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2007年06月29日

6月30日 関西

関西に行って来た。
月曜の夜行バスで大阪へ。朝から夕方まで淀川の河原で撮影。暑かった。河原にお住まいの方もほとんど外に出て来ない程の気温と湿度。しかし空気は終日もやがかかったようで太陽がどこにあるのかわからない天気。空気のクリアーになった秋頃に要再撮。川(干潟になっている)でしじみをとっているおばさんと河原の自作の家の(漂着物で作った)テラスで本を読むおじいさんと少し話した。おばさんに「兄ちゃんしじみ持って帰らない?」と言われた。食べてみたいと少し思った。
夜京都で友長勇介さん、吉川直哉さんらのグループ展のオープニングへ。内野雅文だけに知らせて内緒で顔をだしたらとっても驚かれた。友長さんの大学の教え子の人も交え飲む。内野君の家(というか暗室、絵にかいたようなうなぎの寝床)に泊まる。
翌日大阪経由で高野山へ。今回は荷物が多い。9時代でもJRはかなり混んでいて、必死で乗り換えた。
高野山は木々の緑が前回来たときとはまるで違った。生命力に圧倒された。
最終の飛行機で帰宅。
カメラバックとカートを今の撮影用に買い替えないといけない。腰痛発生。

投稿者 Ken Kitano : 11:01

2007年06月21日

6月14日  ・・・・・

ぜんぜん仕事がない。
今後のことを考えるとおなかがいたくなりそうです。

来週関西に行くのだが、企画が通るかわからない撮影なので、とりあえず自腹。
格安高速バスなら4000円くらいでいけるけど、4人掛けはつらいだろうなあ。
荷物がたくさんかるから、ぷらっとこだま10000円か。ムーンライトながら9000円くらい、飛行機の早朝便だと10100円。
どれも似たりよったり。

金かかる・・。


投稿者 Ken Kitano : 18:24

2007年06月15日

6月15日 森山大道さん編集 「WITNESS」

 天気予報をみて、撮影の予定を入れたのに予報が外れ、雨で撮影できない日と、晴れているのに仕事や家事が入って撮影に出られない日が1週間以上続いて、毎日いらいらするやら悔しいやら。写真が前に進まない(というか始まってもいない感じ)焦りでじりじりしていたら、昨日小包が届いた。アメリカの写真出版社のナヅラエリプレスから、森山大道さん編集の写真集 「WITNESS」 が3冊入ってた。「WITNESS」 は写真家が編集をし、その写真家の作品と写真家チョイスの新人作家の作品で構成する本のプロンジェクトだそうだ。2号目の今回は森山大道さん編集で、森山さんが撮りおろした上海の作品と後半に安楽寺えみさんと私の作品が掲載されている。突然お話を頂いたときは本当にびっくりした。森山大道さんのこのような企画に声をかけてもらえるなどとは夢にも思わなかった。(望外の光栄です。)
 黒の艶消しラシャの表紙に森山さんの上海の路地の写真、そして赤い布張りの背がアクセントのとっても美しい写真集に仕上がっていていた。手に取ってどきどきしてしまった。当初雑誌と聞いていたけれど、実際はハードカバーの堂々したつくりの写真集の装幀だ。ナディフ、プレイスM、PGIなどにも置かれると思います。ぜひ手にとってみて下さい。
http://www.nazraeli.com/nazraeli/frameset.html

 「WITNESS」を表紙から丁寧に頁をめくって見た。「優れた写真は例外なくサイレントだ」と以前福島辰夫先生から聞いた言葉を思い出した。プリントを見た時にそう感じられる作品は時々あるが、写真集でそのように感じられる本というのは案外少ない。行ったことのない上海に思いを馳せた。森山さんの強くて美しくてサイレントな写真を息を詰めて頁をめくった。最後の自分の写真までゆっくりみた。(本当に信じられない本だ。)言葉で言うのは難しいのだが、思うに、僕は礼文島の漁師に会うように六本木のキャバクラ嬢に会いたかった。キャバクラ嬢に会うのと同じように、離島の子供たちや信仰の人々に向き合いたかった。”違い”から世界を見たくなかったのだと思う。差異や強弱から見たのでは見えなくなる人やものがいまこの世界にたくさんありすぎる。そのような”あらゆる人”や”あらゆる場所”を経た果てに(あらゆるなどといってもたかが知れているけれど、)僕が写真をしながら見ようとしているのは、たぶん、すぐ目の前の、それこそ手で触れられる程目の前の、予期せぬ現実なのではないかと、と非常に漠然といま思っている。そのようなところまで自分が歩いて行けるかどうか、甚だ心もとないのだが、そのようなことに向かって行ってみよう、それが自分の写真だ、という気持ちになぜか「WITNESS」を見ながら思ったのでした。

投稿者 Ken Kitano : 15:42

2007年06月08日

6月7日  焦るぜ

はっきりいってここ3週間、ほとんど仕事がない。この先もあまり入っていない。不安である。単に力がないだけで賞をもらったこととは関係ないと思うけど、先日ある雑誌の編集者に「北野さんなんかにこんな撮影をお願いしちゃ悪い」というような見当違いな言葉を聞き、速攻で否定しておいた。仕事がないのが続くと、胃のあたりがしくしくして、不安な気持ちにぼーっと包まれます。
だから、こんな時こそ作品を撮ろうと思うが、今週は妻が仕事で茨城に行っているので、撮影に出かけられない。仕事をしてもらっているので妻には感謝しているのだが、イライラするやら焦るやら。正直、作品が形になっていかないことに非常に焦っております。それでも家事してます。今日は妻が家にいるというので撮影に出たが、昨日まであんなに天気がよかったのに、今日に限って雲が厚く、昼から局地的に豪雨。結局お台場から葛西にかけてロケハンして終る。あまり収穫なし。タイミングが合わないのだ。ま、クールに行こう。
日ハム強いな。

投稿者 Ken Kitano : 10:37

2007年06月04日

6月2日 押上

昼に有楽町へ。前から気になっていたパーコーメン屋でパーコーメンを食べる。期待したほどではなかった。やっぱり助手時代にたまに食べた渋谷の246沿いの店のパーコーメンはレベルが高いのだなあと思う。写真展会場へ行く。熱心に見ている小さい子供連れの家族がいたので、どうゆう人なのかなあ、って持っていたら、知人のライターさんHさん一家だった。7.8年ぶりだったのでお互いに顔を覚えてないくらい。前にあった時はまだ子供がいなかったと思う。立ち話でお互い長い近況報告。だんなさんは文芸誌の編集者をされているとのこと。Hさんはニューヨークで写真の勉強もかつてしていたので、写真の話ができた。久々に知人に会って、その人の子供に初めて会うと、ああとってもこの人の子供らしいなってのが、感じる。そうゆうのは面白い。
5時頃押上で中洲通信の編集和田さんと会う。押上界隈をぶらぶら。古い住宅街に時折いい居酒屋があり、新鮮。一軒は見事なコの字だった。結局遅くまで飲む。
撮ろうとしている新作の話や考えていることを話す。僕は考えていることを写真のこととして話すと、和田さんは物書きやミュージシャンの視点に置き換えて返してくれたりして、写真の目線をひょいと越えて俯瞰できるので、和田さんとの会話は新鮮。

投稿者 Ken Kitano : 11:44

2007年06月02日

6月1日 表彰式

朝、滅多に着ない黒のスーツを着る。似合わない。有楽町の写真展会場へいく。会場で作家賞の永坂嘉光さんにお会いした。恐山や修験のお話を伺う。仕事もあって高野山に最近行っているが、高野山ご出身の永坂さんの話と写真には、よそ者が撮る「見つけてやる」的目線や過剰さがなくて、好きだ。また伺いたいと思った。昼に佐藤信太郎さんと会い交通会地下のちゃんぽん。天気は夏の日差し。マリオンの前で報道陣がいたので何かと思ったら、民主党の鳩山代議士他の演説が始まるようだった。昼過ぎに両親が来たので、一緒に表彰式会場の田町の笹川記念館へ行く。
時間がたっぷりあったので喫茶店でゆっくりする。どうでもいいことだが、うちの奥さんが笹川記念館の前にライオンにまたがった笹川良一の銅像があると言っていたが、行ってみたら母親をおんぶした姿の銅像で、ライオンはうちの奥さんの妄想だったことが判明。どうでもいいか。

3時半から写真協会国際賞のテリーベネット氏の講演。氏の出された幕末から明治にかけての写真集「PHOTOGRAPHY JAPAN」は僕も持っていて、好きな写真集のひとつだ。昔の写真を丹念に見て行くと、被写体へのスタンスに写真家のパーソナリティーが見えてきて面白い。よくいわれる単なる記録写真なんてなくて、すべてひとりの写真家たちが撮った写真の連なりに今我々の撮っている写真があるのだと思う。

授賞式は国際賞から始まり新人賞は最後だった。受賞のスピーチを何を話そうかと思いつつ、壇上の受賞者が歩く通路の幅が狭くて危なっかしい。それが気になって仕方がない。表彰の後、僕も乱気流のようなスピーチをした。もうひとりの新人賞の吉村さんはテレビのまるでアナウンサーのようだった。
その後のパーティーではいろいろな方に祝福と激励を頂いた。細江英公先生がいらっしゃってお礼を申し上げることができた。そもそも写真の作品として評価してもらえるかも分からなかった。やっぱり最初に「いい」と言ってくれた人のことは(たぶん一生)忘れない。とにかく自分が絶対にやらないといけない仕事だという気持ちで、僕に撮って”本当の経験”としてやってきたこと。結果的に評価して頂いたのだから励みになる。いろいろな方に声をかけて頂いたけれど、それらはみんな「早く新作を撮れ」と(勝手に)受け止めた。

終って外に出たら知り合いが誰もいない。平林さんなんかと飲めるかなあと思ったのだが。気を使って早めに帰ったようだ。当事者というのは案外さびしい。ひとりで飲んで帰ろうかと思ったけど、新橋で扶桑社の伊豆野さんがK先生と飲んでいるのを思い出して合流。痛飲。「おめでとう」を35回くらい言われる。
スピーチではだいたいこんなことを話しました。
(2分くらい)以下、だいたいの内容↓
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私のourfaceという作品は変わった写真です。
そもそも、なぜこのような写真を始めたかと申しますと、
95年に大きな地震がありました。その後も各地でテロや大きな出来事が続いて起きています。その度に、現実にたくさんの人々が不幸な出来事に巻き込まれているのに、そのことがリアルに感じられない。自分自身の想像力のなさに愕然とし、そのことに打ちのめされました。
そんなところから、実際に様々な人に会い、撮影したその肖像を重ねる。写真というイメージの中にたくさんの人の存在を重ねる、という行為に至ったのだと思います。

とはいえ、最初はこんなことをしてていいのか、という不安でいっぱいでした。果たしてこれが写真として評価してもらえるのだろうか。心細い状態で続けてまいりましたから、この度、このような形で評価して頂いたことは、励みになります。

この仕事をこれまで支えてくれてきた友人、知人、家族、そして取り上げて下さった媒体関係者の皆さん。そして最初にこの仕事を「いい」と言って下さった、清里フォトアートミュージアム、ヤングポートフォリオの関係者の皆さん、また写真の会の皆さんにこの場をお借りして、御礼申し上げます。

写真というのは本当にすばらしいメディアだと思います。見ず知らずの人の現実を、まるで自分のことのように愛おしく感じる。この写真のすばらしさは、私にとっても、またすべての人々にとっても、救いであり続ける気が致します。
そのような写真をこれからも続けて参りたいと思います。
この度はありがとうございました。

投稿者 Ken Kitano : 10:16