直線の流れだ。タウンミーティングその他、自民党には突っ込みどころがたくさんあるのに、民主党は何やってんのか。

投稿者 Ken Kitano : 08:12

12月14日  暗室

 午前中は歯医者へ。前2回に渡って磨き方を教わったので、今日は磨き残しがほとんどないと褒められた。歯ぐきの症状もよくなってきているらしい。今まで30年以上まったく無駄な歯の磨き方をしていた。正しい磨き方を知っているのと知らないのとでは大違いだ。失った歯ぐきは大きいけれど、これから残された歯と歯ぐきを丁寧に使っていこう。
 午後、渋谷でPR誌の撮影。ついでにカラー印画紙を買おうとビックカメラの東と西の両方に行ったが売っていなかった。銀塩関係はどんどん売り場と品数が減ってゆく。帰宅して夕食を食べてすぐ暗室へ行く。夕食は野菜だけのメニューだった。SPA!のエッジの写真を焼く。僕も大好きな人気漫才コンビのおふたりだったのだが、現場では時間がなくライティングの調整が出来なかった。ベタの段階ではテレビのスタジオのようにメリハリのないのっぺりした絵になていた。思い切って色を冷たくして、焼き込みを加えたらイイ感じになって来た。新春第一号のエッジがざらっとしたイメージというのもいいかな、と思ったりする。1時頃帰宅。今日は禁酒。森有正を少し読んで寝る。

投稿者 Ken Kitano : 07:50

2006年12月12日

12月8日  寒

多摩地区は寒い。朝など玄関の板が冷たくて素足では立てない。月曜に撮影するポートレイトのバックを作っていたら朝になってしまった。拡大コピーを使ってバックを作ろうとしたが、日曜なので出力やしか空いておらず、制作した元をスキャンしてデータにする。朝一番に恵比寿の出力屋さんに持って行って、富士そばでそばを食う。出力屋のおねえさん、おにいさんはマニュアル以外の言葉と表情を持たず、それ以外のことを聞くと困ったような、哀しいような、バカにするような顔をする。牛込で新宿区の本のためのカットを撮って帰る。疲れたから昼ビールして、昨日の撮影のデータをまとめる。夕方久しぶりに銭湯に行った。寒い日の銭湯はキク。
 先月末に行った大阪のことや、今読んでいる森有正のことなどを、忘れないうちにブログにメモしておこうと思うが(このブログはメモです)、先週来の出来事の気持ちが整理できていなかったので、書かずに来てしまった。それらはいずれまとめよう。本当はこのブログの他にもうひとつ日記的言葉と時間的写真を組み合わせた新しい作品というかシリーズをウエブでスタートさせたいと思っている。林君手があいたら相談にのっておくれ。

投稿者 Ken Kitano : 09:26

12月7日 立石はすごい

雨。寒い。スパの撮影のため都内ロケハン。雑踏と年末の街の雰囲気のなかで芸人さんを撮れる場所を探して、新宿→六本木→有楽町→新橋とざっとみて有楽町に決める。こうゆう撮影はロケ地で7割りくらい決まる。編集さんも年末進行で限界ぎりぎりでやっているので、スムーズに撮影できるようにこちらも足を使って準備することにする。新しくなった六本木の街はスキがないから、撮影しているとすぐ警備員が飛んできそう。なんだかそんな街が増えた。途中森美術館でビデオアーティストのビル・ヴィオラ「はつゆめ」展を見た。誕生、死、再生・・等々、個々の作品には大きなテーマがあるようだけど、全体を通して、悲しみや苦しみ、といった人間の意識と感情の動き、その源泉、その本質へと降りてゆくようだった。そして、より深い地点へと降りて行っても、やはり見る側には「その先」が現れ、結局のところ、「見続ける」ことに全ての問いと答えがあるようだ、などと自明のことへと思いが至る。何よりどの作品も厳粛である種の敬虔さたたえた美しさがあり、心地よい驚きとともに見ることができた。その「深み」へと降りてゆくことは、何ものにもよりかからないで立っているような体験であり、作者の「体験」の一旦を覗いて、世界の普遍を見るようだ。来てよかったと思った。駅まで行きがてらタロウナスなどギャラリーを覗く。
 大学の写真部の後輩だった柳原君が地元の立石を案内してくれるとゆうので、新橋から浅草線直通京成線で立石へ行った。新橋から30分かからなかったので近さにびっくりした。話には聞いていたけれど、昭和20年代に出来たアーケードの賑わい。もつ焼きや、寿司屋、肉屋が多いこと。有名なもつ焼き「内田」、立ち食い寿司の「栄寿司」、もう一軒名前忘れたけど、いい居酒屋、最後は四ツ木の「えびす」と4軒はしごして、合計してひとり3000円いっていないと思う。安くてうまくて、にぎわってて、いうことなし。ハイボールは200円台が当たりまえだ。つまみも100円台200円台300円台が主流の店ばかり。うらやましくなった。また来よう。

投稿者 Ken Kitano : 08:45

2006年12月06日

12月5日 さようなら、二郎さん

 井上二郎さんのご葬儀(お別れの会)に行って来た。日曜に立石さんから電話があった時は、なんだか信じられないような気がして、実感がわかなかった。前日に電話をした時に、受話器越しに少しだけ声を聞いていたからだと思う。まさかという気がしていた。すでに食事が喉を通らなくなっておられたそうだ。月曜になって奥様からの留守電のメッセージを聴いて、やっぱり本当だったんだ、という気になった。井上さんとは7.8年くらい前だと思うが、BRUTUSの仕事でご一緒してからのご縁だった。ずうっと一緒にいるということではなかったけれど、時々声をかけてくれ、人を紹介してくれたり、演劇や写真の話ををさせてもらった。そういえば失明なさってからもご自宅で見舞いに来た友人に僕のことや仕事のことを話して、写真見てあげて、と紹介してくださった。最後までに人と人、言葉と言葉を繋げてくださっていた。扶桑社の伊豆野さんを紹介して頂いたのも、井上さんだった。思い出してみると、やっぱいろいろ話した。メキシコのことでも、ほんの少し話し始めると、短い時間で、ぐっと本質的なところに降りてくる。芸術のことへの深い造詣の一方で、企業の不祥事や核のこと、農業生産物や生活のことへの関心もあって、「SPA!」や「世界」にもシャープなレポートを書いていた。一昨年は僕の「our face」にもコラムや英訳のことでずいぶん関わって頂いた。思えばその時期は手術の前後にかかっていたわけだから、体にもずいぶん負担をかけてしまった違いない。今となっては本当に心苦しい思いだ。昨年からは時々お宅に伺ってお会いするようになった。秋田に湯治に行ったことが懐かしい。もう一度くらい行けると思っていたけれど。二郎さんに会う度にいつもすごいなと思うのは、行動が伴っているというか前向きな姿勢だった。失明されても、「文章書くのにカセットレコーダーが欲しいから、買いに行くの手伝って」と普通に電話がかかって来たりする。(話すことの前には心の振幅があるのかもしれないが、言葉になった時には既に純度が高いというか、行動につながる言葉になっている。聞いた時は唐突な気がするのだが、そうゆう言葉こそが経験へとつながる言葉なのだと思う。)そうゆう状況でも、書くという前提で、どうやって、何を書くかが、もうある。ものを作ること、生きることは具体から具体へ連なるものだと、二郎さんの姿勢から教わった気がします。まだまだ話したかったことがいくつも思い浮かんできますが、それも大事に持っておこうと思います。
 頂いたものは大きかったです。二郎さん、ありがとう。安らかに。

投稿者 Ken Kitano : 08:14

2006年12月03日

12月3日  今頃Jさんの魂はどこを・・

今日は空気が冷たかった。青空に中央公園の銀杏の黄色が輝いていた。
午後から一人で家の買い物をしていたら、雲が出て来て、月の撮影は断念。家でハンバーグを作って家族で食べた。
食後「ZOOM JAPAN」誌に頼まれていた写真データを作っているところへ、Hさんから電話があり、昨夜 J さんが亡くなったとのこと。明日からホスピスに入られることにもなっていたそうだ。いつかはと思っていたけれど、まったく虚をつかれたようだ。ちっとも実感がわかない。10月末にお会いした時は、そんな感じではなかったし、どうにもイメージが像を結ばない。そもそも昨日と一昨日の夕方にどうされているかなと思って電話をしたところだった。一昨日、やはり癌を患っている知人のことを別な方から聞き、それでJさんのことが気になって電話した。近代美術館のチラシも持ってく約束をしていたし。電話した時はどちらもヘルパーさんが出て、今休んでいる、ということで、じゃまた後で、もしかしたら折り返しかかってくるかなと(いつもそうなので)、と思っていたところだ。Jさんはいつも唐突だ。飲むのも、仕事の誘いも。
もう少し話をしたかった。演劇の話をしたかった。写真の話も。この間会った時はヨーロッパの左翼と右翼の話を聞いた気がする。晩飯をご一緒したが、展覧会前で僕の気持ちが落ち着かず、余裕を持って話せなかった気がする。ヘルパーさんが作ったカレーを頂いたのだが、僕は昼もカレーだったので、少ししか食べなかったのを「もっと食べなよ」とすすめてくれたのだった。
大変な知識とウィットと、表現に対する真摯な敬意を持った人だった。まだそんなことしか言えない。
僕の写真集をお持ちの方は、神奈川の「とりふね舞踏舎」のカンパニーの方々を撮って重ねた肖像の頁の「舞踏」について書いたJさんの解説コラムをお読み頂きたい。

実感がわかないことが、ただただ腹ただしい、そんな感じだ。(合掌)

投稿者 Ken Kitano : 20:51