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2009年03月19日

3月18日 サイズ

北区の団地でone dayの再撮。花粉症ではないが黄砂とあいまってほこりっぽい。マスクと眼鏡をして終日土手で過ごす。午後からの風は予報では風速9m。三脚に重りをつけたがぶれていないか心配。空の抜けも今イチ。
一日を写しこむから、予想外の要素がいろいろ出てくる。いつもなかなか一回では成功しない。写真は微分だと言われるけれど、この作品の場合は積分である。静止画から動画基本の時代になって積分の視線はますます概念としても重要になっていくと思う。いずれにしても失敗は一日がまるまる無駄になるのだからやりきれない。
この場所はロケハンを入れると3回目。天気と気温と風の条件が揃わず撮影を延期しているうちに3月の半ばになってしまった。前回撮ったのは1月のロケハンから予想した位置より日没がだいぶ北でフレームアウトしてしまった。都内は方位磁石はあまり当てにならない。
今日は撮影中に少しでも仕事をしようとノートPCと5月にするレクチャーの資料を持って行った。歩道に腰掛けてpcを開いて時々仕事をする。だんだん風とホコリが強くなってラジオに切り替える。それもノイズがひどくて、結局ぼーっと風景をみていた。「土手を通る人」というのは「橋を渡る人」と並んでみていて飽きない。無防備さがいい。通行人や風のことや車の振動、雲と太陽のハレーションのことなどが気になって、5時過ぎにシャッターを閉じた時には多少の高揚感とともにくたくたになる。

one dayはourfaceと同じく「様々な場所」とか「あらゆる場所」などと言っている。やはりその場所性は大きなポイント。そして時間を通して場所と向き合っているとどうしても「死」と向き合うことになる。これは必然だと思う。(一方で時間を通して人と向き合うour faceはどこまでも「生」と向き合うと感じて、両者は対だ。)だから時には記憶や背景を伴った場所を意識的に選ぶ必要を感じる。場所性について、場所の重力について、考えをより明確にしてゆく必要がある。一方で僕は手の届くすぐ目の前の現実と彼方を同じフレームに、もしくは連続に見たいという衝動が強い。この矛盾した衝動を持ち続けるには場所と向き合う自己の姿勢をより明確に強く持つしかなさそうだ。単純に面白がる部分も持ちつつ。

7月に最初の個展をする。サイズと額のことを考えている。昨日リカルドロッカンの個展を見て来た。1点でも、また展示全体で見ても、コンセプトとサイズと額がぴったりしていて見事だった。同時期にドイツでやっている新作展の会場写真も見せて頂いたが、これもすごい空間のようだった。資料を見ると過去の作品はシリーズごとに微妙にサイズが違っている。ドイツ本流のこのへんの人は、最初にサイズありきの作品と展示。それがすごいのだけど、フリーフロー的徘徊視座から生まれた僕のランドスケープとはルーツもなにもまるで違うので較べても仕方ないのだが、とにかく作品のサイズがいまだ見えず、手探りで急いで探り当てないといけない。

今週発売の雑誌アエラに写真とテキストを書きました。スカパー!の番組も放映しているはずです。詳しくはnewsサイトを。
http://www.ourface.com/news/index.htm/a>


投稿者 Ken Kitano : 08:08