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2007年03月21日
3月20日 ご報告
桜の開花の前に急に寒くなりましたね。いかがお過ごしでしょうか。
「our face」でお世話になった皆様に、ご報告です。
この度この作品の一連の表現活動に対して、19年度日本写真協会年度賞の新人賞を頂くことになりました。
グローバル化の中の個人について、私なりの考えをコンセプトにまとめ、制作してきましたが、受賞理由を見ますとプロジェクトとしての活動と昨年のPGIでの個展、国立近代美術館のグループ展「写真の現在 3」での発表活動を含めて評価して頂いたようです。
歴代の受賞者のお名前を見ると優れた仕事をされている方々ばかりなので、身の引き締まる思いです。この仕事はたくさんの方々に支えられて続けて来られました。ご協力頂いた皆様に改めて御礼申し上げます。
発表写真展等が6月にあるそうです。
今後our faceは海外での発表と、いずれ続編として世界各地での取材も視野にいれ、時間をかけて活動してゆくつもりです。(企業の芸術支援プロジェクトやアーティストレジデンスなどの情報を集めています。いい情報がありましたらお知らせ下さい!)
当面は前作のメキシコの作品をまとめつつ、新作のランドスケープシリーズの撮影を進めて行きます。
時代の中で写真は既に一定の役割を終えたメディアであります。ですが、「いま、ここに、世界が確かにある」という誰にとっても切実な真実にコミットできるメディアとして未だ大きな可能性を持っていますし、急速に他者への想像力を失いつつある世界の中で、その輝きは一層増しているように思います。まだまだやることはたくさんあるなあと思います。今後もゆっくりですが精力的に活動してゆきたいと思います。
賞を頂いたからといって敷居が高くなることは一切ございません。
これまで通り、プライドもギャラも低めの設定のままでございます。フットワークのよさも(若干最近腰痛気味ですが)同じでございますので、仕事のご依頼含め、今後ともどうぞよろしくお付き合い下さい。
末筆になりますが、皆様のご健勝をお祈りしております。
ご報告とお礼まで。
写真協会サイト
http://www.psj.or.jp/psjaward/2007.html
北野
投稿者 Ken Kitano : 01:07
2007年03月20日
3月19日 どろぼうの話
熊野取材の話。例によってハードな移動と山歩きの日々。那智の裏山に雪が降っているのに、少し離れた海沿いは半袖で歩きたくなる陽気なのが熊野らしい。「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉があるそうだ。
で、17日の日は朝、中上健次の小説にも登場する古座(中上健次の行きつけのうなぎやにも行きました)を出て、串本へ。ここには円山応挙ら屏風絵が見られる無量寺がある。さらに午後周参見を経て、中辺路の高原へ。古道を少し歩いて撮影。17時過ぎに帰京するライターとバス亭で別れました。僕は車を飛ばして再び海へ。間一髪で落日に間に合った。予定のポイントまで行けなかったけど、ともかく枯木灘の落日を撮影できてよかった。さて、終わって6時過ぎ。田辺周辺を出発し、その日のうちに三重県のO市へ。山間部の狭いスラロームを飛ばした。3時間半かかってOの街についたのは10時近くでした。予約しておいたビジネスホテルにチェックインすると、どっと疲れを感じた。シャワーを浴びて、カメラの充電やらデータのバックアップをする。空腹を感じないくらい疲れてたけど、上着を着て下へ。駅まで5分程歩くと数軒店が開いているというけど、僕にしては珍しく、その元気もない。ホテルの周りは暗くて何もないのだが、向かいに一軒だけ暖簾が出ている。小さなお好み焼き屋だった。見ると客がいるので、「ビールと食べ物があれば何でもいい」という感じで入った。
年季の入った店内には鉄板のあるテーブルが3つ。先客の50歳くらいの夫婦がビールを飲みならお好み焼きを食べていた。切り盛りしている女将は「まりちゃん」という店名にふさわしく、苦労を元気で跳ね返してきた、そんな感じのライオネルアスカ似のおばちゃんだった。ビールと豚焼きそばとお新香を頼んだ。 焼きそばが出来るまでのあいだ、先客の話を聞くでもなく聞きながら、ビールを飲む。夫婦は商売をやっているらしい。「○○さんとこに入った強盗」という言葉が会話の中に聞こえた。この土地の言葉は聞き取りにくい。熊野ではそれほどではなかった。中上健次の小説のような言葉遣いは耳にしたことがない。夫婦の言葉は半分くらいしか僕には解らないけど、どうやら最近の話らしい。「60万盗まれた」。「鍵はかかっていなかった?」、「孫が帰ってくるからあけておいたらしい」。これは他人事ではない。「そうゆう事情を知っている人ってこと?」。たぶんあの人だと、近所で思い当たる人がいるらしい。狭い街とはいえ、すごい話だ。そしたらその男が捕まったそうだ。近所の別な●●さん宅に盗みに入り、その時その家には娘と母親がいて、二人して捕り押さえたのだそうだ。で、その男、どうして近所で噂されていたかというと、最初の泥棒を働いた翌日、近くの電気店で50万円のプラズマテレビを予約して、手付けに10万払ったのだそうだ。なんでも窃盗で中部地方の刑務所に入って少し前に出てきて、刑務所で知り合った男とこの街に流れてきたのだそうだ。奇妙だと思った。盗んだ翌日、近所でプラズマテレビを買うだろうか?。そもそもプラズマテレビを買うために盗みに入るのだろうか。もっと生活費や博打とかに遣うものではないか。そんなにプラズマテレビが欲しかったのか。もしも家に人がいたら強盗になっていたわけだし。またなんで手付け金が10万なのかも分からない。そしてもっと分からないのは、すぐまた近所に盗みに入るいい加減さだ。惰性で日常的に盗みに入る人間もいるのだろうが、それは一体どんなテンションなのか。何か戦後か昭和30年代の話を聞いているようだ。まりちゃんが作ってくれた豚焼きそばには紅ショウガのみじん切りがどっさりかかっていて、うまい。それを食べながら、二本目のビールを飲んだ。男はどうしてこの街に流れて来たのか。どんな部屋に住んでいたのか。遠い街に家族はいなかったのか。etc. 疲労とビールで酔った僕の頭のなかで、奥さんが「さっき見てきた」ように語るどろぼうへの想像が空回りする。
中上健次の小説を思い起こさずにはいられなかった。中上健次は実話を元に、寓話的とも神話的ともいえるような小説をたくさん残した。熊野を歩いたり、新宮で生まれた人に会うと、不意にそれらの小説の言葉や出来事が、本当に不意によぎることがある。またガルシアマルケスのことも考えていた。先日藤原章生さんが書いたガルシアマルケスの本を読んだからかもしれない。マルケスはコロンビアの新聞記者を経て、後に実際に事件を元にしたマジックリアリズムとよばれる小説を書いた。どちらの小説も不意に、簡単に人が、産み、傷つけ、死ぬ。いとも簡単に生き死にが起こる、その猛烈な密度の営みが悲しい。その感触をぼんやり思い起こしていたけど、結局どこにも繋がらなかった。
店の外に出ると、誰も歩いていな暗がりの向こうの国道を時折トラックが猛スピードで通り過ぎた。「まりちゃん」の女将さんの笑顔がいつまでも印象に残った。三重のとある小都市で僕が聞いた泥棒の話でした。
投稿者 Ken Kitano : 12:04
2007年03月19日
3月18日 熊野古道から帰る
14日から熊野古道取材に行っていた。11時半に腰痛と胃痛をともなって、ぼろぼろで帰宅。
名古屋、尾鷲、熊野死、那智、古座、串本、滝尻、田辺再び尾鷲、長島、熊野市、長島、そして名古屋と、今回も激しく移動しました。体調の回復に2.3日かかりそうだ。感慨深いこともあったので、いずれ改めて書こうと思う。
投稿者 Ken Kitano : 14:56
2007年03月04日
2月27日 暗室
終日暗室。メキシコの写真を焼く。過去の作品だけどほぼ未発表の作品。というよりいくつかメーカー系のギャラリーに持ち込んだけど、まったく取り上げてもらえなかった。自分では行けると思うのでもう一度プリントをし直している。ギャラリーのディレクターの指摘もあって、以前とまったく違うトーン(と気持ち)でトライしている。印画紙もイルフォードとベルゲールのふたつで試している。ベルゲールは初めて使ったが、壁画の石と漆喰の質感にあっている気がする。それにしても印画紙が高くなった。小全紙は一枚700円近い。下町の居酒屋ならビール大瓶とつまみが一品つく値段だ。他の作品もそうだけど、ぜんぜんいいと言われない同じ作品が、人や時期によって「いい」ということもある。ourfaceもそうだったし、そうゆうのはあるところ仕方のないことだ。自分でいいと思ってあれだけエネルギーを当時傾けたメキシコだから、なんとか形にしたい。今のところモノになるかどうかは五分五分というところ。今日やっと一枚いいのが焼けたのが嬉しい。この感触で行けるといいのだが。
暗室で過去のデータを整理していたら、忘れていたけどもの凄い量を焼いていた。以前はとにかく硬く焼いて、画家の描く線を抽出しようとやっきになっていた。一度5号で焼いたのをミニコピーで複写までしているプリントもあった。ロールに大伸ばししたプリントもある。あの頃もいろいろやっていたのだなあ。今は現場の感動とも突き放してみられるから冷静だ。
ただ、過去の作品ということでモチベーションをどう上げられるかが心配だ。写真はやはり、「いま」だと、改めて思う。常に新作に向かっていなければならない。過去に寄り道していていいのかという思いと、あれだけ自分を大きく揺り動かしたメキシコの壁画運動をここで区切りをつけないとという気持ちもある。バライタで焼けるのも今のうちという気もする。新作のコンセプトがいまだはっきりしないので過去に寄り道するのが不安なのだ。同じ理由で以前の「溶游する都市」を本にするという話も小さいトーンであったりするけど、最近、そんなことをしている場合じゃないだろう、という気もしている。
すべて個人の経験として、「いま」に対して具体的に向き合って、正しく越えて行くのが写真だから。急がないといけない。
投稿者 Ken Kitano : 04:28
2月26日 赤津加
暗室のち堀内カラー杉並に寄ってマガジンハウス納品。北島敬三さんの写真展を見ようとコダックに行ったら、北島さんの写真展はニコンだった。勘違い。夜は秋葉原「赤津加」でライター馬田さん、松浦さん、「straight,」誌今野さんと特集の打ち上げ。赤津加は久ぶりだったが、相変わらず繁盛していた。やっとスタッフの顔合わせが出来てひと安心。松浦さんのご配慮に感謝。
投稿者 Ken Kitano : 04:03