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2008年11月26日

パリフォト(6) 最終日

日曜なので商店の多くが休みだ。路地で撮影したい場所もあったのだが、店が休みでは仕方ないので今日のoneday撮影はルーブルのすぐ近くにする。パリフォト会場はルーブルの地下。会場へ向かう人にたくさん道を聞かれた。通りにカメラ立ててたら聞きやすいよな。会場へ行く途中通りかかった澤田さん、勝又邦彦さんが立ち寄ってくれた。おかげで途中でトイレに行けて助かりました。
夕方会場へ。この日は大変な人で、かき分けるようにして会場を歩いた。終了間際にサイン会をなさっていた細江先生にお会いでき、ブースへお越しいただいた。「こっちは住宅事情が違うよ。大きいの、いいねえ」とおっしゃっていた。住宅のことは本当にそうだ。今年は初めて大きいのを持ち込んだのだが、結果断然ラージサイズが注目された。実際等身大のプリントはコンセプトにあっているし、始めた当初からイメージしていたサイズである。それにしてもこれを普通に並べてかざれる家ってどんな大きさなんだろう?。まあ、そうゆう家なんだろうな。

終了のアナウンスがかかるとあちこちの画廊から拍手が起こった。「また来年ね、」という感じであちこちでハグしている。ちょっといい雰囲気。(ハグって僕は娘以外だと気後れしてしまう。メキシコに行ってた時はもう少し自然にできてた気がするけど)。撤去と梱包を手伝って終ったのは10時過ぎだった。(輸送のコストだけでも画廊には大変なリスクだと思う。)

終ってみてやっぱりパリに来てよかったと思う。ひとつのアートの現場と人を見られたこと。澤田さんはじめ海外で活動していらっしゃる方とお話しできたことも。今回パリで、僕は完全にオノボリさんであった。諸々のことが足りないと痛感することしきりであった。初めてランドスケープの撮影をわりといい感じで出来たことも収穫だった。直前に起こった経済危機のことが心配だったけれど、作品も少し売れて何とか年が越せそうだ。

そんなパリを後にして、翌朝の飛行機でイスタンブールに向けて旅立ったのでした。

投稿者 Ken Kitano : 08:54

パリフォト(5)15日 写真の層

毎日少しずつ他のブースも見た。
本当にいろんな写真がある。今風の、無機的なツルんとしたイメージばかりではない。ビンテージも多い。例えばすーっと見ていて、あ、なんだろういいな、と思って見たらクーデルカだったりする。ツアイトの木村伊兵衛はよかったな。(お値段もかなり高かった)。映像もある。核実験の軍事写真ばかりを展示していたアメリカのギャラリーもあった。(やはり、異様だった)。コンセプチュアルなものも正統的なポートレイト然としたものもある。on air projectというタイトルでニューヨークやインドの通りを8時間の長時間露光している中国の作家がいた。似たような作品ってあるものだなと思った。僕のone dayはストリートだけではないし、コンセプトとしての時間の定義も少し違うようだが、こっちも早く発表しないとな、と思った。
歴史的大作家から軍の記録写真まである。この恐ろしく分厚い写真の層のなかで、僕らのような今の新人の作品が入り込む余地は、本当にわずかだ。パリフォト自体も写真の大きな世界のローカルなひとつの現場に過ぎないのだけど、それでもそう思わずにはいられない。
今年はたまたま日本招待年で若手を携えて参加する日本のギャラリーが多いのだが、こんなところへ自分の作品を持ってきて頂いている現実は、やはり幸運というべき。改めて石田さんに感謝である。

もちろん詳しくは分からないけれど、ギャラリーのカラーや作家との付き合い方もいろいろなのだなという印象も持った。

投稿者 Ken Kitano : 05:38

パリフォト(4)14日 パリの撮影 

パリは撮影しやすかった。東京よりもずっと寛容だ。観光エリアだからとは思うが、街中で三脚を立ててもイヤな顔をされたことがなかった。もし移民のエリアに行ったらそうも行かないだろう。一日中立てているわけだから、こちらももちろん影を薄くして、邪魔にならないところを見分ける目が出来ている。
「あなた朝もいたわね、どんな写真撮っているの?」と話しかけてくる。
「this is long long exposer. (長時間露光)」というと、
「how long time?」と聞く。
「今日はだいたい6.7時間くらいかな」というと「oh my got! 」となる。
決まって「ウェブサイトある?写真を見たい」となるので、名刺やポストカードをずいぶん手渡した。やっぱり写真の国だね。もうすぐ英文サイトつくりますので待っててね。
4×5を持って行って正解だった。心配したけど物理的には撮影可能だった。
ただしパリは通りが複雑で、ロケハンしても再びそこにたどりつくのに難儀した。いい地図を手に入れておくべきだった。それと寒かった。
貧乏性が出て毎日ロケハンと撮影をしたので、楽しみにしていた美術館めぐりは、遂にひとつも出来なかった。パリフォトと合せて開催のパリ写真月間(こちらのほうが歴史が古いし元々規模も大きかった)もまったく見られなかった。メインの写真展でウォーカーエバンスをやっていたはずだ。せめてオランジェリーで大好きなモネだけでも見たかったのだが。onedayを撮り始めてから、ますますモネが好きになった。今時間が流れていることそのものにコミットすることの無謀さと、やはりそこから始まる普遍の視座に、痛く惹かれる。人間が知覚できない時間の流れそのものに向き合って身悶えすように苦悶したモネの気持ちが、いま僕は、少しだけ分かるような気がする。

投稿者 Ken Kitano : 04:51

パリフォト(3)14日 コレクター

パリフォトはアートフェアだからギャラリーとコレクターのもの。作家は主役ではない。まずはコレクターという人たちの存在について知っておかなければならない。美術品のコレクターというと億万長者の趣味という響きがあって、何やらバブル的で味気ないイメージかもしれないが、実際はそうではない。収集にかける予算は人それぞれだし、いろいろな楽しみ方がある。そして単に美術愛好家にとどまらず、亡くなった時など、後々その土地の公共文化財として、美術館収蔵に関わる世代を超えた文化の担い手という側面を持った人たちと、僕は捉えたい。ただし日本はコレクターが少ないし、税制のことを含め生まれにくい土壌があるようだ。コレクターのことについてはコレクターを支援するNPO法人アートインタラクティブ東京のサイト内の過去のレクチャーを読むと理解しやすい。特に代表で元東京国立近代美術館学芸員の樋田豊次郎氏の講演内容を読むと具体的な日本状況が見えてくる。ありがたいことにサイトで読めます。

http://www.artinteractivetokyo.com/lecture/lecture.htm

実際ブースにいてお会いしたコレクターの方々は様々だった。飛行機(自家用か?)に乗ってアメリカやアジアから買いにくるお金持ちの人もいれば、もちろんそうでもなさそうな方もたくさんいる。お母さんへのクリスマスプレゼントにと、連日来て、よくよく吟味して、小唄の人のアナログプリントを買ってくれたご婦人がいた。昨年買ってくれた方にお会いして「あなたの作品はすばらしいわ」なんて言ってくれると、やっぱり嬉しい。コレクターは職業も国も様々。著名な元プロスポーツ選手もいらした。そうゆうのは何だかさすがだなという気がした。日本でいうJリーガーやプロ野球選手でしょう?僕の作品に関しては女性が多かった。昔、福島辰夫先生からパリの画家たちの話を聞いていたけれど、作家を招いての茶話会や食事会も普通にあるのを知った。そうした方々と少しだが実際にお会いできて、やはりよかった。

ひとつ気になるのは、our faceに関しては、会津田島の花嫁行列や高野山僧侶など、やはり日本的な肖像に問い合わせが集中することだ。ヨーロッパだから当然と言えるが、今後いつまでも”日本的”ではいられない。今ourfaceプロジェクトはアジアを撮影しているが、アジアやアメリカの肖像になっていった時は売れないのだろうか。最新のバングラデシュの作品は自信作だったのだが、彼の地では”日本的”の横で影が薄かった。


投稿者 Ken Kitano : 03:43

パリフォト(2)13日 BMWアワードはダメでした

初日の夕方着いた。規模の大きさと人の多さ、そしていろんな写真があることに、率直に驚いた。これだけ写真があるのにつまらない写真が少ない。広い会場を探して探してたどり着いたMEMで、高野山の僧侶の大きい作品にひとつ、売約の印がついているのを見て、ホッとした。

パリでは、朝は誰かと朝食会になったり、ない時はひとりでホテルで済ませ、すぐにロケハンか日没まで街中でone dayの撮影、夕方パリフォトの会場に行く。という規則正しい日々。

13日はParis Photo BMW awardの発表があった。僕の「溶游する都市」の一枚も最終選考に残っていたのだ。カラー、ラージサイズ出力、アクリル仕上げ・・。居並ぶ今風のノミネート作品群の中に、僕のだけ唯一、銀塩、モノクロ、定形印画紙サイズ(僕のは半切)を木製の額に入って壁にかかって孤軍奮闘している感じ。結果は中国人の作家だった。気にしてなかったのだが、発表の時は少しドキドキした。同じギャラリーの澤田知子さんが「こうゆうのは一人だとやでしょう」とついてきてくれた。澤田さん、ありがとう。

投稿者 Ken Kitano : 03:20

パリフォト2008へ(1) 11月12日

午前発のエールフランスでパリへ。出発前にかなり忙しかったのと、楽しみにしていた娘の学習発表会の劇(学芸会のようなもの)を見られないこと、それにそもそもフェアに作家が行って何か得るものがあるのか、という思いもあり、正直今回はテンションが上がらなかった。ついでに金もない。
飛行機はJALとの共同運行便で日本航空の機体だった。何の気なしに機内誌を見たら、表紙と見出しに釘付けになった。
フランス サン・ルゥの光 森山大道
うわ〜、イイいいなあああああ。
それはサンルゥのニエプスの家を訪ねた、森山さんの撮りおろし書き下ろしレポートであった。
あの屋根裏の実験室にて。
「僕は、確かに此処で、ほからなぬ写真装置が誕生したのだという、実感と感銘を深めていた。(略)その後僕は、宿題の、窓辺から望む中庭の景色を、じつにさり気なく写し了えた。やはり、計りしれない感動と共に。」
パリに着くまでに3度読み返してしまった。
写真の国へ行く、という実感が徐々に湧く。フェアとはいえ彼の地には自分の写真もあるという幸運を感じつつ。

「あなたの作品をパリフォトに持って行きたい」。昨年の夏に自宅近くの緑道を歩きながら初対面の石田さんに言われたのを思い出す。その時僕はパリフォトについてよく知らなかった。3日間に4万人が写真を見に来ること。単にコレクターへの見本市ではなく、ギャラリスト、批評家、キュレーター、美術館スポンサー(海外の主な美術館は殆ど私立であり、公立でも民間からの寄付で運営されているところが多い)が世界中から訪れること。発表の場ではなく、あくまでギャラリーとコレクターのための売買の現場ではあるものの、そこには批評空間としての側面もある程度あるらしい。でも本当なんだろうか。そこはどんなところだろう。
実際に昨年のパリフォトで作品を買ってくれた人たちは、どのような人なのだろう。
そんな思いもあって、今回撮影を兼ねて出かけることにした。
機内で思いがけず目にした森山さんの写真とテキストを、
僕は勝手にパリへといざなう追い風と受け取った。

投稿者 Ken Kitano : 03:11

2008年11月11日

パリフォトへいくことにした。

正直、あまり盛り上がらないのだが(寒いし、だいいち金がないから)パリフォトに行くことにした。
今年は日本が招待国ということで出展ギャラリーやイベントも多いらしい。
日本特集というのは関係なく昨年の様子を行った人から聞き今年は行こうと思った。
さすがにフェアだけを見に行くにはコストがかかりすぎるので、パリでonedayを、その後足を伸ばしてトルコでour faceとonedayの撮影をすることにした。三脚と大型カメラをトランクに詰めたらそれだけで25Kgになってしまった。ランドスケープを撮る人はどうやって機材を運んでいるのだろう?

あい変わらず行き止まりで、その密度だけが濃くなるこの世界の
ひとつの現場を少しだけ覗いてくるつもり。
どんなところにももれなく現実があるわけで、パリはとりわけこの時期のパリは写真の確固たる場所のひとつなのだろう。

トルコはクルドの人のところに行ってみたいと思ったりもするが、今は難しいようだ。今回はイスタンブール周辺かな。トルコのEU加盟の姿勢と拒む各国の状況というのも興味深い。いちおうourface ASIAとして撮影に行くのだが、おしなべて少子化のヨーロッパでトルコは順調な人口ピラミッドを保っている。加盟するばEUでイスラム教の人口が急速に増す。ヨーロッパとアジアの接点としてのトルコの有り様は宗教と人口的に見ると微妙なバランスだ。

投稿者 Ken Kitano : 14:39