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2008年12月26日

12月25日 長めのインタビュー掲載

雑誌週刊金曜日 2009新年特集「考える」 
1月9日号と翌月の2号に渡ってロングインタビューが掲載されます。
「考える」写真家ということらしいですが、写真について普段「考え」ていることを、現在制作中のour face project ASIAとone dayのことを中心に話しています。(実際はメールインタビューですが。)

ourfaceもonedayも何となく自分の中で新しい段階に入ってきました。同時にここのところ90年代の写真を来年発表すべくまとめていたり、たまたまメキシコから友人が来て久々にメキシコのことを思い出したりして、過去を通して現在の写真を考える機会が重なった。そんなタイミングで受けた今回のインタビューは、考えをまとめるいい機会になりそう。(まだ後半のインタビューをしていない。)

次第に明確になった共犯者的視座と僕がよんでいる写真について、バングラディシュやパリで感じたことを交えて話してます。店頭ではなかなか手に入りにくい雑誌ですが、ぜひお読み下さい。初出しの新作も掲載されます。
hhttp://www.kinyobi.co.jp/

アジアの現代美術の現状を聞く連続レクチャーに行ってきた。中国と韓国の美術市場と作家の躍進は、実際に彼の地で活躍されている作家やギャラリストの話を聞くと、うわさで聞いていた話とは聞きしに勝る内容であった。中国の経済発展による新興富裕層の存在と韓国の土地バブルという背景が大きいようだけど、日本とは国からのアートへのサポートの違いが大きいようだ。(アニメだけは手厚いが。)税制も大きいし、何よりその国の美術をきちんと継続的に海外に紹介する姿勢がまるでないというゲストの指摘。とはいえ作家としては海の向こうのアートバブルの行方もオークション市場のことも、現実と向き合って作品を生み出す日々の制作とは無縁だ。頭の隅におきつつもあくまで”周辺の話”。そのバブル崩壊と円高。どんな現実も制作の糧として取り組む作家の姿勢は共感するところが大きかった。ところで戦後日本の美術は一貫して国内では売れない現状は変わらないそうだ。現代美術は輸出で成り立っている。ただ日本には買うコレクターは少ないけど、美術愛好家は諸外国に較べて多いらしい。フェルメール展、藤田嗣治展、アンリカルチェブレッソン展etc.、数十万人規模の動員の展覧会が毎年いくつもある。そうゆうのは韓国でも中国でも考えられない。どちらがいいのか?。お金をだして見る方は輸入偏重だ。お金をだして現実となんか向き合いたくない、ということか。そして日本はこれだけ格差が広がっても冨の集中の度合いはまだまだ小さいのだ。いや総じて沈下しているわけだが。そして精神的余裕のなさ。こうゆう現実だから生まれてくる表現もきっとこれからたくさんある。

美術館に作品が買われているような作家がトラックの運転手をして暮らしているなんて日本くらいだよ、というようなことをよく海外で美術をやっている友人から聞くけれど、冷静に現状をみるとそれもやむを得ない現実だ。

仮に東京で家族のいる作家が生活するのに年収500万円いるとする。制作費も含めるとそれでもかなりきついけど、その場合最低でも作品を年間1000万円売らなければならない。100万円の作品なら10点。50万円のなら20点。10万円の作品なら100点。そしてそのくらいの作品をその数作らなければならない。写真家でコンスタントにいけている人が日本にどのくらいいるのか知らないが、なかなかのタイヘンだ。僕は路上でも展覧会をやったりしていたから、発表する場所というのはどうしたって出来ると腹をくくっている。一方で買ってもらって、とりわけそれによって作品が後々に残る、ということも大切に思っている。大げさに言うと名前も残らなくてもいいけれど、作品だけは残って後世の人と対話してほしい、というちょっと職人的な気持ちが僕にはある。

投稿者 Ken Kitano : 09:58

2008年12月07日

12月6日  恵比寿発 ゴールデン街行き

メキシコから朋友の萩野みほちゃんが東京ワンダーランドのレジデンスで6年ぶりに帰国中。今日は一緒に展覧会をはしごする。
まず朝一番に写真美術館で「ビジョンオブアメリカ」を見る。懐かしい写真ばかり。やっぱり10代の頃に見た写真というのは体の奥深くにその感動が残っているものだ。ミズラックはやっぱりよかった。奈良原さんの「ステラメモリ」や「消滅した時間」はずうっと見ていたかった。(そうしていたらたぶん泣いていただろう。大好きだ。)最後の展示室にサンデイスコグランドが一点だけあった。昔パルコで見たサンデイスコグランド展は感動したな。(僕は本尾さんに会う度にその話をしている。)僕はアメリカの写真から受けた影響なんてほとんどないと思っていたけれど、こうしたダイジェストで見ると80年代のアメリカの写真の持つ重さと暗さのなかでしっかり深呼吸していたんだな。懐かしかった。
実は好きなアメリカの写真家のことを講義で話してほしいと依頼を受けているのだけど、切り口が思いつかない。メキシコの美術からははっきり影響されているので話せるのだけど。
2階の「オンユアボディ」をもう一度見たかったけれど、残念ながらパス。

タカイシイギャラリーで森山大道展。ポラロイド600点。森山大道さんはいま現代美術館とリコーと、もうすぐラットホール展がはじまるそうだ。まったく何とパワフルなのだろう。アイコン的なかわいらしい世界がいくつもあった。こうゆうのも森山さんの写真のなかに確かにあるよな。見た後に美穂ちゃんが授業を受けて以来尊敬してやまない畠山直哉さんの写真をいくつか見せて頂いた。ライムワークスとアンダーグラウンドのいくつかをガラスを通さないで見させて頂く幸運。スゲエ。ちょっと言葉にならない。親切にして頂いたギャラリーの菊竹さん、ありがとうございました。

ワンダーサイトで美穂ちゃんが制作している「日本とメキシコ」に関わるビデオ作品のためのインタビューを受けた。合間に来年ワンダーサイトで展覧会をやる若い作家たちが見学に来る。ステートメントの書き方や何をモチベーションに作品を作ればよいか、あるいはギャラリーとどう付き合えばいいのか、等々質問が出る。これから作品を作るのにギャラリーとの付き合い方なんて。なんだか生きていることと創作が離れているな、と思った。作家の仕事なんて二つしかないと思う。ひとつは説明責任。作品と自身に関わるあらゆる質問に即座に答える言葉を持つ努力を怠らないこと。もうひとつは世界を忠実にトレースすること。自身の内面的な促しに従って忠実に世界を写し取って現すこと、のふたつだ。

その後ゴールデン街「こどじ」さんへ。みほちゃんは初めてのゴールデン街。昔僕がアシスタントをさせてもらっていた寺崎誠三さんの写真展。寺崎さんは帰った後だったけど、久々のごとじさんは楽しく温かかった。

投稿者 Ken Kitano : 16:10

2008年12月05日

上がったけど

時差ボケは直ったものの、たまっていた雑事と仕事で寝不足。やや慢性的な不眠症。
制作に没頭したいけれど、まあ現実はそうもいかず、気持ちはきりきりするばかりだ。先週は、来年出版したいと思っている90年代の作品「溶游する都市」のベタとりをようやく始めた。(この作品の初期のベタは大学4年の時の実家の火事で焼けてしまったのだ。二階からネガだけ抱えて逃げて無事だったというエピソードがある。だからベタを改めて取っている。)
「北野はいつもおだやかだよね」みたいなことを言われるけれど、わりといつもいらいらしている。やりたいこと(というかやるべきこと)の1000分の1も出来ていないという焦りと、もうカウントダウンが始まっているから急がなきゃ、という思いがいつもせめぎあっていていて、ぜんぜんのんびりしていない。だけど、そう見えるらしい。体によくないからできるだけ淡々と行きたい。

パリとイスタンブールで撮ったone dayの現像が上がってきた。
難しいな。時間もお金もかかったけど100点満点の15点くらいだ。一日シャッターを開けていると、溶けて弱くなって消えて行くものと、逆に強く出てくるものが(少ないけど)ある。でもそれが読めない。これだけ撮っていてもまったく予想がつかない。現像するまで絵柄すら想像できないのはourfaceと同じだ。だから手探りで構図を決めて露出を決めるのだけど、これがあたらない。まったく目隠しをしてボートで海にこぎ出しているようだ。実に心もとない。いずれどこかにたどり着くのか?ほとんど動いていなくてどこにも進んでいないような気もする。時間がかかっても進んでいるなら、いいのだけど。

作品と関係ないことですが、発売中の「男の隠れ家」という雑誌にコの字居酒屋のコラムを書いています。


投稿者 Ken Kitano : 17:57