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2007年12月26日

12月25日 鶏ガラスープ

午前中打ち合わせに京橋のとある会社に行ったら手みやげに缶ビールをもらった。ギャラが安い仕事だったのだけど大好きなビールもらったら「ま、いいか」という気になってしまった。午後エプサイトで朝日新聞の大西さんのインタビューを受ける。1月12日の夕刊に載る予定だそうです。ヨドバシカメラでフィルムを買って帰った。最近4×5のフィルムを帰る店が減った。ラボにも置いてないことが多い。
昨日食べたチキンの骨をストーブの上でコトコトしてスープをとった。鶏ガラスープは万能にして偉大なり。そのスープでリゾットと野菜シチューを作った。おいしくできた。娘も「うまい」と言ってくれた。
夜、次回コの字のロケハンに東村山の居酒屋へ。月刊連載というのは終るとすぐ次が来るので店さがしが大変だ。年末年始だから焦る。熱燗を2杯飲んで、帰り際に挨拶して掲載誌を置いて帰る。取材させてもらえるか微妙。店が取材を嫌うのはテレビの影響だ。テレビで紹介されて来る人のせいで常連客が迷惑するからだ。本当に困る。テレビは撮影も大掛かりだ。取材っていってもこっちは一人だし、零細雑誌で影響力なんてないのだけど。

投稿者 Ken Kitano : 08:32

2007年12月19日

12月18日 再会

夕方お台場のホテルグランパシフィックメリディアンにあるギャラリー21というところで、以前僕が大学を出て1年10ヶ月間助手をしていた寺崎誠三の写真展オープニング。ギャラリーという感じがしない、なんだかバブルっぽい感じの空間。もともとホテルのエントランスの一部だったのかもしれない。元々どうゆうギャラリーかは知らない。寺崎さんの写真は今までの旅の写真を第三者がニュートラルな視線で選んでいて、今までに見た自選よりも新鮮に見えた。レセプションでは10年から15年ぶりくらいにお会いするする方ばかり。先輩や当時のクライアンアトさんら。会うなり「お互い歳とったね」という挨拶。なんか嬉しい。帰りはフォトグラファーズラボラトリーの平林さん、御大斉藤さん、若い加藤さんと新橋で軽く飲んで帰った。写真の話ができてよかった。

投稿者 Ken Kitano : 10:39

12月17日 新作「one day」について

エプサイト展では新作を「最近こんなことを始めました」的に4点展示している。とはいえだいたいの方はour faceのことを言って帰って行く。そっちがメインだから仕方ないか。(外に面した通路を通りがかったOLやサラリーマンがourfaceを見て「何これ、気持ち悪い」とか言いながら足を止めてみてたりしているから、それなりに力を効果がでているのだろう)。
新作one dayはこんな感じのことを考えてます。
以下会場に貼ったテキスト↓
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one day ---いま、ここに、時間が流れている---

シリーズ「one day」は、ある場所の”ある一日”を写し込んだ風景写真です。
厳密に24時間、あるいは日の出から日没までという訳ではありません。
ですが朝から夕方まで、ほぼ一日中シャッターを開けて、
その場所の1日の「時間と光」を1枚のフィルムに収めています。

世界を「違い」や「特別な」ことから見たのでは、見えにくくなって、
やがて「なかったこと」になってしまう人やものや出来事がたくさんあります。
永遠に続く時間の連続のなかで、私たちは毎日かけがえのない1日を過ごしています。
そして私たちは時間の連続性をそのまま受け入れ、心にとどめておくことはできません。

夏の日のone day。湘南の海で、
きっと笑った人がいる。
喧嘩した人もいるかもしれない。
大切な人と出会った人がいるかもしれない。
沖縄の戦場だった丘に開いた洞窟では、たくさんの人が死にました。
そして今日もその屍が眠っています。
春のある日、大川の川面をのんびりとたくさんの船が通り過ぎました。
(写真には写っていないけれど)水上バスの客の何人かは気持ち良さそうに僕に手を振りました。

永遠につかむことのできない時間の連続に、いくらかでもコミットしながら世界を見つめることで、
(かつてそのことに対して画家モネが試みた壮大な挑戦に比べたら朝露の一滴ほどもありませんが)
「違い」や「強弱」から世界をみることを、僕は写真で超えたいと思います。

幸いなことに、写真は、
極めて曖昧な”そのこと”に、一瞬だがうまくすると触れることができる。
誰にとっても切実な真実。
そう、
いま、ここに
時間が流れている。
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気の長い作業を始めたわけですが、撮っているといろいろなことが起こる。
先日都内某所で撮影していた。(通行の邪魔にならないところを選んで三脚を立てる。繁華街はとても気を使う。)で、撮影してたらパトカーが来る。何か言われたらやだなーと思っていたら、僕の後ろで警察の人が何やら調べてる。そのうちもう1台、2台とパトカーが来る。警官、やじうまがどんどん増えて刑事ドラマのよう。どうやら川に土左衛門があがったらしい。撮影は続けられたのだけれど、1カ所に1日いるといろんなことが起こる。ちなみにその日は大安でした。

投稿者 Ken Kitano : 10:18

2007年12月15日

12月14日 写真協会懇親会

午前中来年お願いしようと思っている撮影のお願いの手紙を書く。午後カラーサイエンスラボに出力の立ち会い。モノクロの出力プリントは毎度色転びに泣かされる。3.4回やり直してやっと揃う。ネガのスキャニングもお願いした。onedayはハレーションとの戦い(なにしろ太陽がぐるっと動くから)でひどいハレをフォトショップでなんとならないかと思ってスキャンしてもらった。
夕方新橋の第一ホテルへ。写真協会の親睦会。写真関係各賞の受賞を受けた方々や関係者、会員の方が集まる、なかなか盛大な会だった。清里で激励して頂いた木下晃先生にお礼を言えた。清里フォトミュージアムの田村さん、小川さん、松濤美術館の光田さんと解散後に歓談。

15日は都内でone day撮影の予定。エプサイトには行けないと思います。

投稿者 Ken Kitano : 08:12

12月13日 パリ報告

 午前中自宅。暗室にいく予定だったけど雑務をこなしてたら時間がなくなった。午後エプサイトへ。写真家の中島博美さんとご主人が来てくれる。ご主人は北海道から来られ羽田に着いたその足でいらっしゃった。開口一番「東京は温かいですね」。僕には今日の東京は充分寒いけど北国の人は違う。大阪からわざわざ友長さんが来てくれた。夕方大阪のMEMの石田さんが見えた。今日は地方からいらっしゃる方が多い。夜、石田さんと食事をしつつ、パリフォトのお話を伺う。(前もって店を考えておかなかったのでどうってことのない居酒屋に入ってしまったが、アートの人なのだから西参道の白龍にでもお連れすればよかったと後から思った。)行ったことがなかったのでパリフォトはどんな光景なのか想像もつかなかった。自分の作品がそこにあってぽつんと所在なくしてなければいいがと案じていたが、会場の写真を見せていただき、確かに自分の写真がそこにあったのとフェアの活況ぶりに納得。たった3日間で4万人が写真を見に、また実際に買いに世界各地から来るそうだ。日本では想像できない。作品が海外の見知らぬ人のものとなったり美術館で後世のひとと対話していくというのは、少し前はまったく考えられなかったこと。最近はそんな彼方の時や人に向けて作品を作るという緊張感というか責任のようなものを感じる。そのために休まず目の間にあるやるべきことを淡々とこなして行く。そんな感じだ。売れるとか売れないというのはあんまり考えないけど(売れた方がいいが)、やることがたくさんあって生きているうちに少しでもたくさん形にしたい。
 今日も写真やっている人と話したけど、本当に才能のあるひとは、それこそ時代から選ばれるような人は、その時代の最もシンプルな方法で軽やかに疾走するように現実を越えていくのだと思う。僕の場合は本当に進んでいるのか後戻りしているのか分からない状況でやり続け、気がつくとミリ単位で進んでいることもあって、その時はほっとする。

投稿者 Ken Kitano : 07:32

2007年12月13日

12月12日 写真展会場での作者の居場所

 朝起きたら目だけでなく首や腰もガチガチだったので、娘が明太子で朝飯を4杯も食べて学校に行った後、大急ぎで市民プールに行って30分泳いだ。うちの奥さんが写真展を見たいというので一緒に出かける。11時半頃エプサイトに着いたら清里フォトアートミュージアムの小川さんがいらしていた。お元気そう。
 昼飯は新宿で写真展をやるときの恒例になってしまった中村屋でインドカレー。高いけど今日はいいのだ。おいしいカレーはたくさんあるけどどれかひとつといわれると僕は中村屋かな。食後にチャイを飲んだ後紀伊国屋書店に寄る。落語のCD(柳家喬太郎)と講談のチケット(クリスマス恒例の神田山陽の会)と松本武彦著「列島創世記」(小学館)を衝動購入。
 午後はエプサイトに戻る。けど誰も来ない。来る予定だった知人も来ない。あんまりだれも来ないから(腰も痛いので)奥のミーティングルームにいさせてもらったり外に電話しにいったりして戻って来たら、その間に芳名帳に内原恭彦さん、風間健介さん、百瀬俊哉さんのお名前があって、お三方とも既に帰った後だった。タイミングの悪いことこの上ない。僕はこうやって人生のいろいろな出会いを丁寧に逃しているのだろう。大変に失礼しました。内容等ご批判下さい。風間さんは面識があったので後でお電話を頂いた。風間さんとお話して思ったのは今回の展示で初めて作品を見た人と、pgiや近代美術館でアナログプリントを先に見た人では印象がだいぶ違うらしいということ。以前スパやアサヒ芸能のグラビアで見た人も違うだろうけど。
 展覧会の会場の居方というのは毎度ながら慣れません。
 とりあえず13日は2時頃に会場に行く予定です。出たり入ったりすると思いますが夕方までいる予定です。会場にいない時は受付の方に行動を伝えておきますので、お気軽にお聞きになって下さい。
 

投稿者 Ken Kitano : 09:27

2007年12月11日

12月11日 エプサイト展設営

10時過ぎに新宿へ。ラボに現像を出しに行ったら、掲示板に写真展のDMを貼ってくれているのはありがたいのだが、半分に折って画鋲でとめてあった。横長だから二つ折りにできるデザインだけど、写真屋が写真を折る感性がまったく理解できない。ダメだよ、全然ダメ。

気を取り直してその後エプサイトへ。持参の作業エプロンをして設営作業。既に壁面の配置と壁紙貼りは済んでいた。エプサイトは毎回壁面制作からやるのだから正に実験的な空間だ。安楽寺さんの「部屋」は壁紙から作り込んでいて入った瞬間うわァという感じ。設営はいろんな業者さんが参加している。会場に置いてみると特大のプリントも小さく見える。外へ面した壁面と中の壁面で高さや間隔を細かく調整しながら決めた。作業の合間に安楽寺さん、ディレクターの本尾さんと四方山話が楽しかった。
夜7時頃に一部細かい調整が明日もあるものの、だいたい出来上がった。カラーはカッティングの照明にして正解。
大きいものは予想外の部分と予想通りの部分があり、いずれにしても勉強になった。大型もインクジェットも二人展も初めてずくしの展覧会だったけどようやく開場にこぎつけた。明日からですので、ぜひ来て下さい。いらっしゃったときはくれぐれも正面の入り口から入って下さい。エレベーター側の黒い通路みたいになっているのが正面です。(エプサイトは入り口が3つある。)

安楽寺さんの写真を見て、以前ある批評家の方が不意に言った「優れた写真はほぼ例外なくサイレントなんだよね」という言葉を思い出した。タノトスそしてエロスという言葉でご一緒できてよかったです。デイレクターの本尾さん、ひいてはそもそものきっかけになった森山さんに感謝です。

一度帰宅後暗室に行って昨日プリントした2枚の水洗と次のプリントの準備をして帰宅。目が疲れて開かなくなってしまいました。ワイン1杯飲んで寝る。12日は昼以降だいたい開場にいます。

投稿者 Ken Kitano : 21:10

2007年12月10日

12月9日  マルティン・チャンビの写真

ペルーアンデスの写真家マルティン・チャンビの写真が発売中の「風の旅人」誌に掲載されています。
チャンビは1891年にチチカカ湖に近い農村で生まれました。10代で写真と出会った後、アレキパで写真技師の修業をします。(当時アンデスの山々は各地でシルバーラッシュに沸き、銀が無くなるとゴーストタウンと化していましたから、西洋人の技師が写真技術を持って山間の彼の地に入ることは多かったと思います。)

私は2000年に立ち寄ったリマの書店でチャンビの写真集に出会い、衝撃的といえるような強い印象とともに虜になりました。誌面でジャーナリストの白根全さんも書かれていますが、チャンビの写真がひと際輝きを放っていると感じるのは、カーティスを始めこれまで目にした数々のインディオ(という言い方も曖昧ですが)の世界を捉えた写真群との違いだと思います。カーティスをはじめ多くの写真家が「ディスカバーする眼差し」からインディオ(という限定的な意図を持って)を捉えているのに対して、自らがインディオの血をひくチャンビは、アンデスの人々や文化、自然を同胞として親しみと深い敬意を持って撮り続けたように思うのです。ラテンアメリカ独特のマジックリアリズム的手法に頼ることもなく、あくまで伸びやかに、柔軟に森羅万象にカメラを向けます。そのすぐ目の前と彼方とをひとつに見つめるような眼差しに私はしびれます。近年ニューヨーク近代美術館を始め海外で大規模な展覧会も多数開かれているようですが、日本では恐らく今回の雑誌掲載が最初の紹介ではないかと思います。息子さんが管理をされているクスコのスタジオにはまだプリントをしていない2万点とも言われる膨大な数のガラス乾板が眠っているとのことです。

いつの日か「ディスカバーする眼差し」を持たないでそれらを見る機会を持てれば、などと思う次第です。よろしければ「風の旅人」見てみて下さい。

                    

投稿者 Ken Kitano : 09:33

2007年12月09日

12月8日 日本橋

 日本橋でone dayの撮影。時間がかかる上に失敗の確率も高い撮影だから、1月の川崎展まで時間を作って1カットでも多く撮りたい。でも昨日書く予定だった原稿は書けてない。早く着くつもりだったけど出かけるのに時間がかかってしまい、現場に着いたときは10時になっていた。以前にロケハンしていた歩道の広くなっている場所に三脚を立てる。導線からはそれているので通行の邪魔にはならないだろう。でも誰がいつクレームをつけるか分からない。覚悟はしておく。折り畳み椅子を用意してきたが三脚が心配だし結局ずうっと立っている。時々本を読んだりラジオを聞く。寒い。本は酒井健著「死と生の遊び〜縄文からクレーまで 美術の歴史を体感する」を読んでいる。この本は「風の旅人」誌の連載も収録されているようだ。ついでだけど今出ている「風の旅人」にペルーの写真家マルティンチャンビの写真が載っている。リマの書店で見て衝撃を受けた写真家だ。チャンビのことは改めて書きたい。
 途中から、早く夕方にならないかな〜と、終わることばかり考えている。なんだかour faceの撮影に似ている。2時を回って一応気持ち的には撮影成立。ほっとする。成立というのは太陽の傾きと、急に場所をどかされても増感現像でなんとか絵は確保できるということ。その後もねばってトラブルなく続けシャッターを閉じた。今は1年で一番日が短い季節。都心は4時でほぼ日没。だからone dayの撮影にはいい。午後から雲が出て来た。イヤな感じだった。低くて強い日差しが百貨店の建物をぐるりと回してライティングしてもらいたかったのだが。
 今日はあまり道を聞かれたり、何を撮ってるのか、などと話しかけられなかった。となりの宝くじ屋さんは売れていた。
 帰宅したら我が家で地元の「映画を見る会」のミーティングと忘年会。日本酒を飲みつつ楽しく過ごす。

投稿者 Ken Kitano : 09:36

2007年12月05日

12月4日  コの字「おかしら」

昼まで家の近くで買い物と作業。衝動的に豚の生姜焼きが食べたくなったので、昼飯に奥さんの分と大急ぎで、でもきちんと作ったら、とってもおいしかった。忙しいときはおいしいものに限る。
午後西新宿で雑誌の撮影。そのままタクシーで高田馬場へ移動。コの字取材。今回はもつ焼き「おやかた」。下町でも路地でもなく、工場街でもない高田馬場の雑居ビルの地下にあるもつ焼き屋。おいしかったです。あまり飲まずに早めに帰宅。
 昼間、電車の中で今回の展覧会のタイトルにタナトスという言葉はやっぱりよかったと不意に思った。総合タイトルの「タナトスそしてエロス」は本尾さんが考えたのだけど、打ち合わせていた頃、僕の中でタナトスという言葉が浮かんでいてこの言葉ととてもポジティブに向かいあっていたので、なんとなくをそんなことを本尾さんにも伝えたのだった。ぼんやりしていたものを言葉にして口にしてしまうことで何かがはっきりすることがある。別段この先そのことで何かに近づくこともないかもしれないが、まだよくわからないが今ぴったりしているものがこの言葉にあるみたいだ。

投稿者 Ken Kitano : 20:54

12月3日  エプサイト出力2回目

 2回目の出力を見にエプサイトへ行く。1回目で気になっていたことがほとんどクリアーされていて、安心安心。楽しみになってきた。その後余白をどのくらい持たせるかの打ち合わせ。
その後、新宿、日本橋、上野をロケハン。朝昼夕と太陽がぐるりと動いて光の強弱でなくて、強度や奥行きを持った場所ってあんまりない。やってみないとわからないけど。でも基本的に都心で1日三脚を立てられるところなんて、ほとんどないんだよね。いつもダメもとだけど、1日費やす訳だから、毎回リスクが大きい。our faceもだけど、なんでこんなアホみたいなことになるんだろう。自分では1番シンプルに目の前を越えようとしているのに、結果すごくややこしいことになってる。
 夜、作品ごとのキャプションを作る。「溶游する都市」の撮影年を調べようと自分のサイトを見たら、撮影年がでたらめだった。すみません、サイトにのってる写真の年代はまちがってます。過去のプリント作業メモをで調べたら89年から97年くらいまでだった。案外最近まで撮ってたのだ。夜に本尾さんからメールでour faceのキャプションは撮影のときの印象や出来事の聞き書きをまとめて作品に添えたいがどうか、という提案。普段、文章を少なく、短くすることを要求されることが多いのだが、想定外の提案に興味が出る。our faceの文章書けず。

投稿者 Ken Kitano : 20:30

12月2日  山中湖

「oneday」でいつか富士山の撮影をしたいと思っているので山中湖にロケハンに行った。せっかくなので家族も無理矢理連れて行く。曇天で富士山は見えない。ボートでワカサギ釣り。3人で竿を1本だけ借りて2時間。6匹の釣果はボート屋さんのおやじに笑われたけど、気持ちよかった。よく思い出せないが、昨夜から今朝にかけて見た夢なのか考えたことなのか、不快なものが体と心に残っていたのだが、すっかり消えていた。
夕方になって富士山が現れる。本番は寒いだろうな。

投稿者 Ken Kitano : 20:19

2007年12月03日

11月30日   冬のプール

 今週はひたすら暗室でour faceのアナログプリントを焼いていた。エディション分と AP分をこの冬に全部焼くつもりだ。
同じデータで同じ印画紙で同じ現像液で焼いてどうしてこんなに違うのか。「広島慰霊の肖像」は3回焼き直した。本露光だけで1枚位あたり(第一露光+副露光)計3回×39人分×4枚×3回=1404回露光したことになる。足先や手が痙攣してきたので、このまま続けてたらエコノミークラス症候群になるかもしれないと思い娘と市民プール泳ぎ行った。
 冬のプールは空いている。夏と違って横から射す日差しが室内プールの隅まで太陽の日が届く。水面の乱反射を受けた水底は、淡い強弱を続けていつまでも見ていたい程きれいだった。娘とぼーっと浮いたまま光を見つめて過ごした。窓の外は黄色い銀杏に青空。冬のプールっていいもんだ。その後ビールを飲んだら体が溶けるような気持ちよさだった。
 

投稿者 Ken Kitano : 10:38