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2009年05月30日
5月27日 プリント立ち会い
カラーサイエンスラボで7月の個展に向けてのone dayシリーズプリントの立ち会い。
このシリーズはカラーランドスケープシリーズで4×5のネガで撮っている。ネガによってアナログプリントとラムダ出力プリントと両方ある。デジタル出力をする理由は、フィルムもカメラともメーカーも想定外の7、8時間から長いのは24時間の超長時間露光のために、カラーバランスは崩れるしコントラストはめちゃめちゃだし、カメラを完璧に覆って箱でかこってハレ切りしても光線引きやらフレアやらハレがおきる。一日の気温差でカメラ内に空気の対流がおきてフイルムにホコリがたくさん付着する。これがアナログだと厳しい。なので写真によってはネガをスキャニングして処理が必要なのだ。
夜までかかっていいのが出来た。ほっとした。よかった。ラージサイズといっても短辺1050mm。今時の流れでは何でもない大きさだが、このシリーズでは初めての大きさなのでとてもドキドキした。
僕の写真はポートレイトもそうだけど風景もハーフトーンの権化のよう。緩やかなハーフトーンはデジタルが苦手とするところ。プリンターのIさんはスキャニング、プリントともに今回は(毎回そうだけど)鬼のようなテストを繰り返してようやく本番にこぎ着けた。いいプリントができたので額装して見るのが楽しみ。
テストの合間に夏か秋に予定しているインドネシアとフィイリピン撮影の資料。インドネシアは島ごとに宗教も気候も文化も様々でその多様さにどこに行くべきか調べるほど分からなくなる。フィリピンはメキシコと同じスペインの植民地であったカソリックの国だから祭りはラテンアメリカに似ていてとても興味が出てきた。「our face」と「one day」と秋に向けて「溶遊する都市」と今年は3作品同時並行で大忙し。
昨日は自宅は台湾で撮影してきた台北のコミケに集まったコスプレの人たちのourfaceプリントをした。仕上がりは今までにない感じのourface。日本のその筋の人たちのイメージと似て儚いのだけれど日本のそれよりも明るのが面白い。
投稿者 Ken Kitano : 09:52
2009年05月16日
5月12日 授業
群馬県立女子大学講義「ビジュアルアメリカ」。
もともと人前にたつのが苦手な上に大学の授業。ほうほうのていでした。
暗くしてスライドをしながら話していると、だんだん一人きりで話しているような気分になってどんどん声が小さくなる。場慣れしてないこと甚だしい。こまめに部屋の電気をつければよかった。聞いている人の顔見ると多少言葉がでることにあとで気づいた。
内容は自作についての話からアメリカ発のグローバリズムについて。肖像写真からグローバリズムへ、かなりアクロバティックだけど、このような機会を頂いてよかった。本当はさらに風景写真につなげたかったのだけど、そこまでは時間的に無理。(対称性と連続性のある表現という流れでドゥアンマイケルズとリチャードミズラックのイメージも用意していた。僕が同じ学生の頃リアルタイムで見て感動したアメリカの写真でもあったので。)
写真をお見せしつつ、自作について、グローバル化につての僕の印象と思うところ。さらにメキシコのフリーダや森村さんや澤田さんらセルフポートレイトの作家と、アニメや能のアイコンのイメージとグローバル化についても少し。終わってから質問がいくつか出た。
たくさんの人と関わりを持つことと、たくさんの人が関わるイメージを作ることの違いについて。
アートですべきこと、アートがすべきことについて、作家の内面の話で話ではなくて、作家の外との接点の持ち方につて。こうゆう話って大事だな。写真の人たちではあんまり話し合われない。グローバリズムについてもそうだけど。言葉にする機会を頂いた気がする。
誠につたない話でした。聞いてくださった方、ありがとうございました。
お声をかけて頂いた日高優先生、木下先生もありがとうございました。
先週韓国のとある大学でも(行ってみたらそうゆうことになっていて)講義をした。
そのときも、作品についていろいろな話をして、最後に質問があったらどうぞ、
作家だからできるだけどんなことでも答えますから、って(通訳してもらって)言った。
最初にでた質問が
「年収はいくらですか?」だった。
しかも教授から。いすから落ちそうになった。
アートマネジメントの先生なのだけど、ストレートだね。
(作家の年収を100人くらい調べて論文書いたら面白いだろうね、各国でキャリアと比較したり。)
読んでみたい。
投稿者 Ken Kitano : 07:18
5月10日 シアターコクーン
若いときは外国から帰ってもしばらく精神的な覚醒のようなものが続いたけれど、この年になると、あっというまに切り替わる。そのかわり体の疲れはいつまでも続く。
夜、シアターコクーンで蜷川幸雄 演出「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」(清水邦夫 作)。
蜷川さんの群衆劇は(平板な言い方だけど)いつも濃密にエロスとタナトスがせめぎあっていて大好きだ。その猥雑のなかに宝石のように美しい(いつもは若い役者さんが多いのだけど今回はベテランの女優さんたち)、死への加速度とでも(平板で恥ずかしいけど)生の燃焼としかいいようのない、きらめきの様に僕は勝手に希望を感じたり底の知れない虚無に酔いしれてしまって、見終わったらすぐにまた見たいと思ってしまう。鞠谷友子さんがよかったな。
中国と韓国から帰ったばかりだだからか、戦争のイメージが絶えず頭にあった。
いつからだろう、ポートレイトのことを考えていることはもちろんだけれど、写真について考えるときはいつも、死について、死の側から考える。当たり前と言えばそうだし、最初からかもしれないけれど、いつからかそれがかなり明確にとても自然になってきたなあと、帰りの電車のなかでぼんやり思った。
投稿者 Ken Kitano : 06:25
2009年05月10日
ソウル2
授業の後夜間の大学院生のピョンさん、Mさんとビールを飲んだ。ピョンさんはフォトグラフィカのパリフォトの記事を読んでいた。日本の写真に詳しくとても熱心な方。35歳で韓国の代表的な銀行の社長室付き戦略室のエリート銀行員であると聞いて驚いた。で、いろいろ話していると、「去年出した写真理論の本が3万部売れましてね、」なんてさらりと言う。イスから落ちそうになった。人口は日本の三分の一だから日本で言うと9万部売れたことになるんですよ。日本では考えられない。ピョンさんには翌日もあってインタビューを受けた。来年写真家のインタビューの本を出すそう。またまたヒットさせてほしい。
韓国の撮影はソウル郊外の民俗村に行って農楽を見て撮ったり、バスで3時間ほどかけて隣の県に行って、山の中の端午祭りに行った。いいお祭りでした。それとソウルを流れる漢江沿いの新市街の風景をone day。写っているうといいな。
食べ物をはサムゲタンが美味しかった。それとアンコウ鍋。鍋もよかったがアンコウ蒸しもうまそうだったので次回は魚介蒸し料理を食いたい。路地にはコの字らしき居酒屋もあったので次回は時間を作って飲みたい。ギャラリー巡りも次回に。
というわけで10日午後、アジア双六から戻りました。家は落ち着くね。
投稿者 Ken Kitano : 15:54
北京からソウルへ
5月5日に北京からソウルに移動。初めての韓国。
韓国は当地の大学院を出たMさんに案内していただいた。
6日、one dayロケハン。弘益大学写真学科の大学院生の皆さんに講義とその後撮影させていただた。
講義は昼の学生と夜間の学生の2回。昼のほうは9人と少なく、プリントを見せながらコンセプトや写真についての考え方をお話した。質問もでていい感じだった。夜は40人と多く話ていても通じている手応えがない。担当のK教授は僕が話をはじめて大事なところで、突如内容に関係のない持論(写真はアナログでなければ成らない、とか)を熱く語り始めたり、ある学生は、僕がそれまで話たことをまるっきり聞いていなかったかのように同じことを聞いてきたり。話の途中でコーヒーブレークにしましょう、とかなんだかよくわからん。韓国の大学がそうなのか、このクラスが特殊なのか・・。あまりうまくいかなかったけど、帰国したらすぐに日本の大学でも講義をしなければならないのでシミュレーションになってよかった。日本で話す流れがつかめた。
韓国では学生、教授、写真誌編集者らから韓国のア−ティスとアッタキム氏のことについて感想や意見をも求められた。何度も何度も、正直うんざりした。というのはキム氏が人の顔をCGで重ねたカラーイメージの作品を(おそらく2000年代らしい)発表しているためだ。僕は90年代の終わりから実際に様々な人に会いに行き、肖像をアナログで銀塩印画紙に重ねるourfaceをプロジェクトとして継続している。単に重ねるということだけでみると、キム氏に限らず、2000年代になってそのようなコンピューターを使ってイメージを作っている人は写真、美術、ビデオ作家、あるいはロボット工学の人まで、世界中にたくさんいる。僕が知っているだけで写真家、美術家で5人いる。おそらく世界中にものすごい数の人がそのようなイメージをつくっているのではないか。フォトショップがあれば簡単にできるから。僕は早い時期始めたほうだと思うけれど、実際アートにおいてそのような表面的な技法の類似は、たいした問題ではないし、同じ時代を生きていて違う場所で同時多発的にそのようなことをする人がいるのはよくあることだ。僕は僕で、どうしても自分がやらなければならない必然があって表現にたどり着いた。他の人もあるいはそうかもしれない。
単にこのような最大公約数的な〜らしい顔というのは、今の人は簡単に想像できるビジュアルになっていると思う。世界がそのくらい平板になっている。僕は当初からグローバル化という人間の存在を危うくするシステムに対してプロジェクトとして今の作品を作り続けている。実際に生きている人に会いに行って。そして僕は20世紀に生まれた人間だから、20世紀に発達した銀塩印画紙にアナログで垂直軸の群像写真を作り続けている。銀塩印画紙があと何年手に入るか分からないがそれほど長くないと思う。今しかできない表現だと思う。100年、200年後の人は、あえて銀塩の印画紙にこのような作品を残した僕の作品を、かつてあった写真という美術の中の歴史のなかにすんなり受け止めてくれるのではないか。
韓国で海外で活躍する作家に対する羨望と批判の絡まったまなざしはよく分かった。かつて日本の藤田や岡本太郎がそうだったのだろう。韓国では学歴のこともよく聞かれた。大変だな。
ちなみに発売中のModern Painters Magazineに肖像を重ねる作品の作家を数人あげあがら僕の作品の批評が載っている。(キム氏は載ってないけど。)アメリカの雑誌だけど北京で見つけて買った。この批評はかなり嬉しい。
投稿者 Ken Kitano : 07:42
北京3
5月4日
髪を切った美容室「Park jun`s」で撮影。昨日聞いたら美容師が19人もいるというのですかさず撮影をお願いした。その後Mさんと合流して近くの建設現場へ。飯場でヘルメットかぶった人を声かけ撮り。11時半の休みになるとプレハブの飯場(なかはぼろいプレハブに二段ベット)に戻って飯炊き場で山盛りの昼飯を受け取って食べるおじさんたち。飯は洗面器くらいの食器をマイ食器を差し出して山盛りの飯と野菜炒め。
労働者の人はシャイでなかなか撮らせてくれない。さわやか美人のMさんの説得で(Mさんはもともとテレビウーマンだからさすが街頭インタビューに慣れている)4.5人に一人くらいのわりで撮らせてくれる。シャイなのと、面倒なことには関わらないがあるらしい(という文革などの影響もあるとか)。考えてみると腹が減っているところ撮影なんて面倒に違いない。でも日本みたいに露骨に無視したり、無礼に追い払うような人はいない。撮影の様子を大勢の人が飯場の窓からみんな見ていた。
苦戦しつつも人数が多いから40分ほどで30人くらいは撮れたと思う。
Mさんありがとうございました。
投稿者 Ken Kitano : 07:40
北京2
5月3日 韓国の人が多くすむ新興住宅地望京(ワンジン)のイトーヨーカドーのシネコンで映画「南京 南京」を見る。日本では上映されない映画。見終わったばかりの感想は、かなりきつい映画だったけれど、よくできた映画だなと思った。でも時間がたってみると、主人公の日本人将校角川にしても他の登場人物にしてもどうゆう生い立ちでどうゆう人間性なのか、どんなことを考えていたのか、というようなことがさっぱりイメージできない。人間があんまり描かれていない。そもそも台詞が少ないのだ。別れや凄惨な殺戮の合間に「人間はいつか死ぬ」とか「生きているよりもいいだろう」とか観念的な台詞を時々ぽそりと言う。人物そのものの生きている質感があんまりないのだ。影像は丁寧。cgでなく大変なスケールのセットとエキストラ(数千人か数万人)で撮影しているからすごい迫力。とにかくたくさん日本人は殺す。もうたくさん殺す。これはきつかった。ラチュードの広いモノクロ影像。アウトフォーカスを多様するなどしてただただリアルに凄惨に描くのではなくとても丁寧な撮り方であった。殺戮のシーンの他に2つとても丁寧に撮ったシーンがあった。ひとつは慰安所。長く細部にいたるまでかなり丁寧に描かれていた。これもやりきれない。
もうひとつは陥落を祝って日本軍が祭りのような儀式をやるシーン。ここだけは唐突な気がした。北野武監督の「座頭市」のタップダンスシーン(あのシーンは大好きだ)のような、インド映画の群舞のような、ミュージカル的な集団の祭りのシーン。
日本人の描かれ方はどの日本兵も罪の意識や葛藤を抱えて描かれていた。個々の日本人はあからさまなヒールや間抜けで無節操には描かれていない。それが集団になると暴力が加速するという描きかただった。
見終わって劇場を出るときに日本人だってばれたらどうしよう、と一瞬思った。
娘に会いたくなってしまった。
ヨーカ堂のヘアサロンで髪をきった。ワンジン地区の建設現場をロケハン。ロケハン、夜イトーヨーカドー前の特設野外映画上映会の会場で映画を見る人々(主に周辺のあちこちで建設中の高層マンションの建設労働者)をスクリーンの横から撮る。ピカピカのショッピングモールの前で幻灯映画会。地方からの出稼ぎの労働者が飯場から歩いて来て大勢で見て笑ったり。なかなかよい光景。
北京なのに終日ショッピングモールですごす。なかなか楽しい。
ワンジンではKさんに大変にお世話になりました。ありがとうございました。
投稿者 Ken Kitano : 06:48
2009年05月02日
北京にて 1 ラージサイズについて
北京ではHさんとお知り合いの方々とご一緒させていただいて、アート北京ほか有名な798はじめギャラリーや美術館を訪ねています。撮影も少しずつ。
北京は経済ショックがあったとはいえ、やはりとんでもない活気がアートにみなぎっています。この国でおきていることのある部分はアートのスタンダードな部分を作って行くでしょうし、世界の拠点としては揺るぎない、と既にいろんな人が言っているけれど、改めて実感。いろいろな関係者にあいましたが、(また上の方が会ってくれます、日本では考えられないのではないか)、スケールの大きさはもちろん、ものを作り出すことに率直で実際的なところが面白いです。なかでも三影堂のおふたりは僕には際立って印象的でした。すばらしい仕事をされていて、たぶん世界のどこにもない奇蹟のような写真の現場であるように僕には思えます。この感激はすぐにはうまく言い表せそうにない。ぜひぜひ再訪したいと思う。このことはあらためて。
our face project ASIAは来年には東は日本(礼文島、北海道、本州、九州、沖縄、対馬)、台湾、韓国、フィリピン、インドネシア群島、タイ、バングラディシュ、インド、中国まで、アジアの南の半分が、さらに中央アジアと中東が加わり、全アジアの肖像の連鎖ができあがる、予定だ。その膳アジア的イメージを日本はもちろんだが、アジアのいくつかの国で展覧会をしたいと思っている。いつかここ北京でも。
中国の美術はとにかく基本のサイズが大きい。空間や身体感覚として自然なサイズがもともと大きいのだろう。写真でいうとさらに、歴史的なプロセスを飛び越えて発達したことも背景にあると思う。具体的に言うと、ネガの密着にはじまり、技術の発達や表現の多様化とともに少しずつスケールアップしてきたのではなく、大きさに対して自由な技術がある状態から始まったし、ヨーロッパや日本などの写真の歴史に影響されずに発達したこともあると思う。書店では海外の写真の歴史といわれるような写真集すらみかけない(とりわけ日本は皆無)。
そんな中国の写真のもつ大きさ(カラーでは3m幅のアナログプリントなどという信じられない作品がある。どうゆうプロセッサーなのだろう?モノクロも大きい)というのは固有のものだと思うけど、この大きさにはある種の普遍的で今日的な要素を持っているような気がする。ドイツの写真の持つ大きさとも異なる背景と必然があるのではないか。僕は昨年からラムダでラージサイズの制作もはじめたけれど、方法論としてラージサイズが持つ力を、もっともっと自分の自然な表現の幅として確実に身につけたいと思う。自分がしてきた写真の質と可能性の延長として。そしてできるならずっとしてきたアナログのハンドメイドの方法で。そんなことを北京で切実に感じている。
投稿者 Ken Kitano : 08:05