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2010年06月30日

6月30日

展示前の大詰め。ぼちぼち取材も。
先週オファーがきたマカオでのグループ展のプリントを急遽焼きました。ここからのほうが送料も安いし時間も短縮できるので。午後はourfaceを焼こうと思ったら額やさんから電話。ourfaceのラージサイズの接着を見てほしい、とのこと。額やさんには難しい注文をたくさんお願いしました。でもとってもとっても丁寧で質の高い仕事をする額やさんで、試作を繰り返して、気になるとこうして電話してくれる。いい緊張感だなあ。

妻からメール。自宅に図録が届いた。見たとたんにうるっと来そうな。画廊の石田さんもスカイプで「ちょっとこれ、すごいですよ」。町口さんがまたまた・・・。
額装の作品も、図録も明日届きます。ドキドキ。

遠くで、いろんな方が話し合いと説得と試行とチャレンジを急ぎながらしています。それが今週末、ひとつになります。

シンポジウムの告知です。中国側のパネラーにファンルイ参加してくださることになりました。
詳しくはonformasion サイトで。
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オープニングレセプション:7月3日 午後3時−5時

記念シンポジウム:「自己と他者」をめぐる肖像写真の表現性について
司会:本尾久子(エディター、キュレーター)日本
ゲストパネリスト:
光田由里(渋谷区立松濤美術館キュレーター)日本
日高優(写真批評、視覚文化研究)日本
ファン・ルイ 黄鋭 (前衛芸術家、活動家)中国
サイ・モン 蔡萌 (写真評論家)中国

オープン・スタジオ:7月17日(「our face」の暗室作業を公開します。)

投稿者 Ken Kitano : 23:08

2010年06月26日

6月25日

今日は「台北のコスプレの少女たち」の2枚目と3枚目を焼いた。キレイな子たちなので目がぱっちりして位置はあわせやすいのだけれど、独特のポーズで傾いたり、南国の強力な陽射しによるオーバーネガだったりで、とても手間がかかる。
先月焼いた1枚は改心の出来で今回のカタログの表紙にもそのときのスナップを使ったほど。同じデータをもとにテストしてデータを作り直して焼くのだけれど、よくない。同じ号数でもコントラストが違う。周辺の出方も違う。一つには引き延ばし機の電球がすぐに焼けるのでバランスが変わるため。2000Wの集散光式で8個の電球をつかうのだが、これがすぐに焼けるので頻繁に交換する。そのために光量バランスとコントラストが変わる。ケミカルと温度の差もある。本当に微妙。同じ作品はいっぺんに続けて焼くのがベストだけれど、なかなかそうもいかない。
腰痛もでてきてくたくただったが、午後もう一枚チャレンジ。みんなも疲れているようで終始無言。8時近くなって出来た3枚目は、very good!だった。

疲れも溜まっているけれど、いまは正念場というか、やりたいことが少しずつできている喜びが大きいから
忙しく楽しく自分でもびっくりするくらい集中を持続できています。いろいろな人が協力的になってくださっています。

たぶん僕が「お金と言葉」というリスクと責任を誰からも見えるところにおいてやっているからだと思う。
この前の写真集の時にも感じたけれど、アートは責任とリスクを背負ったもののみに居場所があるって思う。
オープニングまで後一週間。信じられない。

行き詰まり感が世界を覆っています。
資源も財源も人材も限りがありますが、
イメージと言葉だけは無限です。
いまアーティストが仕事をしないと、
って思ってます。

投稿者 Ken Kitano : 04:17

2010年06月24日

6月24日

北京に戻りました。この週末は父のことでお心遣いをいただきありがとうございました。

日本の税金からも(国際交流基金)助成をうけたプロジェクトに父も期待していました。もう会期目前、待ったなしです。

帰国前に大急ぎでロンロンさん、インリさんと展示プランを決めて額の発注をしました。大小含めて40点近くの額の制作が今からで間に合うのがさすが中国です。まるで手品のよう。価格もとても安いです。思ていたよりも種類も豊富でした。ただ木の質は目の細かい木は少なかった。あとマットは日本からの輸入で高いです。
帰って来たら急な元高。人件費と翻訳料などが予想よりもかさみ当初よりも100万円以上オーバーしそうなのに、一日で15%もコストがあがってしまった。一難さってまた一難。

プレスが遅れていて焦ります。
ヨーロッパやアメリカからも多くの方に足を運んで頂きたい。宣伝してください。メールを頂ければリリースをお送りします。

あと、シンポジウムの準備も。
10日は日本からたくさんの関係者が見えることになりそうです。
どなたでもお聞きになれます。通訳もつきます。ぜひお越し下さい。詳細は近日アップします。

投稿者 Ken Kitano : 13:42

2010年06月18日

6月17日 雨

今朝早く、父が亡くなった。79歳だった。
父北野弘久は税法学者で、永年納税者の権利のために独自の租税理論を構築し闘って来た。
息子として見ると、いつも仕事(研究)の方を向いている人だった。ゆっくり向き合って話した記憶があまりない。10代の頃はぽっかりと埋めるべき父の存在感が空洞のようだった記憶がある。社会人になって出版の仕事と時々関わるようになって、父の授業を受けた人や著作を読んだひとに時々であった。そんな風に間接的に父の存在を感じることで、僕自身の父の存在感が出来上がったように思う。

父は昨年の夏から体調を崩し、結果白血病と診断された。今年に入ってから時々入院をするようになった。正直なところ5月に僕が北京へ出発するまでもたないと思っていた。僕は2月の個展以降、先送りできる仕事はすべて手先送りして、病院その他父と家族のことに時間を費やすことにした。最後にゆっくりと父と接っする時間を持てた。その段階になっても研究への執念と頑さを持ち続けたことは、いま思うと父らしい。

父と僕のいまの仕事の接点はほとんどないが、ひとつだけ思い出すエピソードがある。2004年だったか、写真の会賞をいただいたとき、予想もしなかったことだけれど受賞式に父が来た。森山大道さんや石内都さんなど、居並ぶ巨匠や諸先輩がいるなかで、あろう事か父がスピーチしたいと言ってマイクを持った。(なぜ司会の伊勢さんはマイクを渡したのだろう。)父は「自分は永年実務的な学問をやってきた人間だから芸術のことは分からない」と言い、続けて「一番分からないのは息子がどうやって食べているかです。どうかこれからも息子をよろしく」と頭を下げて帰って行った。場内爆笑だった。僕は冷汗をかいた。

先週一時帰国した時に父と握手した感触がまだ僕の中にある。
父への永年のご厚情に感謝します。

(20日に親族のみの葬儀を行いました。この日記は22日にアップしました。)

投稿者 Ken Kitano : 00:21

2010年06月14日

6月14日

先週、束の間の一時帰国も、彼方に思える忙しさ。ようやくシンポジウムのことを少し考え始めました。(遅い)
展覧会に展示するプリントは今週で大方そろった。(一安心)
あとは仕上げ。額装。(これが難しいし、これによって予算がだいぶ変わる)
シンポジウムやカタログのこともあるけれど、告知もしなければ。こんどの展示はぜひ海外からも足を運んで頂きたい。そしてできるだけ二枚目のプリントをしたい。

W杯が始まった。とたんに助手さんたちの士気が落ちた。寝不足のため。(分かりやすすぎます)
韓国戦は近くのコリアンタウンにあるショッピングセンターのモニターで観戦しました。ビールを飲みながら韓国の得点のたびに握手、盛り上がりました。

投稿者 Ken Kitano : 10:27

6月14日

先週、束の間の一時帰国も、彼方に思える忙しさ。ようやくシンポジウムのことを少し考え始めました。(遅い)
展覧会に展示するプリントは今週で大方そろった。(一安心)
あとは仕上げ。額装。(これが難しいし、これによって予算がだいぶ変わる)
シンポジウムやカタログのこともあるけれど、告知もしなければ。こんどの展示はぜひ海外からも足を運んで頂きたい。そしてできるだけ二枚目のプリントをしたい。

W杯が始まった。とたんに助手さんたちの士気が落ちた。寝不足のため。(分かりやすすぎます)
韓国戦は近くのコリアンタウンにあるショッピングセンターのモニターで観戦しました。ビールを飲みながら韓国の得点のたびに握手、盛り上がりました。

投稿者 Ken Kitano : 10:27

6月14日

先週、束の間の一時帰国も、彼方に思える忙しさ。ようやくシンポジウムのことを少し考え始めました。(遅い)
展覧会に展示するプリントは今週で大方そろった。(一安心)
あとは仕上げ。額装。(これが難しいし、これによって予算がだいぶ変わる)
シンポジウムやカタログのこともあるけれど、告知もしなければ。こんどの展示はぜひ海外からも足を運んで頂きたい。そしてできるだけ二枚目のプリントをしたい。

W杯が始まった。とたんに助手さんたちの士気が落ちた。寝不足のため。(分かりやすすぎます)
韓国戦は近くのコリアンタウンにあるショッピングセンターのモニターで観戦しました。ビールを飲みながら韓国の得点のたびに握手、盛り上がりました。

投稿者 Ken Kitano : 10:27

2010年06月03日

6月 あ、もう3日か!

忙しくてブログを書いたりアップする時間がありません。

朝9時から暗室が始まって7時くらいまで。その後カタログの制作や助成金の計画書、日本とのやりとりなどで、夜中になってしまいます。助手さんの給料や薬品の発注もあり、なんだか目が回りそう。お客さんも多いです。今週はイギリスのテートのご一行が来ました。大学やキュレーター、コレクターの訪問が頻繁です。

アジアのアートに関心を持つアートのキーマンたちは、日本にや寄らずに北京に来る時代に少し前からなっているようです。昨日は三影堂ではありませんが、ユーレンスセンター(798アート地区にある北京でもトップのプライベートミュージアム)でグッゲンハイムの館長のトークイベントがありました。

展覧会のカタログは日本で編集とデザインをすることになたので、日本とのデータや原稿のやりとり、中国語と英語の翻訳もあり、会期を考えると全力疾走で綱渡り。制作と展示が同じゴールというのは誠にスリリング。

等身大のour faceゼラチンシルバーの点数が日増しに増えて来た。この迫力が12点前後、並ぶとどうなっちゃうんだろう。この作品は並べると雰囲気が立ち上がるさくひん。大きいから露光時間も長いので細かい背景の焼き込みも出来る。ぞわぞわとした、(幽霊のような)存在の揺らぎのパワーが炸裂しています。

先週末は1泊で香港へ行って来た。art HK(アジアでは最大級のアートフェア)にMEMも出展しているので、行って来た。さすがは香港で、VIPでごったがえしていました。香港ではちょっと楽しみなお話もいただいた。作品も売れたみたい。夜は東京から来た町口覚さん、景さん、本尾さんと合流。朝3時までビール。翌日は深圳に移動して、
深圳美術館で開催中のインリ&ロンロン回顧展を見て来た。すばらしかった。このことはいつかゆっくり書きたい。

うまくいけば今週で展覧会を構成するプリントのめどがたつ。
毎日、朝からてすとして、夕方まで焼き付け。毎日最後の現像は心臓がどきどきします。
今日上がったインドネシア、マルク諸島で撮影したラマダン開けの礼拝の人々は、とても難しいネガだったけど、まあまあ合格の仕上がり。そういえば昨年インドネシア撮影の間に今回のプロジェクトの計画書を毎晩書いていた。写真にとってラージサイズとは?とか中国の美術と自分の作品の接点はどうあり得るのか、とか、赤道直下で毎晩考えていた。(それと並行してFLOW AND FUSIONの校正のやりとりを通信の悪いパプアでもしていた。)
それがいま実現しているのだから、夢のようだけど、夢も何日か続くと欲が出てくる。もっとクオリティーを上げたい。日中のことで写真の本ができないか、とかいろいろ。

体力的にもこうゆう作業はあと10年後は無理かもしれない。毎日暗室で水を3Lくらい飲みながら、夕方には目が痛くなります。

今日はまずまずのプリントがあがったので、その満足感を持って、行きつけの羊肉屋でビールにします。

投稿者 Ken Kitano : 20:45