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2007年01月28日

1月27日  バライタ印画紙

メキシコの壁画のシリーズをなんとかまとめたいと久しぶりに引っぱり出して見ている。今の時点では全然ダメだけど、素材は悪くない(と思う)から、プリントに関してはじめからやり直そうと思う。ものになるか分からないけどね。それでモノクロ印画紙のことを調べたら、あまりの高さと品数の少なさに驚いた。感材メーカーが銀塩からどんどん撤退するなか唯一がんばっているイルフォードは昨年一斉に値上げした。モノクロ銀塩は風前の灯火だね。どかで安くまとめて売ってくれる業者がないだろうか。使う人は既にまとめ買いしているんだろうな。

仕事で鎌倉に行ったので、神奈川県近代美術館で畠山直哉展を見て来た。都市というテーマでいろんな作品を集めて構成していた。初めて見た作品のもあった。いろ〜んなアプローチで撮られていることに、改めて、圧倒されました。最近自分で風景を撮っていても思うのだが、90年代あたりからフカンと夕景というのは都市を見つめる、ほとんど必然に思えて来る。その両方をほとんどパーフェクトな方法論でとってるのが佐藤さんの非常階段シリーズだな、って思いました。
それにしてもストリートを撮ることが都市を撮ることだった時代が遥か昔のように思えました。実際はそうでもないのだろうが。前から欲しかった写真集「LIME WORKS」を買って帰る。

投稿者 Ken Kitano : 10:20

2007年01月23日

1月23日 「どぞう」って絵本があります。

 妻は左官仕事、漆喰による制作、及びフレスコ画などをやっているのだが、昨年九州の知人のご尽力もあって一冊の絵本を出すことができた。左官仕事の総合体でもある土蔵が出来上がるまでを、左官の親方と子供との会話から描いた絵本だ。
小さな始めたばかりの出版社で、まだ流通がうまく行っていないようだったのだが、この度農文協のネット書店で扱って頂けるようになったそうだ。日本の伝統技術をわりとしっかり描いている。この本、日本漆喰協会推薦、月刊「左官教室」推薦、まちなみ探偵団推薦、大分石灰工業会推薦、と、地味に方面からご推薦を頂いている。
 何となくどの登場人物も具体的な知人が思い浮かぶ。
http://shop.ruralnet.or.jp/search_result.php?mode=d_serch&opt%5Bbook_author%5D=%C2%BC%C8%F8%B2%C2%BD%A3%BB%D2

投稿者 Ken Kitano : 23:06

2007年01月22日

1月22日 寒いぜ

 我が家はホントーに寒い。昨日など寝るときに電気ストーブのお休みタイマーをして寝たら、親子三人がオレンジ色のランプに照らされて、お肉屋さんの店頭で暖められているローストチキンのようだ。朝あったかいお味噌汁がおいしかった。
 午前中プリントのフラットニングをして、午後ギャラリーに持って行った。途中有楽町に寄ったら丸井の工事が進んでいて、駅周辺の風景がずいぶん変わっていた。ビックカメラで目覚まし機能付きラジオを買った。明日の朝は文化放送で起きよう。

 帰ったらアマゾンから清水ミチコのアルバム「リップサービス」と奥野修司「心にナイフをしのばせて」と谷田部孝司+あつ子「お父さんはやってない」が届いた。ミッちゃんのアルバムは陽水の架空の新曲が秀逸だった。ここまでいくとかっこいい。大人の笑いだ。「心にナイフをしのばせて」は「28年前の酒鬼薔薇事件」といわれた1969年に起きた事件とその後のルポルタージュ。以下アマゾンの紹介文の一部「入学して間もない男子生徒が、同級生に首を切り落とされ、殺害されたのだ。〜略〜10年に及ぶ取材の結果、著者は驚くべき事実を発掘する。殺された少年の母は、事件から1年半をほとんど布団の中で過ごし、事件を含めたすべての記憶を失っていた。そして犯人はその後、大きな事務所を経営する弁護士になっていたのである。」ラジオで藤井誠二さんが紹介していて前から気になっていた本。このての本は読むのがつらい。すぐには読めないかも。「お父さんはやってない」は周防正行監督の新しい映画の下敷きなった本。えん罪訴訟に巻き込まれた家族の手記。
 
 先週、新潟のEさんが亡くなった。前から分かっていたので、暮れの井上さんのようなショックはなかったが、やはり寂しい。豪快であったかい人だった。Eさんとは新潟の小さな街で市民の手弁当の森山大道展「仲治への旅」をやったときにお手伝いしたことがあった。雪国の、魚屋さんとか、そうゆう普通の人が見に来て、本質的なことをぼそっと言って帰ってゆくのを見てて感動しました。写真史には残らない写真展ですけどね。一緒にヒューストンにも行って、たくさん写真を見てビールはたくさん飲んだ。Eさんおつかれさま。

 そういえばスパでourfaceやってた頃、「あるある大辞典」の人から「顔のゆがみ」について、たくさんの人の顔を撮っている北野にコメントを欲しいと編集部に問い合わせがあったそうだ。出張中で留守にしていたからか、気が変わったのか、僕の携帯に電話はかかってこなかったけど、なんだか今となっては懐かしいエピソードだ。一度も番組みたことないけど。

投稿者 Ken Kitano : 23:30

2007年01月19日

1月18日    ZOOM JAPAN

掲載誌が送られて来た。ZOOM JAPANは世界的な写真雑誌のZOOMの日本版。僕の作品は前半の各国共通頁ではなく、日本版限定の頁。ただし英文のテキストもついているので嬉しい。
http://zoom-japan.igd.info/
午前中暗室。午後原宿のナディフとヒステリックがやっている RATHOLE GALLERYへ行ってみる。ナディフは森山大道さんの本をたくさんおいていて、一冊ほしい本があったのでまた来よう。RATHOLE GALLERYは休みだった。外から見たらきれいなギャラリーだった。こっちも又来よう。途中、表参道でストリートファッション雑誌ケラ!のカメラマンのカジイさんとばったり会う。
半蔵線で錦糸町へ。先輩のカメラマン池田ただしさんと飲む。初めて池田さんとさしで飲んだ。池田さんが名古屋のどての品川に昔行ったことがあると聞いてびっくりした。楽しかった。

投稿者 Ken Kitano : 13:06

2007年01月17日

1月15日  名古屋 どての「品川」

 尾張真清田神社のどんと焼きの撮影に行って来た。4時起きで始発の新幹線で名古屋へ。どんと焼きだから田んぼでやるのかと思ったら、境内で木っ端を燃やした。氏子さんが持って来たお札お守りも火に入れる。昼前に祭は終わって、さて午後はどうしよう?せっかく来ているので、今年つくる予定の尾張伝統文化本のロケハンになる場所はないかと、 Nさんと常滑に行くことにした。
 常滑は焼き物の街と聞いていたが、笠間や有田なんかとだいぶ雰囲気が違っていた。もともと大きなカマが多く、戦後(たぶん)は土管や地下に埋設する配管類をつくっていたようだ。(INAXもここが地元)。個人の陶芸家の釜というのはあまりなかったらしく、ショップやギャラリーを覗いても、作家性のある焼き物は少なかった。ただ常に四日市や津になるのかな?対岸が見渡せる伊勢湾の地形は多少把握できた。
 名古屋に戻って荷物を置いて地下鉄で堀田へ。マガジンハウスのTさんに聞いたどての「品川」に行った。商店が点在する住宅地にひっそりと「品川」はあった。赤提灯にモツを焼く煙、寒いのに外で立ち飲みのおじさんが数人。その中に加わる。ビールを注文して、なんとなく長くいたいな、と思い直して中に入って飲むことにした。年季の入った店内はテーブルと座敷。カウンターはなかった。どて焼き、串カツ、ビール、途中から熱燗。おいしい〜。実は僕は正直なところ三河、尾張の味噌味というのがどうも苦手だった。それが最近尾張方面に行く機会が増えて徐々に慣れたせいもあるのが、品川で食べた串カツ味噌と熱燗の相性がとてもよく、どうやら完全に味噌味がおいしくいけるようになりました。ここのは味噌味がとんがっていない、優しい味なのだ。串カツは1本70円。テイクアウトの電話も時々かかってくる。電話でカツ50本にモツ20本なんて注文もあった。大家族の夕食の一品になるのだろう。
 もう一軒、御園座の近くのどての「島正」という店にも行った。こちらも高くないが、少し上品な感じの店で、長いカウンターの奥がコの字になっていた。こちらも大変おいしく、いい雰囲気の店でした。店名が気になって聞いたら、島田正吾さんから名前を頂いたとのこと。何かの本で島田さんが新国劇の公演のたびに行きつけの店に名前をあげたことがあると読んだ気がします。場所柄ですね。

投稿者 Ken Kitano : 08:24

2007年01月13日

1月12日  渋谷

午後渋谷駅周辺で撮影。ものすご〜く久しぶりにビューカメラで撮影。カンがまったくない。たぶんダメダメのフレーミングだろう。駅前は三脚立ててるとすぐ警官が来る。昔「溶游する都市」撮ってた時よりも監視社会的になっている。改めて見渡すと渋谷駅周辺も変わった。4時過ぎまでに4カット。
街中の撮影とは関係ないけど、様々な監視社会化の傾向は我々の思考停止の延長。加えて教育基本法にしても個人であることを認めないで旧来の”世間”へと後戻りする流れを強く感じる。政府の傾向をそれによって疎外される側なのにそれを礼賛する人が大半を占める傾向ってよくわからない。他のイメージが描けないからか。数年前、世の中が終身雇用をやめ、個人の能力を重視した競争社会にすることで、僕たちは個人の輪郭や立場がより鮮明になると思っていたと思う。大嫌いな言葉だけど自己責任という言葉がやたらに使われた。結果、格差の広がる社会になってたくさんの弱者をつくって切り捨てる社会になったけど、個人の言葉や存在を益々ないがしろにする社会になった。描いたのとだいぶ違う。ま〜ったく個人を大事にしない社会のまま。せめてもっと社会に流動性がほしい。
夕方扶桑社で打ち合わせ。熊野本第二段をやることになりそうだ。また古道歩きの日々か。

投稿者 Ken Kitano : 05:33

1月11日  暗室

暗室。ベタを3本。仕事の写真を7カット。思いのほか時間がかかった。 SPA!届く。エッジで爆笑問題のお二人を撮らせて頂いた。この写真は背景作るのに1日半かかった。でも作ってよかった。
暗室にいると作業ははかどらなけど、こらからやりたいことのイメージが湧く。カラーでやりたいこと。言葉と写真を組み合わせて”時間”についての作品を展開したい。ourface世界編はあまり時間をおかずに、借金してでもやったほうがいいかな、などとも最近思う。明日の支払いや月の家賃のことばかりに気を取られている場合じゃないか。

投稿者 Ken Kitano : 05:13

1月10日  細江英公展

 昨夜書き上げた中洲通信の原稿を朝もう一度読みな直して、和田さんに送る。体調悪いながらも結構新小岩の空気を感じとって書けた気がする。昼前に電車で原宿へ。写真雑誌「photographica」編集部で竹内万里子さんのインタビューを受ける。頭が弛緩しているのでインタビューでちゃんと答えられるか心配だったので、電車の中で以前の「写真の会」のインタビューを読み返す。まるで虎の巻。我ながら結構きっちり答えているなあと思う。にもかかわらず実際のインタビューでは竹内さんの丁寧で素早く本質に深くに降りてくる言葉に、脳みその大半がフルーツポンチのように弛緩しきった僕は、まったく鮮度のない言葉を水漏れして蛇口をひねってもちょろちょろしか水のでない水道のようにぼそぼそと答えるばかりであった。言葉に対して常に緊張感を持て!と自分に。
 せっかく原宿に来たので写真家の池田ただしさんのスタジオに寄る。久しぶりだったので話し込んで長居をしてしまった。写真の話、ラジオの話、旅の話。吉野屋でカレーを食べようと思ったら10分くらいかかるというので豚味噌炒め定食を食べて恵比寿へ。東京都写真美術館で細江英公の世界展を見る。数年前に松濤美術館で見た回顧展とまた雰囲気が違って、プリント技法のバリエーションやサイズもいろいろで、幅広い角度から細江先生の世界を見渡す写真展になっていた。ロビーで記録映像を放送していて、その中に昨年ニューヨークで大きな賞をお取りになった授賞式の模様も一部あった。巨大なホールを正装の男女が埋め尽くしていて、まるでアカデミー賞の授賞式のような華やかさだった。サラムーンやドゥアンマイケルのコメントもあった。アメリカって全然ちがうって思った。やっぱ世界のEIKO HOSOEだ。
 その足で芝浦のPGIへ。同時開催中の細江英公さんの写真展のオープニング。早めにご挨拶をして帰ろうと思ったが、お偉いor有名ぽい雰囲気の方が次々にいらして、タイミングを逸し続ける。知り合いもいないし帰ろうかなと思っていたところにKMOPA広報の小川さんが現れて、細江先生に取り次いで下さった。僕はかろうじてKMOPA(清里フォトアートミュージアム)のヤングポートフォリオに出すことだけが”写真をやっている”という時期が長かったし、ヤングポートフォリオに選んで頂いたお陰でourfaceは後に日の目を見たので、細江先生にずうっとそのことのお礼を申し上げたかった。やっとその野望がかなった。細江先生から暖かい言葉を頂いた。帰りに小川さんと喫茶店に寄ってまたまた話し込んでしまった。今日はよく話し込む日だ。竹内さんのインタビューでの言葉足らずを補うように話し込んでる。
 言い忘れたがpgiでの細江先生のダゲレオタイププリントは息を飲んだ。宝石のようだった。

投稿者 Ken Kitano : 04:27

1月8日  新小岩

4日の日、朝から体が重いのであれれ、と思っていたら、程なく発熱とひどい下痢。何年ぶりで風邪で寝込んだ。症状からすると流行のノロウィルスっぽかった。しんどかった。で、なんとか回復して、中洲通信の居酒屋連載「気がつけば僕はいつもコの字」の新年一発目の取材にでかけた。総武線平井で降りて江戸川競艇場へ。編集の和田さんも体調が優れない。二人してテンション低めの取材スタート。人生初競艇は当たりませんでした。でも楽しかった。新小岩に移動して立ち飲み「わか」。どさくさげりら的にになんとか取材完了。時間が早いのでバスで立石へ。串揚げ→四ツ木「えびす」。店を出たら新小岩行きのバスが来て何となく乗る。で、新小岩のラーメン屋でビール。体調悪いのに、無理して飲んでいるっぽいのに、一周してしまった。バカです。

投稿者 Ken Kitano : 04:10

2007年01月03日

1月1日 謹賀新年

 明けましておめでとうございます。昨年中は、個展とグループ展を中心に様々な方と出会い仕事をさせて頂きました。ありがとうございました。本年もよろしくお願い致します。
 ところで、今年の正月は生まれて初めて東京以外の場所で年越しをしました。知らない土地で知らない人たちと年越しというのもいいもんですね。どこかというと山形県の出羽三山神社で12月31日から1日にかけて行われる松例祭を見てきました。東京から上越新幹線と羽越線を乗り継いで4時間。さらにバスに1時間揺られて出羽三山神社へ。平地には雪がなかったが山に上がると50センチ程の積雪だった。出羽三山は修験の山。従って神事も神社で神職さんが行う神事の他に、修験の山伏さんたちの神事が別にある。この修験の人たちの様々な神事が実に面白い。たくさんの神事があり、どれも複雑で、別な場所で同時進行のものもあり、簡単に説明するのは難しいのですが、午後3時の縄まき神事に始まり、午前2時の山伏さんたちの直会まで外と本殿、この日だけ使われる補屋という聖(ひじり)と若衆たちがいる小屋の主に3カ所で古式ゆかしい祭が繰り広げられる。行くといつも感じるのだが、山形の人というのは日本で一番親切なのではないかと思う。よそ者の我々観光客にも補屋の中の神事を見せてくれるだけでなく、中でおにぎりや燗酒(囲炉裏にかけた大鍋でじゃんじゃん燗酒を作っては振る舞ってくれる。寒いので飲んでないといられないし、寒いので酔ってもすぐ冷める)を振る舞ってくれる。世界で一番迷惑な人種である祭を写す、熟年アマチュアカメラマンたちにも嫌な顔ひとつしないで親切にしてくれる。(あの人たちカメラおじさんおばさんは、島国日本人の悪い部分が全部を集めたような人たちだ。)
 最後に、深夜3時近く、雪の中で直会を終えて雪の中を下山してゆく山伏さんたちのを見送った。山伏さんたちが下りて行った先に、木々の間から、遥か眼下に庄内平野の街の灯りがチラチラみえた。その時、この山は本当に特別な聖なる場所なんだなと実感した。我々日本人は本当に大変に古く、そして深いものを実は脈々と受け継いでいるのだなあ、とぼんやり思った。松例祭のことはまだあんまり消化しきれていないです。けど、いい祭でした。
 年々時間がたつのが早くなる。昨年展覧会と各方面から反響を頂いたourfaceは7年ごしの仕事。そう思うとあといくつ写真の仕事を残せるのか?。近い人を亡くしたこともあってか、そんなことを考えてしまう。とりあえず、今年は寝かせたままになっているメキシコの写真を発表するメドを立てることと、カラーで撮っている東京の写真を自分のなかで軌道に乗せることが当面の目標ということか。あとちゃんと収入を確保しないと。未払いのクライアントへの対応とかちゃんとしないとなって、フリーなのにマネジメント能力のささを痛感する年の暮れでしたから。
 
 
 

投稿者 Ken Kitano : 12:45