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2007年11月28日
11月26日 プリント立ち会い
昨夜は扶桑社「尾張 フクワウチ」の打ち上げで飲酒。2次会で10年ぶりくらいでカラオケに行った。
途中六本木のブックセンターで石川直樹さんの写真集「NEW DIMENSION」を買った。これが、いい。既に有名な方だけどあらめて、行動すること、見ること、撮ること、考えること、それらが深くて大きなスケールで流動していて、その断片を写真や本として見られることは素敵な体験だ。石川さんの写真はミノルタでの北極の写真と昨年だったかニコンでやってたのも見ているけど、心に残る写真だった。いい写真を撮り、いい仕事を撮る(若い)人がたくさんいて、困る。あ、いや、いいことです。
エプサイト展のテスト出力を見にエプサイトに行く。徐々に細かい作業になってきているが、やったことのない大きさや展示なので、実際にいい形に収まるのか、わからない。たぶんちゃんと行くのだろう。実際のプリントは何しろ大きいので、テスト版の出力(a3のびくらい)を見て頭の中で大きいプリントをイメージしながらプリンターの方に希望を伝える。全体に拡大されると黒のしまり具合と、パッと見た時に目がいくポイントがずれないように(例えば小さく写っている人に目がいくように意識してプリントしているのに何となく建物や背景の方が強くなっているとか)、方向性を伝えた。モノクロはラムダより色の転びが少ないようだ。僕のは現実に肉眼で見ることのできないイメージばかりなので、大事にしている部分をうまくつたえるのが難しい。コミニュケーションを取るのが近道だ。
それとエプサイトは額装しないので周囲の処理の問題。僕の場合は都市もourfaceもonedayも実際の見た目の世界を一度方法論のフィルターを通したイメージなので、現実にはみ出すような裁ち落としより余白をつけたほうがしっくり来るみたいだ。少なめの余白をつけることにする。額やマットに慣れているせいか?
カラーの新作onedayはオリジナルのプリントでもまだ11×14に数点伸ばしただけで、感じがつかめていない。これはひとつの場所の一日の光と時間を一枚のフィルムに露光した風景写真のシリーズ。1日中シャッターが開いてる訳で、現れた光と色は僕を含め誰も見たことがないそれ。でもどこかで見たような気がするそれでもある。実際にあるけどない光と色をどうプリントに着地させるか、まだはじまったばかりなので自分の中の定規が出来ていないのだ。それを今回いきなり大きく伸ばしたので、自分でも正直「これでいいのかな・・」というところ。出すことに決めたけど、この写真だいじょうぶなのか?小さい焼きのときはよく見えて、これを大きくしたらいいぞ、って思うけど、実際大きくしてみたら小さい方がよかった、と思うのはダメな典型という気がしてきた。
その後pgiで70年代生まれの内外5人のグループ展「Making, Marking, Mappong 次世代へのアプローチ」を見る。遠くから見ると押し付けるところがないけど、個々の作品がとても弾力があるというか立っている、密度のある作品ばかり。
若いいい作家の作品をたくさん見て、つくづく自分のダメ人間の佃煮のようだった20代を振り返りつつ、30代半ばでようやく少し写真が撮れて来た僕としては、少々へこみつつ、できることをやるしかないなという感じ。冴えた人は世の中いっぱいいる。
夜は仕事の撮影。
投稿者 Ken Kitano : 08:43
2007年11月25日
11月24日 左うちわ
午前中、ご近所の吉元さんちのさきちゃんの七五三で、着物姿の写真を我が家で撮影する。バックを吊って居間をにわかスタジオにして撮影。さきちゃんおめでとうございます。おきれいでしたよ。
午後はエプサイト展のDMが出来たので宛名書き。枚数に限りがあるし昨年個展をやったばかりなので、誰に送るか迷う。興味を持ってくれそうな人に送りたい。仕事の関係は少なめ。雑誌などに告知がほとんどないので今回はDMは大事だ。皆さん来て下さい。
夕方家族で買い物に行く。娘は野球のグローブが欲しいという。案外高いので本日は保留。その後久々に家族で銭湯に行った。自分一人では時々行くのだけど、聞いたら妻と意娘も行きたいと言ったのだ。空いててゆっくり入れた。風呂上がりに脱衣所で、女湯の脱衣所の会話が聞こえて来た。見ず知らずのおばさんが娘に話しかけているらしい。「いくつ?三年生。大きいわねえ。美人さんねえ」。と、ここまではよくある子褒めトーク。そのおばさん、「きっと将来はミス小平ね」とスケールが大きいのか小さいのかわからない褒めを連発。ちなみにミス小平なんて小平でやってない。続けざまに妻に、「お母さんは将来は左うちわね。きっといいホステスになって稼いでくれるわよ」と予想外の褒め(なのか?)。飲み屋のホステスという職業はいい仕事だと思うけど、小学生に言う選択肢としては偏っていないか。
夕食はタコとホッキ貝刺し身とタコと牡蠣の素揚げという僕と娘の好きな偏ったメニュー。以前ドクター中松がラジオで、頭が悪くなる食物として、タコ、イカ、海老に貝類と言っていたけど、僕と娘の好きなものばかりだ。我が家は迷うことなく頭の悪い方向にまっすぐに進んで行くことにしたい。ちなみに食後は借りて来た「探偵ナイトスクープ」のDVDを見て爆笑する北野家でした。
投稿者 Ken Kitano : 19:34
2007年11月20日
11月18日 家で
娘が風邪をひいた。釣りに行く計画だったが、家にいることにした。娘は元気のない声で「外でおもいっきり遊びたい・・・」とつぶやく。こっちも少し熱っぽい。
エプソンの出力データを仕上げて発送した。今度のプリントはフルアナログのプリントからではなく、写真集の印刷用に制作したアナログプリントからスキャンしてデータを作った。印刷用のプリントはいっぺんに50人とか100人とか重ねるのではなく、10人程度ずつにわけて重ねたプリントを制作して、それを微調整しつつレイヤーで重ねた。今回はスキャニングをエプソンさんでしてもらった。(膨大な量)。うちのA4までのスキャナーだと左右が少し切れてしまうが、4つ切りフルサイズでスキャンしてもらったので、いつもよりワイドなイメージに仕上がった。1100m幅のロール紙にほぼ等身大に出力して回廊のように並べたいと思っている。ずうっと前からやってみたかった展示だ。ただしこれは一部で半分はカラーや新作、旧作のモノクロランドスケープも並ぶことになった。エプサイトは実験的な空間とのこと。空間や、特に大きさに関しては僕は全くの未知。ディレクターの本尾さんは空間構成のイメージを図面を引いて打ち合わせてくれる。(かつて本尾さんが手がけた、80年代にパルコで見た藤原信也さんやサンディースコグランドなどの数々の展覧会はあるところ、僕の基準値となって深いところで残っている。)テキストの下書きも昨日から始めた。自分のなかだけにあった新作「one day」で見ようとしていること、見えて来たことを初めて外気にさらすわけだけど、戸惑いはあるものの、our faceの延長にあるということがよりはっきり意識できた。
今回は本尾さんに言われたこともあって、始めたばかりの「one day 」シリーズも出すことにしたのだけど、ほとんど出すと決めてからとりかかったようなものだ。それまで試し焼きの6切りが3カットしか存在しなかったのだ。だいたい僕はいつもそうだ。見切り発車というか、確定したり完成した後から発表することがない。our faceの連載も、とてもそんなことができるものか、という段階で話して決まってしまった。(決めてしまった)。もうやるしかないと。写真集も決まってから取材やテキストの作業を抱え込むように始めた。昨年の個展もフルアナログでビンテージプリントを作るというのは、言い出した後に、言ってしまったからやるしかない、という感じだ。本当はそうゆう性分じゃないのだけど、常に負荷をしょって追い込まないと形にならないのかもしれない。場を与えられるだけ、100倍嬉しいというのもあるし。
パリの石田さんからメール。NYではさっぱりなかったようだけど、パリでは多少手ごたえがあったよう。彼の地の話を聞いてみたい。
落ち着いてみると今週からぜんぜん仕事が入ってない。年を越せるか心配になる。時間があるうちにフルアナログの残りのエディションを焼くつもり。
投稿者 Ken Kitano : 08:56
2007年11月12日
11月10日 シアターコクーン 「カリギュラ」
蓄積疲労でしょうか体が重いです。1週間くらい前から背中がいたくて、わずかに心臓に圧迫感のようなものを感じます。昼に兄の一家と娘と僕でボーリングに行った。子供たちがやりたいということで久々に従兄弟集合。楽しい時間。僕は10年ぶりくらいでやった。一旦帰宅して夕方渋谷へ。学童の大きなミーティングに参加している妻がまだ帰らないので、すまないが娘には1時間程ひとりで留守番してもらう。ふたりとも都心にいるときは心配だ。
文化村へ「カリギュア」(蜷川幸雄演出、カミュ作)を観に行く。今週は4日に埼玉芸術劇場で維新派も見た。維新派はテレビ以外で初めて見た。思ってたよりストーリーがあった。維新派は役者も舞台装置となって演技というよりイメージの連鎖のよう舞台。鮮やかな、美しい、眩しいくらいの既視感の連鎖。時々断片的に出るラテンアメリカの地名で実際に行ったことがある地名がいくつも出て来て僕としてはそこで印象が立ち現れるから、すんなり見られない場面も。なんとなく「その先は?」という感じで終ったので気になっていたら、後日演劇ライターのOさんから三部作の一作目だと聞き納得。次回は是非野外で観たい。
で、文化村。超満員。純粋な、美徳と悪徳の限りを尽くす暴君の話。加速度的に膨らむ矛盾をもちそれをつき抜けるような疾走感。登っているのか落下しているのか。悲しくて美しかったけど、僕の体調のせいか観る集中がとぎれそうだった。ローマ時代なのに180度ガラス張りにネオン蛍光灯の斬新な舞台装置が印象的だった。ガラス張りだから役者の客席の反対側の表情まで見えた。
投稿者 Ken Kitano : 06:26
2007年11月10日
11月9日 十条 田や
朝出かけ際に扶桑社から本が3冊届く。まだアマゾンにもアップされてないないので、出たらリンクしますが、今年の前半を費やした「高野山・熊野古道ベストコース完全ガイド」と「熊野古道完全ガイド(復刻版)」と夏に通い続けた「幸せ旅シリーズフクワウチ其の一 尾張」の3冊。高野熊野本はガイドブックだけど実際に歩いているし、撮影もしているのでそこらのガイドより実用もビジュアルも全然違います。尾張本は名古屋金ぴかパワー炸裂のムック。尾張の祭と知多半島の島々はお薦めです。
午後恵比寿で納品。時間があったので写真美術館へ。東松照明展と写真新世紀を見た。写真新世紀は写真やっているのに出したこともないし、展示も初めて見た。優秀賞の高木こずえさんは圧倒的だった。力のあるひとだと思った。他の人も面白いし完成度が高かった。ただ何となく、すぐ目の前の現実とはるか彼方の世界を連続で捉えようという衝動を持って写真をやっている感じがしないひとが多かった気がする。
夕方十条の居酒屋「田や」でコの字取材。ここの女将さんは最高です。開店前に女将さんに話を聞いていたら、いろんな人が訪ねてくるので。電話ですむ用事もわざわざ来る。開店後は満員。女将さんの顔を見たり声を聞きたさに来る人もおおいのだろう。秋田出身だったご主人と茨城出身の女将さんだからしょっつるやきりたんぽ、はたはたもあればとアンコウ鍋もある。いい店でした。また行こう。
投稿者 Ken Kitano : 11:23
11月7日 お誕生日焼き肉
朝までに雑誌原稿のカラープリント約30カットを仕上げて、ご近所に住む同じ出版社にお勤めのYさんに駅で手渡しで納品して頂く。助かりました。間に合ってよかった。一旦帰宅して風呂にはいってまた暗室のある仕事場へ。
午後、ある企業と研究所のプロジェクトチームの方が来訪。ヒアリングというのか、要するに取材を受ける。写真や美術関係以外の取材というのはあんまり経験がないので、普通に創作活動のことをつらつら話した。(あれでいいのか?)例によって、他者、とか”自分のこととして感”を持つには、とかいったこと。で、話が進んでテーマが加齢ということになった。正直あんまりよく考えたことがなかった。ただ思うのは、80年代の広告などははっきりしているけれど、社会は個人に向けて「表現すること」をあらゆる人に煽って来た来た気がする。「表現する」ことがいいことだと。自分が特別な存在であるということを煽るとか。そうゆうことの影響ってある気がする。でも本当にクリエイティブなことはアウトプットすることよりも、インプットする部分から始まる。日本の社会というのは(随分大きいところからものを言ってる)人の話をうまく聞くことや、じっくりものを見ることなんかに価値を置いてこなかった気がする。対話などはおろか、言いたいことを言うだけの人が本当に多い。よく言われるのは団塊の世代の人は自分が若いという認識を捨てられない(そうゆうものを長く要求されて来たんだろうけど)。世代間が協調して生きていかないといけない訳だから、これからインプットに対する価値を持ちたいな、と思う。「上手に話が聞けましたね」などという褒めことばとか。
5日が誕生日だった。39歳。(うわ〜)。ここのところ家族でゆっくり食事を出来なかったので、家族で焼き肉屋にお誕生日焼き肉を食べに行った。昔住んでいたアパートの近くの醍醐苑で食べたかったのだが、行ったら休みだったので、近所の安楽亭へ。空いていたし、店のお兄さんの接客がとっても感じがよかった。チェーン店でもいいところはいいのだ。おいしゅうございました。
投稿者 Ken Kitano : 10:42
2007年11月01日
10月31日 いずれ、「量と質」について
少し前に森美術館へ「六本木クロッシング2」を見に行った。かねてから見たかった作家の作品もあって前回の1よりも面白く見られた。見てから、好むと好まざるに関わらず、様々な状況で見られる「質と量」に関わる問題について自分の考えを整理したほうがいいな、という気になった。(量的な価値が質的な価値を凌駕する状況というのはあちこちに露呈している。例えば日本人がカメラで撮る写真の総量は年間100億ショットから200億ショットへと10年で2倍になったそうである。)最初の展示室に写真家の内原恭彦さんの作品があり、近くにインドのクリシュナ神の世界をベース(一部に、たぶん)にしたブラックユーモアのタイガー立石(この作家のことを以前杉浦康平さんの本で読んですごく興味があった)のコミックの原画が展示されていたは僕には象徴的に感じられた。他の作家の作品を見ても「あきれる程の手間ひま」が例えばポップや「さりげなない日常」や「手のひらのスケール」に着地するような作品、量的なものが加速度的に増幅する様そのものをリアルに提示する作品、など、「量と質」の関係をこちらに感じさせられた作品が少なくなかった。(これらはだいぶ以前からの傾向ではあるけれど、)ただ、これらのことはここのところ特に気になっていて考えていたいと思っていたこととも関わるし、これまでの自分の作品を振り返り、批判、批評するためにも(しないと前に進めないから)そのことについて今の段階で自分の考えを整理しておきたいと思った。始めるとたぶんまとまった量の文章になると思うから今のうちにやっておこうと思ているうちに、忙しくなってしまった。
このことは引き続きしばらく気にしておこうと思う。
仕事の撮影もいくつか。それと12月のエプソンの準備だ。エプサイトは独特のスペース。ディレクターの本尾さんの「実験的な空間」という言葉に意を強くして、以前から興味があったアイデアをいろいろと掘り出して、ひとつひとつ検証して実現したい気になって来た。時間はあまりない。空間のイメージがまだ充分出来ていない。メインはour faceだけど、敢えて未発表で今後作品になるかどうかわからない新作one day シリーズを出すのもそのひとつだ。かなり怖い。(今日初めて(!)11×14でプリントした。行ける!と思える部分と、ぜんぜん足りない!という部分を発見。それすらも見られてよかった。)our faceのテキスト類も改めて「今」の視点で書き直したい。常に「今」でなければならないのは当たり前だけど、これまで制作を通してたどって来たものを改めていろいろな角度から疑って、その上で進めるなら前に進まなければ自分の経験でない。
これまでspa!の連載以外では個々の肖像は出さないようにしてきたが、暗室でプリント制作のために印画紙を小さく切って部分的に作る試し焼きプリントのイメージをどこかに配置できないかと、今日引っぱり出してきて、いろいろスキャンしてみた。かなりホラーなビジュアル。出すかどうか要検討。
アマゾンから「笑う超人」(立川談志×太田光)、「サッカー茶柱観測所」(えのきどいちろう)、「骨と袋」(スティーブンキング)が届く。楽しみ。
投稿者 Ken Kitano : 08:34